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写真批評 サシイロ 22 魂の故郷を探し求めて 〜奈良原一高

 先日NHKのEテレ日曜美術館で写真家奈良原一高の特集「魂の故郷を探し求めて」という番組が放送された。

 奈良原一高は、前から気になっていた写真家の一人である。私が彼を知ったのは、「王国」という写真集で、修道院や刑務所などの閉ざされた空間で撮られた写真なのだが、その施設内の規律が支配する重々しい空気を切り取ったのではなく、むしろ規律があってもその中でもふと表れてしまう人間らしい瞬間を撮ったもので、それが妙に絵画的だったので印象に残っていた。

 番組内でも同世代の美輪明宏氏が説明していたが、奈良原の写真は日本画や仏画に通じる雰囲気や構図であったり、シュルレアリスム的な画であったりするのだが、「王国」はそういった絵画的な要素が特に濃く表れている写真集になっている。

 奈良原の写真を理解するために、奈良原の生い立ちは非常にヒントになると思う。彼の生い立ちについては、今回番組でよく知ることができた。

 奈良原は戦争体験者で、検事の父の影響で、法律を勉強したが美術への思いが捨てきれず、親の反対を押し切って美術史を専攻したとのことである。私も法律を勉強した身なのだが、法は、社会科学分野の一つであり、社会を俯瞰的に捉えた一つの型である。そうした分野の学問をしてきた者は、人々の個々の生活の中にある、全ての人間に共通する大きな真実を見たいと思うのである。奈良原は、自分が美術を学ぶ上で身につけていたアートの基礎構図をベースに本来人々の生活の一瞬である光景を絵画的に昇華させ、抽象化させることで、逆に「規律」というものの存在や、そこからはみ出してしまう人間らしさを社会的な主張とは切り離して、ただ一つの真実として表現したかったのだろうと思う。その点を番組では、土門拳の写真と対比して紹介していたのがまた一つの工夫だったように感じられた。

 しかし、奈良原は30代で日本を捨て、ヨーロッパへ渡ってしまう。この点について、番組では色々な見解が述べられていて興味深かったが、私は奈良原自身の中で、アート的な構図の枠組みに縛られていることに限界を感じたのではないかと考える。実際、奈良原が携わったというファッション誌の写真は今回初めて見たのだが、カラー写真でグラフィックとして見てもバランスが取れていて美しく、デザイナーとしての彼の技術も素晴らしかったことがわかる。しかし自分が本当に見たい「真実」とは何か、それはどうしたら表現できるのかということを考えた結果、一度戦争で経験したように、全てをゼロに戻し、イチから自由に物事を見たいと思ったのだろう。

 最後に奈良原が見つけたのは、宇宙へも繋がる悠久の時間の流れの中で確かに生きている人々の命であり、それが「消滅した時間」の作品に結びついた。彼が結局表現したかったのは、死に裏打ちされた生への賛歌だったに違いない。

 新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、美術館も閉館しているところが多く、美術展も中止になっている。しかし、やはりアートに触れると、それを創作したアーティストが生きた時代は違うとはいえ、現代に生きる私達と何ら違わない思いを抱いていたことに時を超えた人間共通のロマンを感じて、心が慰められる。今、こういう時だからこそ、メディア等でぜひアート鑑賞の機会を多く設けていただければと切に願う。 

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