見出し画像

河野裕子 没後十年特集

角川短歌2020年8月号「河野裕子没後十年記念特集」を読みました。

河野裕子さんの全歌集についての評を年を追って掲出してあり、河野裕子の人生を知ることができました。

私は河野裕子の短歌と言えば、夫の永田和宏さんに対する恋歌というイメージが強かったのですが、彼女が結婚してからの歌は、母性というか、女性性をテーマにしていることを知りました。
結婚後妊娠して変わっていく自分の身体について歌った歌は、自分が女性として生まれた意味がこういうことだったと自覚していく過程を歌っていて、やはり出産は女性のアイデンティティと不可分であると認識させられました。
またそれと同時に、子育てに追われる毎日や子供が独り立ちした後を歌う以降の歌は、女一人家庭を忙しく切り盛りすることで時間に追われて余裕のない気持ちを明け透けにストレートに出したり、子供がいなくなってガランと寂しくなった家の中で、結婚当初の頃とは変わった夫との関係も歌われており、また自分の核に歌を詠むことがあるという認識が戻ってきた、そんな人生の流れを感じました。

現代に生きる女性の一生は、河野さんが生きた時代より選択肢は多くなったと思うけれど、まだまだ女性というしがらみは社会のあちこちに存在していて、相変わらず女という性独特の身体的な不自由さからも逃れることはできません。
そんな中でも、そういった要素を負と捉えずに積極的に受け入れようともがいた一人の女性の生き方に触れた気がしました。
時代は少しずつ変わっていっても、もがく姿勢は変わらないように思います。

最後に、恋歌については永田さん側からの捉え方も家族間対話の形で掲載されていて、その点も面白く読みました。
正直河野さんのあのストレートで情熱的とも言える恋歌を受けて、永田さん側がどう感じていたのかは興味がありましたが、当時はやはり衒いがあったとのこと。
しかし、没後十年、いまだ詠んだ歌を河野さんが読んだら何と感想を言ってくれるかと思いながら詠み、できた歌集を仏前に備えるとのことで、永田さんにとって河野さんは「自分の実力を最大限に拡げてくれる人」だったと振り返られておられていて、感慨深いものがありました。夫婦間で色々あっても、夫にそんな風に言ってもらえる妻であったことも、河野さんの生きた証の一つだったように思えてなりません。

河野さんの歌は、言葉の技術的にも修辞やオノマトペの繰り返しの用い方等にも特徴があるということも、評者の方々の評論を読んで理解できたので、今後また河野さんの歌を読み直す時にその点も楽しめたらと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?