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至高の人物を表現するに足る、自分自身であるか…… −①

 流石に直木賞を受賞した作品だ、と恐れ入ると同時に、畏怖の念に囚われた。文字通り “ 畏(かしこ)まり、怖れる ” と、その通りである。
 作品の主人公が「絵仏師」である事から、どれだけ「仏の慈悲」を言葉で言い表すことができるか。そのために自分が、どれ程の語彙を頭に蓄えて来たかが作品を通して、全て見透かされてしまうと感じた。尋常ではない「畏怖の念」を抱かずにはいられなくなった。
 自分がこれまでに蓄えて来た、人間の本性を書き表すための言葉は、確かに沢山覚えて来たと思う。しかし、その中で、当代一、二を争う絵仏師が、自分の人生を賭けて描いた作品を言葉で言い表すのに相応しい「品位」と「優雅さ」、そして「慈悲」に満ちた言葉を持っているのかどうか、不安に駆られる。書き上げた作品の真価は、読者の判断に委ねるしかない。しかし、自分の手元を離れるまでは、自分にとって最善であると言う確信を持てない限り、容易に手放す事は出来ないだろ。
 振り返って、これまでの作品はどうだったのかと問われると、甚だ、自信はない。出版された後も、体が動く間は、作品に目を通していこうと、覚悟ができた所である。
 多くの国民が認める “ 偉人” を、私の思考の範疇で表現しようと思ったなら、自分自身を自ら、思い至る範囲を越えた高みにまで自分を成長させていかなければならない、と言う思いに至った。

 ある作家が、
「先輩方の多くは七十歳台で、彼らの最高傑作を書き上げている」
と、語っていた。その意味が、今になって自分に襲いかかって来た。
「至高の人物を表現するに足る自分自身であるか」
 と改めて自分に問いかける。私の答えは「否」である。ならば、どうすれば良いのか。その問いには、今ある自分を一歩でも二歩でも、ほんの僅かでも高めるための努力を、持続することを誓う以外に、前に進むための方法はない。

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