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ネタとオチと感動のさざ波の中で、夢見心地の日々

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友人たちの、ただ生きて行く様が、それだけで、私に生きる喜びと感動を与えてくれていることに気づいてもらうための、ショート&ショート。
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記事一覧

友の死後、伯牙は琴を二度と弾かなかった

 中国のテレビドラマをhuluで観ていた時、時代劇に使われていた「知音」という言葉が耳に入った。ほとんど中国語は分からないが、この一言は耳に飛び込んできた。  中国の古典「呂氏春秋」に出てくる古事である。琴をとても上手に弾く伯牙。そして彼の弾く曲を正確に理解する友の鐘子期。彼が死んだ時、伯牙は琴の弦を切って、二度と琴を弾くことはなくなった。最良の理解者を失った伯牙にとって、琴を弾く意味がなくなったからである。  そんな中国の故事が、現代の中国のテレビドラマの時代劇に使われてい

事に当たって動じない態度は信頼感を、増すはず?

 険悪なムードが流れていたが、久しぶりに見た笑顔が、全てを語っていた様に思う。  突然、こちらから送る全てのメールが「既読スルー」になり始めたときは不安に駆られた。  このまま立ち消えになってしまうのだろうか?  と、夜も眠れぬほどだった。しかし、友人たちの私に対する態度を分析している間に、「既読スルー」の意味が見えてきた。多分、100%間違いない。信頼して話した相手が、信頼に足る人間ではなかったのだろうと、客観的状況から推測できた。  一時は、彼を問い詰めつやろうかと気持ち

「山水に清音あり」 市井に住む隠遁生活者「大隠」

 中国の古い言葉に「大隠、中隠、小隠」というのがある。いずれも、世俗を離れて仏道修行や思索の生活に専念している人のことを言う。その中に「大、中、小」の隠遁生活があるというのも、どこか滑稽であるが。  ちなみに「大隠」は街中に住む隠者、「小隠」は山紫水明の自然の中。最後の「中隠」については白居易が提唱した言葉で、自然と街の中間に住む隠者である。強いて言えば「人境」ということらしいが、例えば「里山」と言う所だろうか。いずれの隠者にもそれぞれの魅力は感じる。しかし、ネオンサイン好き

「鹿鳴館」と中国最古の詩集「詩経」に納められている詩

 日比谷公園の東側、帝国ホテルの南隣り辺りに「鹿鳴館」があった。明治時代の日本の外交の最前線だった。その名前となっている「鹿鳴」の出典をご存知の方は少ないと思う。  たまたま漢詩の解説本を読んでいて、偶然に知った。中国の最古の詩集と言われる「詩経」に「鹿鳴」と言う漢詩が載せられていた。詩の解説に、 「鹿が鳴く様をもって、大切なお客様を賑やかな宴席で歓待することを表している。鹿鳴館の名は、この詩に由来する」  と、大要、この様に説明されていた。  長年、その名の出典など気に留め

「心の旅」の果てにたどり着いた「人の振る舞い」の意味

 この1年余り、私は日常生活の空間をそのままに、「心の旅」をして来た。日常生活は全く変わらないのだが、意識の上で全く違う世界で、多くのことを学ばせてもらった。あえて詳しいことは書かない。そこはご想像にお任せする。  その一年余りの「心の旅」の果てにたどり着いた場所は「気配り」、果ては「おもてなし」や「人の振る舞い」の「意味」だった。その結論に達した最後の決定打となったのは、一流と言われている人の「一言」だった。その一言は、私の発した「気配り」に対する、相手の方からの「気遣いの

腰から下げた紫の帛紗は、娘との幸せの記憶

 先日の茶道のお稽古でのお点前は、惨憺たるものだった。気持ちが落ち込み気味のまま、娘と銀座でランチの約束があるため、待ち合わせの場所へと急いだ。当然、お稽古の着物に袴姿のままである。焦り気味でお茶室を後にした。  約束の時間にお店に着くと、お店のスタッフは、 「お連れ様がつい先ほど、お着きになりました」  と、笑顔で席に案内してくれた。  お店は、日本料理を出す由緒ある旅館の東京の支店。  臨月を迎えた娘と楽しく和食のランチを終えた。娘は帰りに、三越で友人へのお返しのプレゼン

西から東に来た光は今、東から西へ

 昨日、日本を代表する情報関連の会社の社長と、中国についての話になった。  社長いわく、 「中国人は、民主主義は最悪の政治体制だと見ている。コストも時間もかかり過ぎるということでね」 「確かに、大きな国土と人口をかかえる中国政府にとっては、最悪の政治体制なんでしょうね。しかし、習近平が退任すれば、良くなるのでは?」 「いや、彼は死ぬまで引退しない。さらに彼の奥さんも権力を持ち始めている。へたをすれば21世紀の西太后になるかも知れない」  と言う社長の話。そこで私は社長に、 「

