安スケッチブックに詰め込んだIdentity
天音かなたは、比較的裕福な家庭で、日本のとある地方で育った。幼い頃から人形遊びが好きで、よく両親にねだっていた。
特に人形を着せ替えるのが好きで、琴線に触れる意匠を目にするにつけ、子供心に心震わせていた。
その気持ちが明確な形になったのは、小学生の頃だった。この世に服屋という商売があることを知り、将来の夢は服屋さんになることだと言っていた。
そして中学生にあがり、高校生になったとき、かなたはついに服飾デザイナーというものを知った。
幼心に抱いた服への憧れは、服飾デザイナーという目標へと変じたのであった。
毎日スケッチブックに洋服のデザインを描きこんでいった。時には自身の拙さに頭を抱えることもあったが、スケッチブックの冊数は日に日に増えていった。高校を卒業する頃には、その数は100冊に至らんばかりだった。
そうして、かなたは決意する。
両親の反対を押し切る形で上京。都内環状線外の安アパートに居を構え、デザイナーの専門学校に籍を置く。
高校三年間を費やして励んだかなたの実力は、実際、入学当初から際立っていた。独学で身につけた技術は、体系立った知識によって合理性を備え、洗練されていった。
さらに、いままで日本の地方でスケッチブックばかり覗き込んでいたかなたは、世界の広さを知った。
Alice in N.Y.――アメリカはニューヨーク、マンハッタンにて、毎年9月に開催される服飾の祭典。パリコレとは違い、アートではなくデザインを競い合うランウェイ。
一週間にわたって開催されるそのファッションショーの最優秀者には、デザイナー、モデル共にアリスの称号が与えられる。
その年の、ランウェイという名のバトルステージで最後に生き残ったかの意匠を、未だにかなたは瞼の裏に焼き付けている。
アリスと呼ぶにふさわしい、あの姿を――
それからかなたは、遮二無二デザインの勉強に打ち込んだ。アリスに感化されたかなたの情熱は、寝食を惜しんで筆を執らしむるほどだった。
しかし、日本の社会は、異端を許さない。出る杭を叩かずにはいられない。それが、クリエイター気質という拗れたプライドを持つ村社会ならば、なおさらのことであった。
端的に言えば、かなたは学生の輪から排斥された。それが、高校生を卒業したての、子供心からくる嫉妬心由来のものであった時は、まだかなたも歯を食いしばれた。
大人たちが、異質なものを恐怖し始めたとき、村はすべてかなたの敵に変わった。
よくも悪くもかなたもクリエイターであった。ネガティブな環境に晒され続けたかなたの心は忽ち弱り、光り始めたダイヤモンドの輝きも曇っていった。
――そしてかなたは、筆を折った。
燃え上がるような情動の、その反作用のようにかなたは塞ぎこみ、専門学校へ出席することもなくなり、ついには、いままで書き溜めてきたスケッチブックに火を点けた。
炭へと灰へと姿を変えていく自分の轍を見つめながら、かなたは無表情であった。せいせいする、と笑えばいいのか、叫び泣けばいいのか、分からなかった。
けれど最後の一冊を投じた時、かなたは、確かに心臓が跳ね上がる音を聞いた。
本当にいいのか、自分は間違っていないのか、そんな自問自答をする間もなく、かなたは火の中に飛び込んでいた。
拾い上げた一冊を胸に抱き抱えながら、かなたは一晩中泣き明かした。
空っぽになった心で、かなたは初めて見たアリスの姿を瞼の裏に思い浮かべながら、ぼんやりと考え事をしていた。
アメリカ行きの航空券を、かなたがその手にしていたのは、それから一週間後のことだった。
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