【1】ブルートレイン貯金

 電車を好きになったのは、いつのことだったか。記憶がない、幼い頃だ。1974(昭和49)年、3歳の時に初めて神田の交通博物館に連れて行かれ、そこで親が絵本を買ってあげようというのを泣いていやがり、欲しがったのが「月刊鉄道ファン」1975年1月号ブルートレイン特集だった……というのは、いろいろなところで話している僕の定番ネタ。でも、一番古い記憶は、自宅で時刻表の読み方を教えてもらった時のことだ。

 我が家は、喫茶店を営んでいた。店が暇だった時間帯、1番テーブルと呼んでいた入口近くの席で、交通公社の時刻表の見方を母親から教えてもらった。

 縦軸の数字の列が1本の列車を表し、数字は横軸に記された駅の発着時間を表す。すぐに覚え、以来時刻表を読みふけるようになった。

 それはいつのことだったろう。おそらく、1978(昭和53)年、小学1年生の時だったと思う。時刻表を読めるようになってまもなく、僕はブルートレインに乗りたいと願うようになった。当時、小学生の間ではブルートレインがブームとなっていた。東京駅には、連日大勢の子供たちがブルートレインの写真を撮りに集まったが、小学1年生の僕には、許されなかった。

「ブルートレインに乗りたい」。親にその願いを伝えると、意外な言葉が返ってきた。「お小遣いを貯めて、そのお金で交通費をまかなうのなら、乗ってもよい。ただし、せめて4年生くらいになってから」。その日から、僕は貯金を始めた。当時の小遣いは、週50円。これを、ミントの飴が入っていた空き瓶に入れた。狙うは、寝台特急「さくら」「みずほ」だ。この2本の列車は三段寝台を採用していて、寝台料金が「はやぶさ」「あさかぜ」「富士」の二段寝台よりも1000円安かったからだ。「身を起こすと頭がつかえる三段寝台」自体にも、ロマンを感じた。

 50円玉を瓶に入れるたびに、寝台特急「さくら」「みずほ」が一歩近づく。僕のブルートレインへの憧れは、ミントのにおいと共に記憶されている。

 2年生になると小遣いは週70円になったが、それも毎週全額貯金した。大きくものを言ったのは、お年玉だ。「ブルートレインに乗るという夢を叶えるために、お小遣いを全額貯金している」という話は、親戚の財布のひもを緩めるのに存分に効果を発揮した。お年玉はよく集まり、誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントも現金が当たり前になった。特に母方の祖母は鉄道が好きで、僕のブルートレイン乗車計画を応援してくれた。

 そうはいっても、遊び盛りの小学生。小遣いを全額貯金しては、日々の遊びやおやつにも困りそうなものだ。だが、僕はそれを「焼きいも屋のおじさんと仲良くなる」という技で乗り切った。石焼きいも屋のおじさんと仲良くなり、売れ残って酸っぱくなった石焼き芋をタダでもらっておやつにするのだ。当時はまだ手押しだった焼き芋屋についていくと、町内のいろいろなところへ行ける。タダで遊べて、おやつも食べられる効率的な遊び方だった。噂を聞いた同級生が集まるようになると、親が焼き芋を買ってあげるケースもあり、宣伝効果もあったようだ。もっとも、子供を連れ回す怪しい焼き芋屋と感じる大人も多かったようだが。

 こうして、小遣いやお年玉を全額貯金していくうちに、3年生になる頃には5000円から1万円の貯金が貯まっていた。

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