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生活保護額は何を基準に決めるべきか


まえがき

生活保護に関わる社会の動き

生活保護費(生活扶助費)をめぐって長年デモ活動が盛んな人達がいるようです.この手のデモ活動は少なくとも私が子供の頃,20年以上は前から時々ニュースになり,生活保護基準の改訂があるたびに聞いてきました.自分たちが貰える額が少なくなるので抵抗があるのは理解できますが、何の根拠もなく基準の増額を主張する彼らには、正直あまり印象はよくありませんが、デモ活動の様子を伝えたニュースは枚挙に暇がなく,サムネイルはその一つである朝日新聞さんのものを拝借しています.

これを今とりあげた理由は今年まさにその基準の改定があったためです.
確かに,最近いわゆる生活保護費を政府はどんどん削っており,生活保護を受けている人は受け取れる額は(相対的に)減少傾向にあることは間違いないようなのです.

さて,この記事では実際に生活保護基準を上げるべきか下げるべきか,外国人にも受給すべきかなどといった生活保護に関する問題はさておいて,生活保護の基準額はどのように決めるべきか,思うところを述べてみようと思います.

前知識

現在の生活保護基準の決め方

ではまず,そもそも現在の生活保護基準がどのような思想で決められているかについて触れようと思います.手順や経緯については触れません。
(ただし私はこの手の専門家ではないので間違えていたらすいません)

調べてみると,生活保護基準は最終的な権限は厚生労働大臣が決定すると法律上明記されており,具体的な手順としては「社会保障審議会生活保護基準部会」なるものが厚生労働省内に組織されて議論の上決定されているようです.少し古いですが主に参考にしたのはこちら↓

そしてこの額は5年に一度見直しされ,前述したように2023年はちょうどその改訂の年でした.その結果,世帯によっては金額が下がる場合があったようですが,新型コロナウイルス感染症や物価上昇などの影響で「臨時的・特例的な措置」が実施されました.この措置により一定額を上乗せし,それでもこれまでの生活扶助費の金額より下がる場合には、これまでの生活扶助費の金額からは下がらないするという措置が取られています.この「臨時的・特例的な措置」はとりあえず2024年度までは実施する予定ですが,仮にこれで措置が打ち切られる場合,2025年度からは生活扶助費の下がる世帯が出てくることになります.

さて,重要なこととしてこの改訂は,「生活保護を利用していない低所得世帯の消費の実態とバランスが取れているかどうか確認するため」に行われていると説明されているようです.これについては歴史的に色々あったようですが,「水準均衡方式」と呼ばれ,要は「生活保護を受けていない中で最も貧しい人と同等程度」になるように生活扶助費を決めるということと理解しました.これを基本として,あとは世帯の人数や年齢などで決めていけばよいということになります.

水準近郊方式の問題点

一方で,この水準均衡方式には明瞭な問題点があります.いわゆる「ワーキングプア」の存在です.つまり生活保護を貰わずに働いているにも関わらず,十分な賃金が受け取れず,働きながら貧しい人がいます.
もちろん働いていない人は基準から除外するとしても,彼らは働きつつ最低辺に貧しいのです.この人たちをどうにかすべきという別の社会問題はさておき,完全にゼロにすることは不可能であるとするならば,「生活保護を受けていない中で最も貧しい人」そのものであるために,水準近郊方式では生活保護基準のまさに基準となる人たちです.

ただしそんな人達の生活の醜悪ぶりは目を塞ぎたくなるものがあり,とても「健康で文化的な最低限度の生活」とは言い難いと考える人が多いようです.これの原因は外国人労働者の差別的な扱いや,労働基準法違反など色々ありますが,いずれにしても(感情的に)基準にしたくないのは私も理解できます.

これをきちんと言い換えれば「最下位層の消費水準との比較を根拠に生活保護基準を引き下げることを許せば、保護基準を際限なく引き下げていくことにつながる」ともいわれています。この「際限」をどこに決めるかは最終的には厚生労働大臣の責任で決めるとはいえ,少なくともその説明はあるに越したことはないと思われます.この問題点は別に私が言い出したことではなく、10年以上前から色々な人達が指摘していることです。

本論

そもそも生活保護は何のために?

