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基準ピッチの歴史

現在、楽器の調律などに標準的に用いられている A=440 Hz という基準ピッチが国際的な基準として提唱されたのは、1939年5月12日にロンドンで開催された5ヶ国(イギリス、ドイツ、フランス、オランダ、イタリア)の専門家による会議においてです。そのわずか4ヶ月後には第二次世界大戦が勃発しました。

https://worldradiohistory.com/BBC_YEAR_Book_Page_Key.htm

この基準が戦後1955年に国際標準化機構によって ISO 16  として採用されて現在に至っています。音楽の歴史から見ればつい最近の事でしかありません。

ISO 16:1975
Acoustics — Standard tuning frequency (Standard musical pitch)

Specifies the frequency for the note A in the treble stave and shall be 440 Hz. Tuning and retuning shall be effected by instruments producing it within an accuracy of 0,5 Hz.

https://www.iso.org/standard/3601.html

しかしながら、現在でもバロック音楽などを演奏する際には、それよりも半音低い A=415 Hz や、さらに半音低い A=392 Hz などのピッチを使用していますし、モダンなオーケストラでも A=440 Hz より高いピッチをとることがむしろ普通です。

今回はその辺の経緯も含めて、西洋音楽におけるピッチの歴史を振り返ってみたいと思います。

基準ピッチの不在

そもそも伝統的なヨーロッパの音楽理論には、本来決まった基準ピッチは存在しません。

音程や音律というものは相対的な関係によって規定されるもので、それぞれの音名が特定の周波数に絶対的な対応関係を持つ、というようなものではないのです。したがって絶対音感などというものは端から成立しませんでした。

一方、東洋に目を向けると、中国では十二律という基準ピッチの体系が古代から存在しています。十二律は律管という単純な笛の寸法で絶対音高が規定されるため、どれだけ遠い場所でも、あるいは遠い未来でも、ピッチを概ね正確に再現できます。日本でも遣唐使の吉備真備が唐から律管を持ち帰っています。

朱載堉『楽律全書』(1584) 十二平均律正律管

しかしヨーロッパではそんな尺度は存在せず、教会で聖歌を合唱する際は、リーダーである「先唱者」(カントル)が適当な音高で歌い始め、他のメンバーはそれに合わせて歌うということをしていました。旋法によってピッチを変えることも当たり前でした。

これはキリスト教会音楽における器楽の蔑視が原因かも知れません。声楽のみの場合は絶対的な基準ピッチの必要性は乏しいでしょう。歴史的なピッチに関する資料が十分に残されるようになるのは、器楽の隆盛する16世紀後半以降のことになります。

教会でもオルガンは比較的特別扱いを受けた楽器ですが。これもピッチの統制はありませんでした。オルガンの調律はピッチを下げるより上げるほうが容易なので(パイプを短くするのは長くするより簡単です)頻繁に調律をする裕福な教会ほどオルガンのピッチが上がるなどということもあったらしく、同じ町でも教会によってピッチが異なったりしたのです。

なお現代の視点からは、むしろ貴重なのは予算不足で改修のされなかったオルガンです。例えば金属製の閉管で、蓋のハンダ付けがオリジナルのものである場合、そのパイプは製造されて以来まったく再調律されてないことになります。そういった楽器を調査することで、昔のピッチや音律を知る手がかりが得られます。

アレクサンダー・ジョン・エリスによる古典的名著『History of Musical Pitch』(1880)には実物の楽器や文献から集められた A=376.3 Hz から A=570.7 Hz に至る幅広い例が載っています。

https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/665113

明確な基準ピッチが無いとは言っても、無論全くの無秩序というわけではなく、時代や地域によってある程度の基準が存在していたことは確かです。ここで興味深いことに、しばしば器楽と声楽で異なる基準が並行して用いられていたことが知られています。

イタリア

16世紀から17世紀にかけての北イタリアでは、器楽には主に mezzo punto と呼ばれる、現代の基準ピッチよりも半音程度高い A≒466 Hz ぐらいのピッチが用いられていました。

同時に、声楽には tuono corista と呼ばれる、現代より半音程度低い A≒415 Hz ほどのピッチが用いられました。なお、教会のオルガンは一般に mezzo punto のピッチで調律されていたため、合唱の伴奏をする際には全音下に移調して対応する必要がありました。

この mezzo punto と tuono corista の折衷的なピッチとして tutto punto があり、これは奇しくも現代とほぼ同じ A≒440 Hz ぐらいのピッチです。

イタリアでもローマのオルガンはピッチが低いことで知られ、17世紀初頭のフレスコバルディの頃には現代より全音ぐらい低い A≒392 Hz ほどでした。このピッチは corista di S. Pietro と呼ばれることもあります。ローマではこの低いピッチが全般的に用いられており、ローマで客演したソロ奏者用の楽譜がオーケストラに対して低く移調して書かれている例もあります。

