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サンレーシュの竪琴

中世末期の奇想を凝らした楽譜としては Jacob Senleches (fl. 1382) の、まさしくハープに書かれた《La harpe de melodie》も有名です。

Chicago, Newberry Library, MS. 54.1, f. 10r

この楽譜を収録するニューベリー図書館 MS 54.1、通称『シカゴ写本』は、CARLIデジタルコレクションで閲覧できます。現代譜例はIMSLPにて。

1391年の日付を持つこの写本は、音楽理論書のアンソロジー的なもので、音楽作品はこれ以外は無く、何故かこの曲だけが孤独に載っています。

Marchi, Lucia. “Music and University Culture in Late Fourteenth-Century Pavia: The Manuscript Chicago, Newberry Library, Case Ms 54.1.” Acta Musicologica, vol. 80, no. 2, 2008, pp. 143–64.

しかも、このシカゴ写本の楽譜には作者名が記されていません。

これがサンレーシュの作とされるのは、同曲が『シャンティ写本』に名前付きで収録されているからです。

ただし、こちらは普通の体裁の楽譜で。

黒白赤の音符が入り乱れる譜面を普通と言えるかはともかく。

後述しますが、この作品のテキストはハープの形に書かれていないと意味をなさない部分があるので、シャンティ写本版も元はハープ型の楽譜から写したものと思われます。

Codex Chantilly, f. 43v
下2段は別作品

シカゴ写本のハープ型楽譜は、ハープの弦に見立てた九線ないし十線譜で書かれています。

ただし普通の楽譜と違って、線と線の間には音符を置きません。弦の無いところで音は出ないですから。

チューニング・キーもちゃんと付属してます。

British Library, Add MS 42130, f. 13r

上3段の楽譜が歌詞付きの上声部、最下段がテノール。歌詞は A-b1-b2-a-A という順番で歌うヴィルレーという形式です。

(前上列 A)
La harpe de melodie
faite sans merancholie
par plaisir

doit bien chescun resjoïr
pour l’armonie
oïr sonner et veïr

(後上列 b1)
Et por ce je suy d’acort
pour le gracieux deport
de son douz son

(後下列 b2)
De faire sanz nul discort,
dedens li de bon acort
une chanson

(前下列 a)
Pour plaire une compagnie
pour avoir plaisanche lie
de me vir

pour desplaisance fuïr
qui trop anuie
a ceulz qui plaist a oïr

旋律の竪琴は
憂いなく
愉しみて成されり

諸人喜ぶべし
其の階調
其の響き、其の姿に

また其の協和
優雅
甘き音色に

不協和を為すなかれ
与えよ、良き協和を
其の歌に

友よ
愉しみ給え
我を以て

苦悩を逃れんと
憂えるものは
喜び耳傾ける

ハープの柱に巻かれたリボンにも何か書かれていますが、これは楽譜の説明です。

この説明も韻文で、わざわざリフレインまであるロンドーになっています。

Se tu me
veulez proprement
pronuncier

sus la tenur
pour miex
estre de cort

diapenthe
te covient
comenchier

ou autrement
tu seras
en discort

pars blanc
et noir per me
sans oublier

lay le tonant
ou tu li feras
tout- se tu etc.

Puis va cassant
duz temps sans
fourvoier

proinere note
en .d. prent
son resort

harpe toudis
sans espasse
blechier

par sentement
me puis
donner confort- etc.

汝、我に正しく語らせんと欲すれば

テノールの上に宜しく協和すべし

五度上に汝がカノンを開始せよ

然らずば不協和とならん

白と黒を忘れるなかれ

雷を置け、然なくば汝誤れり

汝、我に 云々

二度往くべし、誤り無く

「D」の符を寄る辺と観よ

竪琴は空隙を弾かず

我が意にて、安楽ならん

云々

上声部はカノンとして演奏することなどが知れますが、しかし「雷を置け lay le tonant」とは何のことやら。

テノール上の2声のカノンという形式や、ヒントの出し方などは Baude Cordier《Tout par compas suy composés》と似通っています。しかし曲調は大いに異なり、コルディエの《コンパス》がカノン形式から歯車のようなメカニカルな趣を引き出していたのに対し、サンレーシュの《ハープ》は目眩を誘う鏡の迷宮のよう。憂鬱に抗う戯れ、仄明るく病める幻想。

サンレーシュは実際ハープの名手として知られ、カスティーリャ王妃レオノール・デ・アラゴンや、対立教皇ベネディクトゥス13世となるアラゴン枢機卿ペドロ・デ・ルナに仕えました。彼の現存作品の数は非常に限られていますが、にもかかわらずアルス・スブティリオルの代表的作曲家の一人に数えられるのは、その作品の超絶的な難解さと質の高さ故です。

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