【3】はじめての山手線一人旅

 「いい旅チャレンジ20000km」にチャレンジしたい。列車に乗って旅をしたい。国鉄全線踏破を目指したい。

 そうせがむ小学3年生に親が出した条件は、ブルートレインに乗りたがった時と大体同じだった。つまり、交通費は自分の小遣いでまかなうこと。ちゃんとした計画表を提出し、乗り換え時には必ず公衆電話から電話をすること。中学生になるまでは、日帰りまでとすること。それを守れるのなら、行ってもいいと。ブルトレの時は「せめて小学4年生くらいになってから」と言っていたのが、「中学までは日帰り」に変わったのは、小1の時よりも話が現実味を帯びていたからだろう。

 九州まで往復するブルートレインの旅では、果てしない道のりだった交通費の貯金だが、チャレンジならそうでもない。スタートは、どの線区でもよいのだ。中野に住んでいた僕なら、山手線か赤羽線(現在の埼京線の一部、池袋〜赤羽間)が適当だ。中野から東京駅に出て、山手線を一周して帰ってくるなら、当時の子供運賃で300円もかからない。国鉄のルールを活用すれば、120円で可能だ。3年生から小遣いは月額制となり月400円だったので、楽勝だった。

 チャレンジ20000kmのボードゲームを買ってもらったのが、1980(昭和55)年の9月。そこから、チャレンジ20000km参加への準備は着々と進んでいった。書店で、公式ルールブック&記録帳である「いい旅チャレンジ20000kmときめきの踏破パスポート」を購入。踏破する路線では、始発駅と終着駅で自分と駅名標が写った「証明写真」が必要となるのでカメラが必要だったが、これは父親のミノルタカメラを借りられることになった。

 準備を整え、記念すべきチャレンジ1線区め、山手線の踏破に出かけたのは、1980年11月30日、日曜日のことだった。山手線は、環状運転を行っているが、路線としては品川〜新宿〜田端間であり、田端〜東京間は東北本線、東京〜品川間は東海道本線に乗り入れていることになっている。よって、品川〜新宿〜田端間を乗車して、両駅で証明写真を撮ればよい。

 まずは、中野駅から中央線快速電車で東京駅に向かい、そこから品川駅へ向かった。東京駅から山手線に乗っても良かったが、小学3年生にして初めての「一人旅」だ。少しでも旅の気分を盛り上げたくて、東京駅から東海道本線の普通列車に乗った。時刻は覚えていないが、11時くらいだった気がするので、11時10分発の伊東行き725Mあたりに乗ったのだろう。わずか2駅約10分の乗車だったが、113系のボックスシートに一人で腰掛けると、一人旅を実現させたという嬉しさが込み上げた。

 品川駅で山手線ホームに移り、証明写真を撮る。一人だから、誰かに頼んでシャッターを押してもらわなくてはならない。8歳の子供が、一人で見知らぬ人に声をかけて写真を撮ってもらうのは、最初はかなり勇気が必要だった。まだカメラが今のように一般的でない時代、どう写るのかも見当がつかなかった。

 初めての証明写真を、どんな人に撮ってもらったのかはよく覚えていない。初めてということで、駅員に頼んだような気がする。「すみません、写真を1枚とってくれませんか。僕と、駅名が一緒に写るように撮ってください」。この後、次第に慣れて、うまく撮ってくれそうな人を選んで頼むようになっていったのだが、8歳の子供には大きな社会勉強になったように思う。背が小さかったので、写真を撮ってもらう時はいつも精一杯背伸びをしていた。

 惜しいのは、この時を含め、子供の頃に撮った写真がほとんど現存しないことだ。さまざまな事情から多くを失ってしまった。だから、このnoteは今後も写真はとても少ない。

 さて、品川からいよいよ山手線を踏破するわけだが、乗ってしまえば、おなじみの国電・山手線。行儀良く乗車し、つつがなく田端駅に着いて、無事山手線踏破となった。証明写真を撮り、自宅に電話し、神田経由で帰ったはずだ。「初めての一人旅」は、特に記憶するようなハプニングもなく、予定通りに完了した。

 ところで、山手線踏破の時の乗車券だが、おぼろげな記憶では東京駅と神田駅できっぷを買い換えたような気がする。当時中野〜東京間の運賃は150円。子供運賃は70円だった。その後は、おそらく東京〜神田間の初乗り100円、子供50円のきっぷで、東京〜品川〜新宿〜田端〜神田と乗車したのだろう。東京近郊区間には、同じ駅を通らなければ実際に乗ったルートではなく最短経路で運賃を計算するルールがあり、山手線を一周しても、東京〜神田間は初乗り運賃でよかった。このルールは今もある。神田から中野まで、また70円のきっぷを買い、合計190円の旅だったと思われる。安いとはいえ、一カ月の小遣いの半額近くを使う、ちょっとした冒険だった。

 ともあれ、今は鉄道系ジャーナリスト・フォトライターとして活動している僕の第一歩が、この山手線一人旅だった。


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