ヴェネツィアでは、器楽には mezzo punto、声楽には tuono corista が使用されていましたが、18世紀半ば頃から間を取って tutto punto で統一されるようになります。これは corista Veneto とも呼ばれ、当時のオルガンのパイプから A=435 Hz ほどであったと見られています。

おそらくこのヴェネツィアの基準ピッチが18世紀後半にウィーンなどヨーロッパの他の地域にも広く普及していったようです。現代の A=440 Hz のルーツは大まかにはヴェネツィアにあるといえるでしょう。

フランス

17世紀のフランスの教会のオルガンは、現在の基準よりも全音程度低いピッチ(A≒392 Hz)で調律されていました。このピッチは ton de chapelle (礼拝堂の調子)と呼ばれました。

同様に低いピッチがオペラのオーケストラでも用いられ、ton de l'Opéra (オペラの調子)と称します。ton de chapelle と ton de l'Opéra は当時の資料でも同一視されており、違いはないようです。この ton de l'Opéra は17世紀のリュリの時代から18世紀半ば頃まで、パリの劇場で一貫して用いられていました。

一方、ルイ14世の宮廷楽団では、これよりもやや高いピッチが用いられていたことが知られています。この ton de la chambre(宮廷の調子)は、オルガニストのギヨーム=ガブリエル・ニヴェール (c.1632-1714)によれば 「ton de chapelle より半音高い」ということですが、現存する当時の管楽器からは A=408 Hz 程度であったと考えられ、また科学者のジョゼフ・ソヴェール(1653-1716)が1700年にうなりを利用してクラヴサンの音の周波数を測定した値からは A= 404 Hz となります。これは現在の基準よりも半音と1/4音程度低いという微妙なピッチになります。

Bruce Haynes, A History of Performing Pitch, 2002.

ヴェルサイユの王室礼拝堂を始めとする、いくつかの教会のオルガンは、17世紀末頃に ton de chapelle から ton de la chambre へとピッチが上げられています。おそらく合奏の都合のためでしょう。しかしどういうわけか、その後18世紀後半には、また以前のように低く戻されています。

王室でも野外の音楽を担当する「大厩舎 La Grande Ecurie」では、ずっと高いピッチが使われていました。この ton d'écurie(厩舎の調子)は、イタリアの mezzo punto と同じで、現在の基準より半音ほど高いピッチ(A≒466 Hz)でした。

ドイツ

ルネサンス時代のドイツの楽器事情については、ミヒャエル・プレトリウスの『De Organographia』(1618)が詳しいです。

https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/278580

プレトリウスによれば、世俗の楽器のピッチの Cammerthon(宮廷の調子)は、教会音楽のピッチである Chorthon(合唱の調子)よりも全音高く、また Cammerthon は Cornettenthon(コルネットの調子)と同じであるとされています。

コルネットはヴェネツィアが主な産地で、そのピッチは当然 mezzo punto でした

したがって Cammerthon は北イタリアの mezzo punto(A≒466 Hz)に、Chorthon は tuono corista(A≒415 Hz)に対応することになります。これは大変分かりやすいですね。

プレトリウスによれば、オルガンはかつては Chorthon で調律されていたものの、彼の頃にはほとんど Cammerthon になっていたということです。実際この頃のドイツのオルガンのピッチは、イタリアと同じく A≒466 Hz ぐらいが普通でした。

Haynes, 2002.

その後、フランス音楽がドイツで流行するようになると、フランスの ton de la chambre もまたドイツに導入されました。

この低いピッチが Cammerton と呼ばれるようになり、ヴェルサイユよりは少し高めの A≒415 Hz がバロック時代のドイツの世俗音楽の一般的なピッチになります。一方で教会のオルガンの高いピッチ が Chorton と呼ばれるようになって、結果プレトリウスとは言葉の意味が完全に逆転してしまいます!

このような経緯があるため、カンマートンだのコーアトンだのという用語は混乱のもとでしかありません。代わりに信用がおけるのは Cornetton で、コルネットのピッチは変化がなかったため、変わらず A≒466 Hz を意味しています。

基準ピッチの一元化と上昇

18世紀の後半には、ヨーロッパ全域でヴェネツィアのピッチ A=435 Hz が徐々に普及し、声楽と器楽のピッチが統合されていきました。

ウィーンでは早くも1760年代には A≒435 Hz が標準となり、さらに19世紀までに A≒440 Hz ほどに上昇しています。

パリのコンセール・スピリチュエルでは、外国人演奏家の受け入れと共に A≒435 Hz が導入されました。これが ton d'orchestre と呼ばれるようになり、18世紀の終わりには他のピッチに取って代わる標準となりました。

