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「ワヒロ後の世界」を生きる

昨日のクソデカ感情は読んでもらえましたか?

正直わたしのこともワヒロのこともよく知らん人にはあまりにも不親切だったので、今日はより「自己紹介」に寄せて「ワヒロくんとぼく」について書こうと思います。

ワヒロそのもののプレゼンもしたいのですが、他の方もわかりやすくしてくださっている部分でもあるのでひとまず次回に回させてください。

ワヒロ以前の世界

よくある話ですがワヒロにハマる以前の記憶が曖昧です。

わたしは人より海馬の容量が少ないらしく(MRI撮ったら言われた)、もともとあらゆる記憶が疎かな人間ではあるのですが、それにしたってワヒロ以前の自分が何をしていたのか思い出せません。

高校生のときに「遙かなる時空の中で」シリーズにハマってからネオロマンス(コーエーテクモの乙女ゲームブランド。誠実な大人がよい作品を作っているのにイマイチ世間の主流になれないあたりワヒロと似ている)をぼちぼちプレイし、それなりに二次創作も楽しんでいたのですが、10年以上同じジャンルにいたわりに書いた作品の数はそんなに多くない気がします。

以前書いた自己紹介記事(読まなくていいです)でも少し触れたのですが、高校生のときからずっと精神科に通っていて、数年前までは特に薬漬けでした。2年ほど前に転院して診断が変わり、薬が大幅に減って、地獄のような体調の波に翻弄され、ようやく安定しはじめたところでワヒロに出会ったように思います。

ワヒロをDLしたのが2019年2月15日らしいのですが、そのころのわたしはひどく無気力でした。記憶がないので何を思って生きていたかはわからないのですが、睡眠の記録を見ると「朝4時まで眠れない日」「一日中眠り続ける日」を行ったり来たりしていてとにかくガタガタです。たぶんDLしたワヒロもログインしたりしなかったりだったんだろうと思います。そのころ「ウイルス討伐戦線」というイベントをやっていたのですが、参加することなく終わっています。

なんで切り替わったのかわからないが世界は変わった

記憶がないので記録頼みで話をするしかないのですが、睡眠の記録を見る限りわたしの世界が変わったのは2019年の4月頭です。

2019年3月、ワヒロの中では前半にホワイトデーイベント、後半にお花見イベントと形態の違うふたつのイベントをやっていました。ホワイトデーイベントのほうはストーリーだけ開いて、お花見イベント(伝説の「春の昨日の、その明日」です)のほうでわたしは生まれて初めてソシャゲのイベントというものに最後まで参加しました。期間が長かったことや人気キャラメインのイベントだったこともありわりと過酷だったみたいなのですが、はじめたばかりのわたしはランクアップ回復などに助けられ、右も左もわからないままに3ケタの順位につけました。他のソシャゲを知らないので単純に嬉しがっていましたが、はじめたばかりの初心者が無課金でとっていい順位じゃないんだよな……。ついでに言うとワヒロはイベントを走ると石が稼げる不思議なソシャゲだったので、このころのわたしはわりと好きにガチャを回していた気がします。

4月頭、まず切り替わったのは睡眠です。昼まで寝るのがあたりまえで目が覚めても布団から起き上がれなかったのが、突然朝7時に目が覚めるようになりました。あまりにも急に起きている時間と布団にいる時間が逆転したので「1日16時間連続稼働するのがつらい」とぼやいていた記憶があります。

起きているので、外に出かけたり絵を描いたりしました。せっかくだからワヒロの絵を描こうと思っていままでになく真面目にたくさん絵を描きました。「絵柄の文化が違う」とヒイヒイ言っていた記憶があります。ネオロマは少女まんがでワヒロは少年まんがなので……。

4月のイベントは「ヒーローショー」と「イースター」でした。どちらも明るい雰囲気で、報酬SSRもかわいくて、このころにはもうだいぶ楽しんでイベントを走れるようになっていたと思います。

そして考察は爆発した

大きな転機は4月末に訪れました。

4月28日、いわゆる「月刊ワールドエンドヒーローズ」の更新日です。

4月28日に更新されたのは3章の42〜45話。これを読んだわたしはスープカレー屋でラッシーが喉を通らなくなります(そんなことだろうと思ってカレーは先に食べた)。

特に衝撃的な展開があるわけではありません。ただ重要な情報が雪崩を打って襲ってくるのです。ここまでに読んだ2章までやイベストの情報が頭の中でぱちぱち弾けるような感覚とともにつながっていき、夢中で考察ツイートをしました。

わたしはそれまで考察というものをまったくしないオタクでした。なんなら原作沿いの二次創作もめったにせず、変なパロばっかり書いていました。それはそれでプライドをもってやっていたのですが、とにかく「読んだテキストの細部を覚えておく」ということができず、「テキストを丸呑みして頭の中に生命のスープを作り、そこにパラレル要素をスパークさせて二次創作を生む」みたいなことをしていました。

