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バッハの偽作の名品その2:《パッサカリア ニ短調》(155)

《パッサカリア ニ短調》BWV Anh. 182

Passegalie. Del Sigr: Giov: Sebast: Bach
D-LEb Rara Ib, 124
https://www.bach-digital.de/receive/BachDigitalSource_source_00004212

このニュルンベルクのレオンハルト・ショルツ(1720-1798)の手稿に見られる、ジョヴァンニ・セバスティアーノ・バック氏作曲とされる《Passegalie》は、一貫して下降テトラコードのオスティナート・バスに基づく正統派のパッサカリアです。

この種のパッサカリアはヨハン・カスパール・ケルル以来、17世紀のドイツで大変人気がありましたが、流石にJ.S.バッハの作品としては古風に過ぎるでしょう。かの《パッサカリア ハ短調》BWV 582 が、これで20代の頃の作品ですし。

D-LEm Becker III.8.4 [Andreas-Bach-Buch]
https://www.bach-digital.de/receive/BachDigitalSource_source_00003278

実のところ、この《パッサカリア ニ短調》BWV Anh. 182 を伝える他の資料は、クリスティアン・フリードリヒ・ヴィット(c.1660-1717)の作としており、多分こちらが正しいでしょう。

ヴィットはアルテンブルクの出身で、若い頃ウィーンやザルツブルクに留学した後、ゴータの宮廷オルガニストやカペルマイスターを務めました。当時のドイツでは高い評価を受けていた音楽家で、声楽や器楽に幅広い作品を残しています。

このヴィットのパッサカリアは19の変奏を擁する大作で、さらに第7変奏や第10変奏の後ではダカーポの指示があり、ロンドー風に最初のパッサカリアがリフレインされます。

最後の第19変奏の後もダカーポとなっており、リフレインして曲を閉じることになります。

しかし失われた写本(D-Hs: ND VI 3197h)には第31変奏まであるバージョンが載っていたとのこと。マイクロフィルムは残っているようですが未見、演奏も聴いたことがありません。

このパッサカリアは手鍵盤のみで演奏可能で、第17変奏のオクターヴのトレモロや、第18変奏のやけくそ気味の和音連打を見るに、オルガンよりはチェンバロやクラヴィコード向きと思われます。加えて第5変奏や第7変奏では低音がAAまで要求されるので、当時一般的な4オクターヴのクラヴィコードでは演奏不能、大型のチェンバロが必要となります。オルガンなら16フィートのストップで解決できるでしょう。

オーケストラ版も悪くないですね。

1717年3月26日の聖金曜日、死の床にあったヴィットの代役として、ヴァイマル宮廷のコンツェルトマイスターであったヨハン・ゼバスティアン・バッハがゴータで受難曲を上演しました。これがバッハの最初の受難曲である《ヴァイマル受難曲》BWV deest です。

これはおそらくマタイ福音書に基づく受難曲であったと考えられていますが、台本も音楽もまったく現存しません。しかし幾つかの楽章は後の作品で流用されていることが特定されており、それらを集めて失われた受難曲を再構成する試みが行われています。

1717年4月3日にヴィットは亡くなり、4月12日には “Concert Meister Bachen” に12ターレルの報酬が支払われた記録が残っています。


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