ただし教会のオルガンは変化から取り残され、前時代のピッチが残存する例が多くみられます。これは18世紀後半にはオルガンは人気を失い、もはや演奏会で用いられることもなくなったこと、そして教会の権威失墜による予算不足が原因でしょう。

演奏のピッチは輝かしさを求めて自然に上昇していく傾向があるようです。19世紀半ば頃にはヨーロッパのどこでも A=435 Hz より高いピッチが一般的になっていました。それも地域によって差があります。

19世紀後半のミラノのスカラ座のピッチは A=452 Hz で、他のイタリアの都市でも軒並み高いピッチが用いられていました。1884年にヴェルディは高すぎるイタリアのオーケストラのピッチを下げることを要請しています。

ヴィクトリア朝のイギリスでも高いピッチが用いられていました。1846年のロンドン・フィルハーモニック協会のピッチは A=453 Hz。19世紀後半にブロードウッドはコンサート向けのピアノを  A=455 Hz  で調律していました。1877年5月にロイヤル・アルバート・ホールでワーグナーが指揮をした際には、ピッチが高すぎて歌手が歌えないと彼は苦情を述べています。

元より音楽家はしばしば遠方に旅をし、ピッチの違いに悩まされていたのですが、蒸気機関の登場による交通の発達が問題をより顕在化させたといえます。ここに至って是非とも国際的な基準が必要になってきました。

国際基準の制定

ドイツのヨハン・シュライバー(1777-1837)は、4Hz刻みの52本の音叉からなる Tonmesser と称する音高測定器具を開発しました。

https://g.co/arts/jEswzJnmQfg3t2WP9

彼はこれを用いて当時のウィーンのピアノのピッチを測定した結果から、1834年に A=440 Hz を基準ピッチとして提唱し、これが同年シュトゥットガルトで開かれた物理学会で承認されました。しかし、この基準はドイツにおいても大した影響は与えなかったようです。19世紀半ばのドイツのピッチは A=450 Hz 程度を推移していました。

1859年にはフランスの政府と物理学者や音楽家からなる委員会によって A=435 Hz (A5=870 Hz) がフランスの公式な基準ピッチに定められました。

https://collectionsdumusee.philharmoniedeparis.fr/doc/MUSEE/0160708

しかしこれは19世紀半ばの時点においては、かなり古風で低いピッチであるといえます。当時のフランスの演奏家は通常 A=448 Hz 程のピッチを用いていました。委員会メンバーの一人であったベルリオーズは、ピッチを下げることは非現実的として反対しています。

ともかくも、フランス政府の定めたこの基準ピッチ Diapason Normal は、ヨーロッパ各国の間でも一つの規範になっていきます。

1885年にウィーンで開かれた基準ピッチに関する国際会議には、オーストリア、イタリア、ハンガリー、ロシア、スウェーデン、プロイセン、ザクセン、ヴュルテンベルクの代表が参加し、A=435 Hz を国際標準とすることが勧告されました。

1895年にはロンドン・フィルハーモニック協会が A=435 Hz を採用し、イギリスのピッチが引き下げられました。ただしイギリスでもブラスバンドやローカルな楽団では、1950年代に至ってもヴィクトリア朝の「シャープ」なピッチが残っていたといいます。

20世紀初頭の地点では A=435 Hz がヨーロッパで最も有力な基準ピッチであったといえるでしょう。しかしながらそれは現実の音楽演奏と合致したものとはいえませんでした。その頃のオーケストラは一般に A=440 Hz かそれ以上のピッチを取っていたことが録音からも分かります。

そもそも Diapason Normal の15℃で A=435 Hz という基準に忠実に合わせた管楽器でも、20℃の環境では A=440 Hz ぐらいになってしまうのです。結局フィルハーモニック協会は1896年に20℃、A=439 Hz に基準を修正しています。

アメリカの楽器製造業は、現実的な A=440 Hz を規格として用いており、1917年にはアメリカ音楽家連盟が A=440 Hz を公式に採用しています。しかしこれは本質的には Diapason Normal と異なるものではないのです。

The Musical Quarterly Vol. 4, No. 4 (Oct., 1918). https://www.jstor.org/stable/737883

つまるところ1939年のロンドンの会議は現状を追認したものであって、何かを大きく変えたわけではありません。第二次大戦の前後でオーケストラのピッチが5Hz上昇したなどということも無論ありません。現代のクラシック音楽のオーケストラのピッチは A=440~445 Hz あたりを推移しています。ピアノの調律は A=440 Hz ないし A=442 Hz が一般的です。流石に極端に高いピッチは姿を消しましたが、完全に統一されているということもありません。

一方で電子キーボードや打ち込み音楽は厳格に A=440 Hz を用いています。したがってポピュラー音楽の領域ではデジタルな電子楽器の普及とともに、かつてない精度でピッチの統一がなされているといえるでしょう

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