それが、この瞬間「原作を細部まで読み込まなきゃ!」という使命感にかられ、1章と2章をメモを取りながら読み返すという行動に出ます。そんなことは生まれて初めてしました。なんならネオロマのゲームをやっているときだってイベントを取りこぼしても気にしない質です(ネオロマはリアルイベントのミニドラマとかもあってすべての展開を追い切れないというのもありますが)。ワヒロが提供してくれるものを余さず噛みしめたい、と思ったのです。

とにかくワヒロについて考えるのが面白くて、ネオロマメインだったTwitterアカウントでずっとワヒロの話をしていました。当然ですがひとりです。ひとりで踊り狂っているのがつらいわけではありませんでしたが(その前からひとりで踊り狂っているのが普通だったので)、他の人の考察も読みたくなりました。ふせったーを漁ってはいましたが、そろそろTLを埋めるのも申し訳なくなっていたので、4月30日、ついにワヒロ用のアカウントを作ります。

それまでのわたしなら考えられないことでした。話題によってアカウントを分けるのは煩雑だし「美学に反する」くらいは思っていたのです。実際アカウントを分けることに向いているわけでもないので本アカで以前のようにツイートはできなくなってしまいましたが、それを申し訳なくは思うものの後悔はしていません。

書いて、書いて、書いて

それからはずっとワヒロのことを考えていました。月に二回のイベストを読み、メインストーリーの更新があればふせったーを飛ばし、気になることがあれば手持ちのストーリーを読み返し、何かに突き動かされるように二次創作をしました。

何年も放置していたpixivに次々と小説を公開しました。ネオロマでは二次創作をしてもprivatterにあげていたので、pixivにはほとんど作品を公開していません。pixivに公開したワヒロの二次創作小説は60作品を超えます。ワンドロのまとめなど1作品に複数のSSをまとめているものもあるので、実際にはそれ以上の数を書いています。

書きはじめてしばらくは「評価されること」そのものに驚きました。わたしはネオロマジャンルでは攻略対象どうしのBLを書いていて、プロフに地雷だと書かれることはあっても広く評価されることなんてなかったのです。ブクマが10を超えると通知が10刻みになることもそれまで知りませんでした。

興味深く評価の数字を眺めていると、閲覧数に対してブクマ数が妙に多いことに気付きました。作品ごとにばらつきはありますが、その比率に気付いたときは「閲覧数の1割程度ブクマがついている」と思った記憶があります。他の流行りジャンルを見ても、そんな高い比率でブクマがついているものはすぐには見つかりませんでした。

「なんて温かいジャンルなんだろう」と思いました。ネオロマだって冷たいジャンルではありません。でも攻略対象どうしのBLは茨の道すぎた。「ネオロマでBLやってる人間はどこのジャンルでもやっていける」という名言を残した人を昔フォローしていましたが、皮肉なことにその通りでした。

反応が温かいのはpixivに限った話ではありません。Twitterでも、ワンドロに参加したりSSをあげたりするとどんどん反応がきました。作ったばかりのアカウントでフォロワーも全然いなかったのに、本アカの十倍は通知がきました。

ワヒロが面白かったのが第一ですが、オタクの反応がここまで温かくなければここまでたくさんの作品は残せなかったでしょう。

ワヒロと駆け抜けた1年とその先

2019年4月末に「面白い!」が爆発してから数えれば、わたしがワヒロと一緒に走ってきたのは1年と少しです。1年あまりで60以上も二次創作小説を書き、同人誌も2冊出しました。

ワヒロにハマる前は長いこと二次創作小説が書けずにいました。一次創作は二ヶ月に一度ある賞の締切に合わせて原稿用紙30枚を書いたり書かなかったりしていましたが、思うように書けないと悩み続けていました。

ワヒロで小説同人誌を出すために、わたしはどうしても長編が書きたかった。長編には構成が必要です。そこはわたしの弱点でもありました。キャラクターや情景を書くことはできるのですが、ストーリーに起伏をつけることや「長編である意味のある長編」を書くことができず、2万字より多く書くのはだいぶ厳しい、と考えていました。

どうしても長編が書きたかったので、必死になってプロットの立て方を勉強しました。三幕構成、キャラクターを動かす原動力、クライマックスを劇的にする方法。今でも上手にできるとはいえませんが、「使えるプロットを立てること」「プロットに基づいて長編を書くこと」はわたしにとって大きな挑戦であり、上々の第一歩を踏み出したと考えています。

何もかもワヒロのおかげです。昼間起きて活動ができるようになったことも、小説を書く楽しさを思い出したことも、苦手なプロットに挑戦しようと思ったことも、全部ワヒロがなければこうはなりませんでした。

この1年あまりを「濃密で意味深い」と表現したのはそういうことです。

毎日楽しくて、やりたいことを思いきりやって、これからやりたいことも見つけて、この先何年経ってもわたしはこの1年のことを重要な転機だったと振り返るでしょう。生まれて初めての経験をたくさんしました。

ワヒロに出会ってわたしの人生は大きく姿を変えました。もうサービス終了が発表される前の自分には戻れないのと同じように、ワヒロと出会う前の自分に戻ることもできません。「ワヒロ後の世界」がこれからどんな姿になっていくかはわかりませんが、ワヒロがくれたものをしっかり握りしめながら大切に生きていこうと思います。

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