帚木(ははきぎ)の帖、光源氏と男友達三人の女性体験談より

 帝の妹君腹の頭中将(とうのちゅうじょう)とは従兄弟同士で、特に仲が良かった。彼も光源氏に負けず劣らず美男子である。光源氏が正妻の葵の上の元にあまり帰らないのと同じように、頭中将も正妻のいる右大臣の邸宅にはあまり帰りたがらない。そんな二人が時間を持て余して、いずれからともなく話し始めた。 「これはと思える女で欠点のない女なんていないものだ、と最近わかりました」  と、目の前の光源氏宛のいくつもの手紙を眺めながら頭中将は語り始めた。いつしか二人の間で女性談義が始まっていた。  

源氏物語の箒木(ははきぎ)の帖、女性品評会のこと……

 光源氏と頭中将の仲のいい二人が女性談義をしていたところへ、左馬頭と藤式部丞が仲間に加わった。 「成り上がりの家の女性は、元から高貴な家柄ではないので、世間の人も違った目で見るものです。また、元は高貴な家でも世を渡る手段が少なく、時勢に流され世間の評判も落ち、気位が高くとも、経済力が足りず、都合の悪いことも出てくるもので、どちらも中流とすべきでしょう。受領と言って地方の国主の中に、他人の国を治めながらも、中流の地位を占め、その中にもさらに段階があり、その中からそこそこの者が出

イブの銀座は幸せな顔が、花盛り

 待ち合わせの時間に遅れることなく、娘夫婦はやって来た。食事は寿司屋を予定していたが、予約しなくても30分ほどで席に案内されるだろうと考えていたのが甘かった。店の従業員には、案内するのに1時間ほどかかると言われた。仕方なく、当初予定していた寿司屋をあきらめ、他を当ることにした。しかし、流石にクリスマスイブの夜。どこの店の前にも、順番待ちの列ができている。仕方なく、並ばなくてもすぐに案内してくれそうな店を見つけて入った。メニューをみて驚いた。想定していた金額の3分の2で収まる額

ある女性とのマッチングの後の私の返信

返信、ありがとうございます。小説がお好きだとの事ですが。私の仕事はマスコミでカメラマンや記者、それに役員を黒塗りの車で送り迎えする事です。その中の文芸担当の女性記者に、私が書いている小説について、 「その小説には女性は登場しますか?」 と聞かれたことがあります。その時、「ハッ」としました。そういえば「恋バナ」がない、と。それで急遽、安土桃山時代にあった京の都の廓の、綺麗な「太夫」を登場させ、小説に彩りを添えたことがあります。 周囲の人の何気無い一言が私の創作を大きく飛躍させて

「典論」の一文に、狼狽える

「文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり」(典論)  という文章に出くわしてしまった。 「出会った」と言うよりも、やはり「出くわしてしまった」の方が、この一文により困惑している気持ちが表されていて、しっくりと来る。  この「典論」(てんろん)という文学論は、かの三国志の偉大な武将である曹操の息子であり、魏の初代皇帝である文帝こと曹丕が、書き残した文学論である。  最初に挙げた一文の意味は、いたって素直である。読んで字の如し。 「文章は国にとって重要な事業であり、永久に朽ちるこ

売れない小説家の先で、待ちかまえている景色

 夜の数寄屋橋交差点近く。  ジーンズにトレンチコートを着て店の表まで人が溢れて並んでいる寿司屋の前に、私は立った。自動ドアは開かない。ドア枠の手元の高さにある縦長の四角いボタンを押してみたが、開かない。ドアの向こうにいた30歳前後の小綺麗な身なりをした中国人男性が、笑顔でドアを手で開けてくれた。私もそれに合わせて、ドアに手を添えて開けた。  ドアの内側に立つと中国人男性は笑顔を向けて来たので私は、 「Sorry」  と無表情で一言添えて中国人男性に礼を言い、リサの待つ方へと

世界の二大知性が戦争について、書簡を交わした事実

 第二次世界大戦前夜のこと。国際連盟の依頼を受けたアルバート・アインシュタインが、ジグムント・フロイトへ書簡を送った。  一九三一年七月三〇日 ポツダム近郊の町から、書簡が送られた。  フロイト様  あなたに手紙を差し上げ、現代の文明の大切な問題について議論できることを大変嬉しく思います。国際連盟(パリの知的協力国際委員会)から提案があり、誰でも好きな方を選び、今の文明で最も大切な問いと思える事柄について意見を交換できることになりました。このようなまたとない機会に恵まれ、嬉