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クープランの8つのプレリュード(鍵盤楽器音楽の歴史、第116回)

私は以下の8つのプレリュードを、既に出版した曲集と、只今出版準備中の曲集の調に合わせて作曲しました。

フランソワ・クープラン『クラヴサン奏法』(1716)

この前置きは、1717年の第2版では「只今出版準備中」が「出版されたばかり」に置き換わります。

いずれにせよ、これらのプレリュードが編纂された時点ですでに『クラヴサン曲集 第2巻』の内容は確定していたようです。

8曲のプレリュードの調性は C, d, g, F, A, b, B♭, e となっており、『クラヴサン曲集 第1巻』第1オルドルはト短調/ト長調なので《プレリュード第3番 ト短調》が枕に使え、ニ短調/ニ長調の第2オルドルには《プレリュード第2番 ニ短調》が使えるといった寸法です。

しかし《アルマンド 暗闇 ハ短調》で始まる陰鬱な第3オルドルには、明らかにミスマッチな《プレリュード 第1番 ハ長調》が充てがわれることになるのですが…

クープランは続けて作曲理由をこう書きます。

クラヴサンを習う女生徒のほぼ全員が、最初に教わる短いプレリュードしか知らないことに気づいたからです。

なぜ女生徒 (écolières) に限定しているのかわかりませんが、基本的にクープランの生徒は貴族の令嬢だったのでしょう。とまれ、この「最初に教わる短いプレリュード」というのが、どんなものなのか気になるところです。

おそらくは、この『アマーリエ公女の音楽帳』にある作者不明の簡単なプレリュードのようなものを彼女たちは習っていたのではないでしょうか。そして大方は楽譜に残されることもなかったのでしょう。

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Livre de son altesse serenissime Madame la princesse Amalie de Brunsvic et Lunebourg (after 1687)

しかしフランソワ・クープランのプレリュードは、どれもこのような伝統的なプレリュード・ノン・ムジュレとは大いに異なる作風です。

実にこの8つのプレリュードこそはクープランの楽才が最も純粋な形で示された珠玉の作品群であり、この付録の価値は『クラヴサン奏法』の本文の酷さを償って余りあるでしょう。なおクープランはこの8曲以外にクラヴサン用のプレリュードは残していません。


《プレリュード 第1番 ハ長調》

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第1番は一貫して繋留音とシンコペーションによるクープラン流のスティル・ブリゼによって構成されています。このリュート風の様式、減衰する繋留音の作る曖昧な不協和音をかすめてゆく典雅な響きは、クープランのアルファにしてオメガというべきもので、特有の替え指を用いた運指と共に、クープランのクラヴサン曲を弾く上での必修要素がこのプレリュードには詰まっています。

クープランの世界に参入するには、まずはこの目を惑わす繋留音の綾を読み解けるようにならなければなりません。まさに第1番に相応しい作品でしょう。

しかしかつてフランスでこのような曲が「プレリュード」と呼ばれたことはなかったはずです。

《プレリュード 第2番 ニ短調》

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第2番は8曲の中では最も保守的で、伝統的なプレリュード・ノン・ムジュレに近い作品と言えます。ダングルベールの《プレリュード ト短調》と比べてみてください。

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クープランがダングルベールと異なるのは、その歌謡性です。調弦を確かめるように掻き鳴らすダングルベールに対し、クープランはあくまで旋律主体であり、第2番は叙情悲劇の一幕といった風。

後半、堰を切ったように溢れる華麗な和音の連なりには「偉大なる世紀」の最後の煌きが感じられます。

《プレリュード 第3番 ト短調》

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第3番は "mesuré" の指示がある拍節的で無窮動な曲で、クープラン的には「イタリア風」のプレリュードということになるのでしょう。ヴェルレはそんな事お構いなしに自由に弾いてますが。

このように予め作曲されたプレリュードを用いる場合は、特に "mesuré"(拍節的に)と指示があるところ以外では、あまり拍に厳格にならず、自由に楽に演奏すべきです。(詩と比べるなら)音楽にも散文と韻文があるとでも申せましょう。

