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「気付き」が大切だと、気付いたお茶会でした

 私が通っている茶道教室の開設記念日のお茶会で、30歳台半ばの男性と話をした。彼はスーツで、今日は参加である。いつものように、
「茶道は長いんですか?」
 の質問から。
「2年余りになります」
「じゃあ、もう濃茶とか習われているんですか」
「まだ、薄茶点前です」
「ええっ? 2年でも、まだ濃茶に進めないんですか! 私は一年で濃茶を習えるモノだと思い込んでいました」
「ぼくも、そろそろだと思うんですが」
「茶道を習い始めた動機は?」
「いつかは習いたいと思っていて、やっと時間が作れるようになりましたので」
「でも、どうしてまた、茶道に興味を持たれたんですか」
「元々、禅に興味がありまして」

「茶禅一味」と言われる。禅と茶道は密接な関係にある。
「茶道を習い始めて半年くらいで盆略点前を家族に披露したら、えらく喜んでもらえました。義理のお母さんも呼んで」
「私の義理の母も、表千家を長く習ってる方で」
「それは、いいですね。じゃあ、お義母さんと一緒にお点前をしたりとか」
「あります。茶懐石のお店にも連れて行ってもらったり。それがきっかけで、義母とも打ち解けるようになりました」
「茶道って簡単にできるのに、それでいて、しっかりセレモニーになりますよね。特別な時間と空間を作れますよね。不思議ですよね」
「そうですよね」
「禅に興味があったということですが、鈴木大拙とか、読まれましたか?」
「読みました。二、三冊読みました」
「私は、“禅と日本文化”をつまみ読みしました。そこで大拙は、“禅には哲学も思想体系もない。あるのは直感だ”と、大胆に言ってのけてますよね。私は、それを見たとき、びっくりしました。そこまで言い切って良いのかって」
「そうですよね」
「禅の臨済宗と曹洞宗の違いについて分かりますか」
 と質問すると、曹洞宗で参禅の体験をした時の話をしてくれた。彼も、色々と茶道とその周辺のことにハマってしまっているようだ。何せ、

「買ったマンションには、共用のお茶室があるので、決断しました」

 と言っていた。
 この一年余の間で、こんなに茶道と禅の話のできる男性と話をしたのは、初めてだった。

 ちょっと待て。彼も私が新米だと言うことで、寛大な気持ちで、話を聞いてくれていたのかも知れない。ちょっとづつ自分が如何に、井の中の蛙であるかを、認識しはじめた。そして、兄弟子、姉弟子の方々の細やかな心使いに、感謝である。大切なことは、「うんっ、これは?」と言う「気付き」だと、気付かせていただいたお茶会でした。

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