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ギャラント音楽とアルベルティ・バス(174)

18世紀半ばのバロックと古典派の間、ヴィヴァルディやバッハと、ハイドンやモーツァルトの間の時代の音楽様式、それを今日では一般に「ギャラント様式」と呼んでいます。

"galant" という語は、古フランス語の "galer" 「楽しませる」に由来し、古くは「勇敢」という意味もありましたが、17世紀頃からは主に「優雅」という意味で用いられていました。

「ギャラント」と形容された音楽家の最初の例は、実は晩年のフレスコバルディです。

“Non ci è stato in gran fama un Ercole in San Pietro? un Frescobaldi, che oggi vive, il quale V.S. pure confessa, che già lo faceva stupire, e bene spesso commuovere? E se oggi usa un altra maniera con più galanterie alla moderna, che a VS non piace tanto, lo dee fare, perché con la sperienza averà imparato, che per dar gusto all’universale delle genti, questo modo è più galante, benché meno scientifico; e mentre ottenga di dare veramente diletto, il suono, e’l sonatore non ha più che pretendere.”

サン・ピエトロには偉大な名声を誇ったエルコーレ[・パスクィーニ]が居なかったでしょうか?  まだ存命であるフレスコバルディには以前は閣下も驚嘆し、しばしば感動させられたと告白されていませんでしたか? 今日、彼がより galanterie な当世風の別の様式を用いることで閣下をあまり喜ばせなくなったとすれば、それは彼が一般大衆に喜びを与えるにはこの様式がより galante であることを経験より学んだからでしょう。それはあまり学問的ではありませんが、その響きが実際好ましいものであれば演奏家はそれ以上のことには頓着しないのです。

Pietro Della Valle, Della musica dell’età nostra che non è punto inferiore, anzi è migliore di quella dell’età passata, 1640.

生憎ながら最晩年のフレスコバルディの音楽様式について伺える楽譜資料は伝わっていませんが、おそらくは対位法よりも機能和声を主体とした作風となり、次代のベルナルド・パスクィーニ等に近づいていたものと想像されます。

要するにギャラントとはあまり小難しくない、娯楽的な芸術スタイルということで、その意味合い自体は18世紀以降も基本的に変わりません。

絵画では摂政時代フランスの「雅宴画 Fête galante」が例に挙げられます。重厚なバロック芸術に対する反動たる軽やかで優雅な戯れ、即ちロココです。それでギャラント音楽はロココ音楽と呼ばれることもありますが、しかし同時代のフランソワ・クープランはロココではあっても、現在一般にギャラント音楽と呼ばれているものとはちょっと違いますね。

La Gamme d’Amour, Jean-Antoine Watteau, c. 1717.

「ギャラント」であるということは、18世紀初めには肯定的な表現でしたが、やがて、軽薄、空虚、退廃的、といった軽蔑的な意味で用いられるようになります。そして音楽史における「ギャラント」というカテゴリーもまた、後にネガティブにそう呼ばれようになった18世紀半ばの時代様式を主に指しています。

ギャラント様式の特徴は、第一に歌謡的な旋律の重視、つまりメロディと伴奏という簡潔なスタイルです。バロック時代の初めにも似たようなことがありましたが、あの時がアカデミックな古代ギリシャ音楽の再生を目指したものであったのに対し、バロック時代の終わりに起こったこれは大衆的な歌曲への指向、当時流行の啓蒙思想によるならば自然への回帰というわけです。

鍵盤音楽の分野でそれを象徴するのが、ジグザグの分散和音による伴奏、いわゆる「アルベルティ・バス」です。これは御存知の通り三和音を分解して「低、高、中、高」という順番で弾くもので、ハ長調ならドソミソ、ドソミソとなる例のあれです。

その名の由来するドメニコ・アルベルティ Domenico Alberti (c.1710-1746) は、ヴェネツィア生まれのアマチュア音楽家で、当時はむしろ歌手として有名だったようです。1736年にスペインを訪れたときは、かのファリネッリがもし彼がアマチュアでなかったら手強いライバルになっていただろうと述べたと言われています。

アルベルティは1746年10月14日にローマで若くして亡くなり、彼の『8つのチェンバロ・ソナタ Op. 1』は没後の1748年にロンドンで出版されました。

しかしながらこの曲集は元はアルベルティの弟子と称するカストラートのジュゼッペ・ジョッツィ Giuseppe Jozzi (c.1710-c.1770) の作品として1745年にロンドンで出版されていたのです。彼は1745年にロンドンに来て、ヘイマーケットで第2ソプラノ歌手を務めており、チェンバロ奏者としても称賛されていました。おそらくローマから持ち込んだアルベルティのソナタを披露していたのでしょう。

この最初のロンドン版は現存しませんが、1761年にアムステルダムで出版された、やはり作者をジョッツィとする出版譜が知られています。

https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/78008

このジョッツィによる盗作行為はすぐに露見して非難の対象となり、1748年に作者を改めて出版しなおされる運びになったわけです。後にパリでも同じ曲集が出版されましたが、作者はアルベルティとなっています。

https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/341405

アルベルティの8つのソナタはどれも2つの楽章をペアにしたもので、概ね第1楽章が2拍子、第2楽章が3拍子となっています。このような2楽章形式の鍵盤ソナタはこの頃のイタリアで散見されますが、もはや教会ソナタや室内ソナタといったバロックソナタの形式は影もなく、もちろん「ソナタ形式」などというものとも無縁です。ドメニコ・スカルラッティのソナタの「ペアリング」とは何か関連が有るのかもしれません。

また8曲の内で第4番がト短調である意外はすべて長調。この著しい長調志向もギャラントの特徴です。

そしてもちろんアルベルティ・バスが多用されているわけですが、別にこの種の左手を用いたのは彼が最初というわけではありませんし、それほどうまく活用しているわけでもありません。後の古典派の作曲家たちの扱いに比べると和声がぎこちなく、消極的でドローン的な使用が目立ちます。

しかしこの奏法の急速な普及の最初期に彼のソナタが有ることは間違いなく、彼は確かに時流の先端に居たのでしょう。当時この種の鍵盤曲集の主な購買層が、新興の中産階級の子女であったことを考えれば、アルベルティ・バスの簡便さが歓迎されるのは当然の成り行きでした。

もう一つ、ギャラント様式の特徴は、音楽がぶつ切りであるということ。

バロック音楽では音楽の進行は常に流れ続けます。連続的に転調し、様々に旋律を紡ぎ出しながら、形式上の区切りに至るまでは基本的に流れが断ち切られることはありません。

ギャラント音楽では不連続に楽想が切り替わることが多く、時に完全に立ち止まります。音楽は連綿とした流れではなく、数小節の長さのモチーフを単位としており、それらが戯曲の登場人物よろしく立ち代わり現れるという構造になっています。こういったモジュール構造の音楽作りが、以後の「クラシック音楽」の特質となっていきます。


アルベルティのソナタと同じ頃、1747年に出版された J.S.バッハの『音楽の捧げもの』BWV 1079 は時流に逆行して対位法技術の粋を尽くした超硬派な曲集ですが、しかしその中でも《トリオ・ソナタ》の第3楽章は、上声部のフルートとヴァイオリンが音を重ねて切れ切れのフレーズを歌うという、バッハにして最も「ギャラント」な作風を示しています。別に今風の音楽だって書けないわけじゃないさ、と言いたかったのでしょうか。

https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/341155
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/341156


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