つまりはこれは韻文的なプレリュードというわけです。これもフランスには今までなかったものですが、繋留音の使い方は紛れもなくフランス流です。

《プレリュード 第4番 ヘ長調》

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第4番は再び不規則で非拍節的なプレリュードですが、伝統的なプレリュード・ノン・ムジュレともまただいぶ異なります。無作為な徒然とした導入に続いて、やや規則的な繋留音の連鎖、終盤は両手ユニゾンの走句、といかにも即興を思わせる自由な構成です。締めが少々唐突で弱いでしょうか。

《プレリュード 第5番 イ長調》

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最初の4曲のプレリュードは全ての年齢に適合します。

このようにクープランは述べているので、逆に第5番以降はお子様向けではないということになります。

実際この第5番は規模内容共にこれまでの4曲に比べて隔絶しています。曲は第4番と同様に何気なく音を散らしながら始まりますが、しだいにまとまっていく音の流れに身を委ねているうちに、いつの間にか深淵に導かれていることに気づくでしょう。

同一音形を繰り返しながら和声の色合いを転じていく様はクープランの常套手法ですが、それはこのプレリュードにおいて霊妙の域に達しています。

《プレリュード 第6番 ロ短調》

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ラヴァルマンされていないクラヴサンの場合は、2つの十字の間はオクターヴ下げて弾くこと。

第3番と同じく "mesuré" タイプのプレリュードですが、音域が広く、高音が d3 まで上がります。これは17世紀のフランスの標準的なクラヴサンの音域である GG-c3 を逸脱しています。

それで後方互換性を確保するための注意書きがあるわけですが、ラヴァルマン ravalement とは音域拡張のための「改修」を意味する語であるとともに、最初から大きく作られた新型の楽器もラヴァルマンと呼んでいたようです。特にグラン・ラヴァルマンといえば、FF-f3 の5オクターヴの楽器のことを指すようになります。

実際、18世紀のフランスのクラヴサンは、ラヴァルマンされたルッカースの楽器を一から製作した様なもので、その技術は、ルッカースの改修と、そして贋作造りによって培われたものと考えられます。

クープラン自身は、フランスの著名なクラヴサン職人一族であるブランシェのクラヴサンを所有していました。従兄弟のニコラ・クープランの息子のアルマン=ルイ・クープランは、フランソワ=エティエンヌ・ブランシェの娘と結婚していますので、一族ぐるみで付き合いがあったのでしょう。

現存するブランシェの楽器としては、トワリー城の猿の絵の描かれた1733年製のクラヴサンが有名です。これは18世紀以来全く手の入っていない貴重な楽器で、残念ながら演奏可能な状態にはありませんが、その資料としての重要性から今後とも復元は行われないことが決まっています。

ちなみに、この楽器が発見されたのは映画『パリは燃えているか』に写ったことがきっかけで、目ざといマニアの指摘を受けて専門家がロケ地を調査したところ、未記載のブランシェの作品の発見と相成ったわけです。

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https://thoiry.festesdethalie.org/le-clavecin-blanchet-du-chateau-de-thoiry/

《プレリュード 第7番 変ロ長調》

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唐突な「所見」を挟んで、第7番は "mesuré lent" の指示があります。しかしこれは少々不可解で、冒頭部のフレーズの区切りも判然としない気ままな音楽内容とはどうも噛み合いません。原稿用紙の升目に合わせて草書を書けというような。

実際ヴェルレはもとより、このプレリュードの出だしをきっちり拍節的に弾く人はあまり見かけません。そこはまあ「良い趣味」le bon goût で、ということでしょうか。

一段落した後に、指示は "mesuré moins lent" (拍節的に、あまり遅くなく)に変わり、ここからは音楽内容も割と規則的になりますが、あくまでもフランス流です。

10小節以下の両手共に高音にシフトするあたりからは、かつてこれほどまでに清らかな音楽は存在しなかったといっても過言ではないでしょう。第5番と並んで、クラヴサンという仮面のもとにのみ成立し得る人工美の極致といえます。

《プレリュード 第8番 ホ短調》

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最後の第8番も "mesuré" 型でイタリア風のプレリュードです。悪くは無いのですが、正直こんなものはバッハにでも任せておけと思わざるを得ません。

これらフランソワ・クープランの8つのプレリュードは、前例のない画期的な作品群ですが、エリザベト・ジャケ・ド・ラ・ゲールの2つ目のクラヴサン曲集 (1707) でプレリュードが省かれたように、以後18世紀のフランスではプレリュードというジャンルそのものが衰退し、クープランを継いで発展させる者はありませんでした。

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