書いてみたくて始めたけど、どう書いていいか分かんないから、芸術の話をしてみる。

noteを読んでいて、自分も書きたくなってしまったので、勢いで何となしに始めてしまった。

普段文章を書くときはもうちょっとアイデアなり、プロットなりを考えてからやるのだが、とりあえず書きたかったのだ。ぐだぐだと続く文になるだろうが、気長に見ていってほしい。

プロフィールに書いてある通り、自分は絵を描く人間である。加えて芸術大学で絵を学んでいる所謂、芸大生というやつである。

芸大生ってなんかヤバい奴が多いよね、という世間のイメージを大幅に裏切ってしまうような普通の人間だ。
髪の毛だって染めたことないし、尖りまくった服装もしない、ごくごく普通である。学内でつなぎでうろつくことはあるけどね。

戦隊ヒーローが組めそうなカラーリングの髪の人は一通り見たことがあるのがちょっとした自慢だ。

いや、こんなことはどうだっていいことだ。会う度に髪の毛の色変わる人間がいるような個性の集合体において、埋没しないくらいの自分がほしいと芸大生の友人は言う。自分から言わせれば、友人も相当なのだが…

人は簡単に個性的だねと言うけれど、それは何をもってして個性的なのだろうか。

そもそもの個性の定義ってなんだ。

知るかよ、そんなもん。
これが答えである。
そもそも個性って自分で作るもんじゃないし、自分が自分でいて溢れてくるもんでしょうに。

でもみんな個性的な自分を求めたがる。自分は世の中のその他大勢の群衆とは違うのだと思いたいのだろうな。誰だって自分は特別だって思いたいのだ。

芸術でも世に名を残してるのは、特別な人達だ。個性的で何かで飛び抜けてすごい能力を持っている。ダ・ヴィンチにしろ、ゴッホにしろ、ピカソにしろね。世界の歴史に名前を残して、その作品が何億、何十億で取引されるやべー奴らな訳だ。

そんなやべー奴らだけど、世間の人からすると何がすごいのか分からないと言われることが非常に多い。

何がすごいのか分からないから、近付きにくいみたいな感じ。ピカソは落書きみたいだし、ポロックは絵具を散らしただけだ。デュシャンに至っては自分で作ってない。

簡単に言うとだ、ピカソより普通にラッセンが好き~🎶というやつだ。目に見えて綺麗だし、上手いのが分かる。ダ・ヴィンチとかミケランジェロとかの辺りだと上手さが目に見えて分かる。

しかし芸術史ではそれらのアカデミックな絵画への反抗で印象派絵画が生まれ、その後にキュビズムだのシュルレアリスムだのモダンアートだのコンセプチュアル・アートだのが来る。現代アートと言われるものは、もはやこれはアートなのかと疑わしいものも多い。

ピカソすら理解できてないのに、その次の次の次くらいが来ちゃってるような感覚だ。置いてきぼり感が半端ないのだ。

大丈夫、あんなの芸大生だってわからん。

知ってるよ、ものとしてはね。授業でしょっちゅう出てくるし。

でもね、すごさってパッと見じゃ解らんのだ。解らんから困る。だがしかしそれが芸術。ほら一周回ってもう分からん。

すごさを理解する方法は、知ること、これに尽きるんじゃないかな。知らないとそのすごさがどれくらいすごいのかすら分からない。

締切がとてつもなくヤバいときは、寧ろなんか落ち着いちゃって無敵になっちゃうみたいな。知らない時の方ができる気がしちゃうんだよね。

歴史的な流れがあって、背景があって、今の芸術がある。今のほんの一部を切り取って見てるだけじゃ理解はできないんだろなぁと。基本的に芸術は反抗して反抗して反抗して進化してきたものだ。既存のものには無い価値を見出すことが、芸術になっているというような。

だから、現代アートはコンセプチュアル・アートって言われるくらいにコンセプトが大事になってる。自分のアイデアが新しい価値を作る。デュシャンがそうで、既製品の便器に自分のサインを書いて作品にしてしまった人物だ。便器が芸術になる時代なのだ。

すごいよね。それまでは作品は自分で作るが当たり前だった。それが自分はコンセプトを考えて企画して、実際には他の人に作らせてみたいなことは往々にしてある。

もう何がアートじゃ!!とキレ散らかしそうになったと思う。自分も既になっている。言わんとしていることは分かるが理解したくない。便器が作品だなんて認めたくない。大概こうなる。

世の中の人の思う上手いは、本物そっくりに描けることだ。そうだ、本物と同じように描けたらそれは上手いのだ。しかしそれが一番よくて、すごいのだとしたら、写真撮ればいいじゃんってなる。だって自分で描くよりも本物そっくり。本物そっくりに描くことに価値があるなら、写真や映像が発達した現代ではわざわざ絵を描く必要が無くなる。

絵はフィクションだから、絵でしか描けないものがあるから、絵を描くのだ。

本物そっくり≠すごい絵

これってすごい大事なことで、上手いからすごいじゃないから余計芸術が分からなくなる一因。

でもそれよりも大事なことがある。

すごい絵=自分の好きな絵じゃなくていいということ。

好き嫌いはみんな誰しもあって、美術においてもそうで、ピカソはすごいけど自分はそこまで好きじゃない。マグリットとかダリの方が好き。(シュルレアリスムの画家)だけど、ガチガチにアカデミック絵画のミケランジェロやカラヴァッジョも好き。

すごい絵だから、自分も好きじゃなきゃいけないなんてことはない。

自分の好きは自分で決められる。絶対的な正解がないから、自由に考えられる。美術館行って、「あ、なんかこれいいな」って思ったやつが好きなやつなんです。それが無名の画家の作品でも、保存状態が良くなくても、未完成品だったとしても、自分がいいと思った絵が一番いい絵。

気楽でいいんです。美術館行くのとか、らく~に行っちゃえばいいんです。そんな詳しくなくていいんです。これ色好き!とか、構図かっこいい!!とか、描き方好き!!!とか、そういうのでいいんです。

楽しく観ることが一番大事なんです。

芸術を分かんないままでも楽める方法はあるので、全然大丈夫。ただ知ってればもっと楽しくなれるってだけの話なんで。その知るってとこがめちゃめちゃに多くて深くてハードなんだけど、知れば知るほど世界が広がって見える。今まで見えていたものがより面白くなる。あとサイゼでドヤれる(サイゼによく描いてある絵画あるよね、あれの見え方すら変わるよ)。

初めてなので、拙いところあったと思うけど、思うとこを書き連ねてみました。
色々と意見はあると思います。これはほんと個人の一意見なので、人それぞれに考え方があっていいと思います。考え方が違うからこそ、面白いんだと。

それでは今回はここまでにしときます。読みにくくてすまんね。