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青い水色の棗と茶杓、そして沖縄

 お稽古の日程を、仕事の都合で翌日に変更してもらった。

「蜻蛉さんは、お仕度を」
 と先生に言われて、水屋で準備をした。並んでいるお道具の中に、棗に相応しくないサンゴと思しき柄の入った「青い水色の棗」があった。私はどういう訳か、それを手に取って準備した。十六通りだかあるお点前の一つ、「茶巾絞り」だった。当然、初めての事なので戸惑いながら進めた。
 問答の段になった。習い始めて3年の姉弟子が、お客の役を務めてくれている。
「お棗の形は?」
ーー中棗にございます。
「青い水色の変わったお棗で、絵柄はサンゴ。塗師は?」
ーー(話だけ)輪島塗の蒔絵師、田崎昭一郎にございます」
「お茶杓はどなたの作ですか?」
ーー坐忘斎の作でございます。
 ここで先生のお言葉。
「現在の宗匠ですから、お家元と付け加えてください」
ーーはい。茶杓は、お家元坐忘斎の作にございます。
「銘などございましたら」
 教室に来る前に、地下鉄の中で調べておいた季語を使った。この時、棗との関連など、考えていなかった。
「姫百合にございます」
 すると、先生が、
「姫百合ですか。その二つからは、悲しい沖縄の海を思い浮かべますね・・・」
 と言われた。私は、一瞬、戸惑った。私は「姫百合がいけないのか」と思った。
ーー山百合とか、鬼百合とか?
「いいえ。姫百合です」
 と否定されて、自分で、ハッと気付いた。
ーー今年は、沖縄本土返還50周年の年でした。
「蜻蛉さんは、意図してその銘を使われたのですか?」
ーーいえ、偶然です。季語は考えて来ましたが、棗までは思いがいたりませんでした。
「そうですか・・・」

 大きな獲物を釣り損ねたような思いに、囚われた。しかし、帰りの地下鉄に揺られながら茶道の問答というものは、こういうことなのか・・・、と思い知らされた。厳しくも優しくてきれいなおっしょさんの一言でした。
「悲しくてきれいな沖縄の海を、思い浮かべますね」



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