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作歌のヒント(新版) 〜永田和宏

 歌人の永田和宏さんの著書「作歌のヒント 新版」(NHK出版)を読みました。
短歌を作るための心構えのようなことから、修辞や技法に関すること、また歌会で他人の歌を読み込むことの意味などについても言及されていて、とても幅広い内容になっています。

 短歌を作る上で一番大事なのは、永田先生が何度も書かれていたように、「全部を書かないこと」なのだろうと思いました。これは、自分の心の動きを全部説明しようとせずに、読み手に投げてしまうこと、もっと専門的に言うと、結句に落ちを付けないこと、ということです。
心の動きを説明しようと形容詞に頼りすぎたり、自分の心が動いたりした時の情景をそのまま細かく歌の中で書こうとしない方が趣きが出るということは、実は初心者にわからないことなのです。

 この「書きすぎない」ということは日本の短歌に限らず、漢詩などにも言えることかもしれません。
 最近四字熟語を色々と調べる機会があったのですが、近頃咲き綻んでいる梅を指して「雪裏清香」という四字熟語があるのだそうです。
 梅の香りは非常に香り高いものですが、雪が積もっている、その下から芳しくそれでいてすっきりとした香りがする。それは春の訪れを告げる梅の花の香りだという意味の漢詩から来ているのだそうです。
 実際に雪の下から花の香りがするわけではないと思います。雪の季節の次に来る初春、それを告げるのは梅だから、そういった詩ができたのだろうと推察できます。

 また歌会に参加することの意義についても理解できました。
 歌を詠むことを習慣化したり、歌を詠むことにてらいがない状態にしたりするためなのは何となく理解できますが、それよりも他人の歌を詠むことが重要だという点については、完全に盲点でした。

 他人の短歌を読む時、詞書(その歌を作った時の状況の説明)が付いているとわかりやすいですが、基本的にない状態で読むと、何のことを詠んでいるのかわからないことが多々あるので、イマイチ感動しないんですよね。
 明らかにこれは恋を歌っているなとか、子供の成長を喜ぶ歌だなとか、また逆に死を前にしたやるせなさを歌ったものだとかいうわかりやすいものだけでなく、一見してわからない状態の歌について、そのわからない部分を読み手が想像により埋めて解釈していく作業が歌人として半分くらいの仕事を占めると言っても過言ではないという記述は、目から鱗でした。

 どんなに著名な歌人の歌にも駄作はあり、その駄作というものは、歌った状況がよくわからないからというパターンがあるように思いますが、もう一度好きな歌人の歌を読み返してみたくなりました。

 何事も伝統のある事柄については、その伝統の軸になる価値観がそこに存在していて、その価値観をまず自分のものにする必要があります。それが長い年月の間、脈々と人々の心に響き、人々を感動させてきた要素だからです。
 というわけで、まずは永田先生も薦めていらしたように、好きな先人の歌を書き写すなどして、その言葉の用い方や調子などを深く理解することをやってみたいと思います。

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