17世紀のクラヴィコード(151)
中世からルネサンスの初期のクラヴィコードについては以前に書いたので、今回はその続き。
クラヴィコードは16世紀頃まではヨーロッパ全域で盛んに使用されていたようですが、17世紀に入ると人気を失っていきます。
例外はドイツ語圏で、他にもイベリア半島、スカンジナヴィア半島の地域ではクラヴィコードが生き残りました。スペインの閉鎖的な修道院では20世紀前半までクラヴィコードが現役で使用されていたといいます。
クラヴサン大国であるフランスは、分けてもクラヴィコードとは縁がなさそうですが、古くはアテニャンの鍵盤曲集の対象楽器に Manicordions(モノコード=クラヴィコード)がありましたし、17世紀になっても Clavichordium や Manichordion の名は文献上には見られます。尤もフランス製のクラヴィコードは1台も現存せず、そもそも16世紀後半から17世紀前半にかけてのフランスは鍵盤音楽の暗黒時代にあって、オルガンやクラヴサンの音楽にしてもほとんど資料がないという有様です。
しかしながら、この頃のクラヴィコードについての主要な文献の一つはマラン・メルセンヌの『Harmonie Universelle』(1636) です。そこに描かれている Manichordion の図は、分割されたブリッジが特徴で、16世紀のイタリアのクラヴィコードとさほど違わないように見えます。音域はショートオクターヴではない49鍵の完全な4オクターヴ、弦は35コース、70本。鍵盤が突き出していないのは、アウターケースに収納されている状態なのか、それとも本体がこういう形なのか、この図からは微妙なところです。
このメルセンヌの伝えるクラヴィコードは2010年にPeter Bavington によって復元制作が試みられました。彼はインナー・アウター式ではなく一体型の楽器だと解釈しています。
この復元楽器の音はルネサンス時代のクラヴィコードと同じく、太く力強い鳴りっぷりで、またブリッジが分かれているため音域ごとに固有の性格が強く出ます。
ドイツからはミヒャエル・プレトリウスの『De Organographia』(1619) に3種類のクラヴィコードの図が載っています。2番の Clavichordium Italianischer Mensur とあるのは、16世紀イタリア風の分割されたブリッジを持つ楽器で、3番の Gemein Clavichord(普通のクラヴィコード)の図は、左右反転していますが、ともあれブリッジがS字型の曲線を成し、さらに弦がやや斜めに張られているのがわかります。このように斜めに弦を張ることで低音域の弦長を長くとることができるのです。
エディンバラ大学のロジャー・ミリー・コレクション所蔵の1620年頃の無銘のクラヴィコードが、その実例と言っていいでしょう(左右反転以外は)。
音質は明瞭ですが、やや厚みにかけるのは筐体が薄いせいだと思うのは安易な考えでしょうか。聴衆に向けて鳴り響かせるというより、弾き手が音楽と向かい合うための楽器と言えます。
17世紀後半には響板が手前に拡張して、鍵盤が突き出ない長方形のフォルムとなり、典型的なクラヴィコードのスタイルが完成しました。
現存する17世紀ドイツのクラヴィコードの多くは小型で簡素な作りで、ブリッジもS字型よりは直線のものが普通です。バッハやヘンデルが音楽を学んだのもこういった楽器によってでしょう。
クラヴィコードは1本の弦で複数の音高が得られるのが特徴の一つです。16世紀から17世紀のクラヴィコードは、1本の弦に3つか4つのキーを割り当てていましたが、18世紀に入る頃には1本の弦に2つまで、それも白鍵同士では弦を共有しないダブルフレットが一般化しました。
そして18世紀には弦を共有せず、全てのキーに独立した弦を備えるアンフレッテッド・クラヴィコードが登場してきます。
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