では、生活保護基準の決め方を議論する前に、そもそもどうして生活保護は存在する、つまり生存権は何のために存在するのでしょうか?私がこのnoteで目指すのは「合理的」な記事ですから、生存権が云々と話す前にそれを明確にしなければいけません。

これは基本的人権や基本権と呼ばれる概念とも深く関連し、長い長い歴史があるので簡単に述べることはできませんが、誤解を恐れず極端に言えば「かわいそうだから」と「自分が死にたくないから」に尽きると私は理解しています。

少し極端ですが、例えば「殺人」はよくないことであるのは、いつでもどこでも誰の目にも明白だと思います。これは倫理的問題もありますが、少なくとも合理的問題の範疇としては、「誰もが殺されたくないから」が理由の一つであると解釈することができます。つまり、誰もが殺されたくないと願っているので、これを罰するルールを社会のルールのひとつとして定めておくことで、自分がいつ殺される側になるかもしれないというリスクを低減するという極めて合理的なルールです。

これと同じように考えると、誰もが病気や事故等で急にこれまでの生活を脅かされる可能性があるため、このような事態になった場合のセーフティネットとして生存権が存在すると解釈しても問題ないでしょう。

もちろんこれ以外にも生存権が行使されるような社会的弱者を救済しないと犯罪が横行するとか、彼らを救済することで自尊心を満たすためとか、彼らによる(一揆のような)社会的蜂起を抑止するためとか、様々な合理的理由も考えられます。これらは仮に存在したとしても憲法や人権規約のような理念を掲げた文章には似つかわしくない理由なので明記されることはないでしょうが、生存権を深く解釈するためには必要な理由です。

生活保護基準に必要な条件たち

さて、前置きが非常に長くなりましたが、ここからが本番の部分です。前の章で述べたような「生存権が存在する理由」を鑑みると、生活保護基準を決めるためには以下の条件が必要であると私は考えます。

  • 生活保護受給者の生活が、将来そうなりうる非受給者から見て安心できないほど悲惨なものではないこと(社会的安心のため)

  • 生活保護受給者が、貧困を理由に窃盗などの犯罪に手を出さない程度の額であること(生活保護による治安維持のため)

  • 生活保護受給者の生活が、非受給者から見て「生活保護によって彼らの生活を救った」と思える程度であること(自尊心確保のため)

  • 生活保護受給者が、集団で一斉蜂起するといった社会的不安定を促進する行動を取らない程度であること(社会的安定のため)

上の条件は、前の節で低減した生活保護の存在意義そのものです。
そしてもちろん

  • 生活保護費が社会保障費として政府が負担可能な範囲であること

この条件も必要不可欠です。例えば将来人間の労働生産性を奪うような社会の変遷(いわゆるニートや引きこもりの増加など)や、疫病の流行、経済停滞などがあった場合、生活保護基準を下げなくては生活保護そのものが破綻するので、定めざるを得ない条件です。

最後だけは数字で現れるので比較的わかりやすい条件ですが、問題は最初の「非受給者から見て」という主観的な部分です。結局は生活保護費を負担する側である非受給者の倫理観や価値観に依存する項目であるため、非常に個人差が強く、定めにくい基準になってしまいます。

特に近年の日本では、長期に渡る驚異的な経済停滞によりバブル時代を知る高齢な世帯と、その後の停滞時代しか経験していない若者世帯で価値観の乖離が激しくなっていると考える人もいます。高齢の方の価値観で生活保護基準を定めると若者世代からすると贅沢になるということも起こり得ます。経済がどんどん成長してくれれば、そもそもこんなことが起こらないわけですが…。

結局は情報公開を

この記事のタイトルでは「生活保護の基準はどうあるべきか」という偉そうなことを言いつつ、結局のところ「価値観による」という曖昧な結論に達してしまいました。これを解決するためにはどうすればよいかというと、やはり情報公開しかないのではないでしょうか。

人間の価値観に頼った基準でしか議論できない内容なので、結局どのような基準を定めても納得しない人間は多くでてしまいます。ですから重要なことは「基準をどこに定めるか」や「基準を納得する人間を最大にすること」ではなく「基準を定めるために『手を尽くした』感を出すこと」だと思うのです。
生活保護基準に納得できない人間がいたとしても、それを定めるために膨大な議論や意見聴取、調査を経て定められたことを知れば、一応納得したり引き下がったりするはずです。必要があれば生活保護そのものの議論にも繋がります。このように誰もが納得しえない生活保護基準においては、しっかり議論されたことを前提として、情報公開をすることで納得をさせることが唯一の方法なのではないでしょうか。

少なくとも私のような素人が調べた範囲では、生活保護がどのような基準や議論を経て、またどのような意見を取り入れて定められたかという情報を見るけることはできませんでした。「お前の調べ方が悪い」と言われればそれまでですが、素人が簡単に見つけられるような媒体や手順で公開されていなければ意味がないと思うのです。現代の高度な情報化社会であればそれほど難しいことではないと思うのですがどうでしょう?

まとめ

この記事では生活保護基準、すなわち生活扶助費をどのような基準で定めるべきかについて、素人の視点から述べました。結論としては

  • 生活保護基準はそもそもからして生活保護の「非受給者」の視点で定められる側面がある

  • 生活保護基準の良し悪しは結局のところ関係者の価値観や倫理観といった主観的要素を多く含む

  • 生活保護基準を多くの人に納得してもらうためには、基準そのものよりも、それを十分に議論したという証拠を積極的に公開して納得を誘うことが重要

というように私カゲラボは考えます。
意見や補足情報があれば教えてくれると喜びます。

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