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第六話 近道は往々にして恐々

「で、わざわざアメリカまで来たってワケ?」

 宝鐘マリンのやや威圧的な問いかけに、かなたは恐る恐る肯いた。

「波乱万丈、奇々怪々、奇想天外、びっくり仰天、ってね。あ、今の若い子は知らないか」

 マリンは独りごちて、興味深そうにスケッチブックに視線を落とした。
 かなたの話の間に戻ってきていたすいせいも、マリンに手招きをされて、その隣に並ぶ。

「どう思う?」
「わっかんない。すいちゃん、デザイナーじゃないしぃ」
「あんた社長でしょーが」
「そんなこと言ったらそっちもそうじゃん」

 互いに言い合いしながらも、目線はスケッチブックから逸らさない。
 そしてとあるページに差し掛かった時、まるで時間が止まったかのように、ふたりして口を噤んだ。

 しばらく沈黙が続いた後、

「このデザインさ、なにか参考にしたりした?」

 一枚のページを指差しながら、いままでとはうってかわって、柔らかい口調でかなたに問いかけた。

 何を問い詰められるものかと身構えていたが、思わぬ質問に肩透かしをくらって、かなたはなんどか目を瞬かせ、

「去年の、アリスの……」

 尻すぼみがちに答えた。

「ふーん、そっかぁ。ふーん」

 対するマリンは、ちょっと得意顔になって、隣のすいせいに目配せなんてしながら、ワーキングチェアに腰掛け、

「デザイナーになりたいって夢、いまはどうなの?」
「え……」
「日本じゃ辛いことがあって、嫌な気持ちになってたけど、デザイナーになりたいって夢は、いまもあるの?」

 落ち着いた声で、かなたの心の一番柔らかいところに、傷つけないよう、壊してしまわないようにマリンは触れていく。

「…………」

 かなたは答えない。口を真一文字に結んで、黙りこくったままでいる。

 しかし、その目は、かなたを真っ直ぐに見つめるマリンの視線から、1ミリたりとも逸らそうとはしない。

 目の前の小さなデザイナーの、なんとも健気な様子を見て、マリンは満足気に頷く。そうして、事務机の上に足を放り出し、大仰に仰け反りながら、

「あーーーーーー。専属モデルには逃げられるし、お抱えのデザイナーはやる気を出さないし、新しいデザイナーが欲しいのよねーーーーーー。ちょうど最近暇だから、見習いでもひよっこでもバリバリ鍛えてやるぞー、って感じなんだけどなーーーーーー」

 なんて、抑揚のない声音で嘯くものだから、いままで神妙な顔をしていたすいせいが、小さく噴き出した。

「まーた無茶苦茶なこと言って。アリスを観に、アメリカに来ただけって、さっき話してたのに」

 などと言うすいせいの口調も、どこか空々しい。

 他方かなたは、きょとんと目を真ん丸くして、マリンが何を言っているのか分からないというように、首傾げて、しかしすぐにその意味を汲み取ると、金魚みたいになんどか口をパクパクさせてから、

「あ、あ、天音、かなたと、申します!」

 その返事に、マリンは鷹揚に頷き、

「宝鐘マリン。Marine Marine CO. CEOよ。とはいっても、いまは私しかいないんだけどね」
「よ、よ、よ、よろしくお願いします!!」
「あ、私はすいちゃんでいいからね。よろしくね、かなた君」

 かなたのすぐ隣に腰掛けたすいせいが、パチリとウインク。そして、かしこまって頭を下げるかなたに耳打ちする。

「よかったね。諦めかけた夢が、一応叶って。でも、好事魔多し、近道は往々にて恐々ってね。あのワガママQueenは、何言い出すか分かんないからね」
「そこ! 聞こえてんですけど!」
「あはは。じゃね、頑張ってね!」

 ひらりと身を翻すと、ハットをひらひらと振りながら、すいせいは立ち去って行った、

 すいせいの足音が聞こえなくなってから、かなたはマリンに向き直り、改めて、お願いします、と言ったのだった。

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