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雨の日の水溜りで遊んだのはいつの頃だろう【11】

連続と非連続。

時間は連続と思われている。

開闢以来途切れることなく流れていると思われている。

そこに疑問の余地はない。少しでも疑問を示したら、変な人と思われることだろう。

天気は非連続だと思われている。

今日は晴れても明日は雨だ。

天気は猫の眼のように変わると思われている。

3,000年続いた、と言われている太古の地球の雨も、非連続だというのだろうか。

3,000年。

人の身では、気が遠くなる程の悠久の時の重なり。

3,000年切れ目なく続いても、3,000年と一日目には雨は止み、晴れた。

それは非連続だというのだろうか。

どれだけ続けば連続と言えるのだろう。

永遠に続けば、連続と言えるのだろうか。

永遠なんて誰も見たことがないというのに、言葉だけは、しっかりとある。

誰もが知っている、永遠という言葉。

誰の仕業なのだろう。

誰も見たことがないのに、永遠はあるなんて思っている人さえザラにいる。

天気の様相は非連続でも、大気は循環し、変化して、天気そのものは、連続している。

連続と非連続の両方を持ち合わせているように思うのは気のせいだろうか。

世の中の秘密のひとつは、連続と非連続は相反するものではなく、両方が同居していることなのではないだろうか。

なんて、そんな風に思いながら、僕は目玉焼きを作っていた。

一度に5個も6個も作るのはザラだ。

時には10個作ることも珍しくない。

そんな時、僕は目玉焼き機になる。

そんな時、僕は一個の球体関節付き目玉焼きマシーンになっている。

話し方もマシーンだ。

「そろそろできた?」

「…」

「…」

「何分何秒でできるのか?」

「0分48秒でできる」

「…」

だからだろう。
僕が目玉焼きを作っている時、誰も話しかけなくなった。

これは、会社勤めをしていた時の話。僕が食堂車で働いていた時の話だ。

因みに、目玉焼きは、非連続だと思う。

連続的な目玉焼きというのは、どういうものか、想像したことがないからわからない。
きっと誰かが考えてくれるだろう。

葉子と出会う前、僕には恋人と呼べる人はいなかった。

ように思う。

人恋しくなると、夜の街に出掛けた。

煌びやかで毒々しい原色でけばけばしいネオンの下を歩いていると、フーテンやヒッピーもみゆき族も格好良くて何もかも懐かしく感じた。

「ちょっとお兄さん」

呼び止められたのは、迷路のように路地が入り組んだ、大きな街の一角の、箱庭のような、トリスバーや赤提灯の飲み屋がひしめき合っている、カレイドスコープ横丁の片隅だった。

電信柱に寄りかかって、ピースの甘いバージニアリーフの紫煙を吐きながら、長い髪の女が立っていた。
退廃的な雰囲気が、猫を思わせる小綺麗なその顔に似合っていた。

「飲んでかない?」

猫撫で声で、長い髪の女が言った。

僕は頷いた。

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