たかが世界の終わり

題名が心に刺さったのは久しぶりだった。

去年、一昨年、いや、もっと前のことだろうか。

うん、そうだね、と腑に落ちた。

今もその気持ちは変わらない。

そして、世界は終わってはいない。

現実世界が終わっていないだけで、その人の世界は終わったのだ。

そして、たかが世界が終わっただけなのだ。


たかが、という言葉の後には、されど、という言葉が続くことがある。

しかし、この場合、されどという言葉は続かない。

本当の意味で、たかがだから。

それだけの意味と価値を見出したのは、幸福でもあり、予感する悲劇でもあったのかもしれない。

そう思うと、切なくなる。

切なくなるのは、当事者ではないからだろう。

当事者ならば…

切なくはならないと思う。


世界の終わりの果てにあるのは、人によって異なる。

あなたなら、そこに何を見るのだろうか?

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