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Which is the pest?

理由なんてものはない。小さい頃から自分が大嫌いだった。
才能なのか地頭によるものなのか、自分が自分のことを嫌っているという感情や意思を更にその上に重ねて上から眺めて考えることが出来た。そうやって変に客観的に自分を見られたせいで、その傾向は歳を増す毎に加速した。自分の意思、体、顔、素粒子から思考に至るまで自分を構成している全ての要素が頗る嫌いで、自分で自分を否定し続ける人生だった。

数ヶ月前まで働いていた、繁華街の居酒屋。ホールに立って接客をする中でもその意志薄弱さと弱さを捨てきれず、ある日バイト先の店長に言われた。
「井上ちゃんは役立たずなんかじゃないよ。もっと能力があるのに、自分でそれをセーブしてるんだ。俺はセーブせずにそれを全面に出して欲しいと思っている。一緒に頑張ろうな」
何も分からないくせに、知った口を聞くなと素直に思った。
高校時代、もう今から数年前になる。2年付き合った元彼に言われた。
「お前の病みも、嫌いも、全部受け入れるから」
結局受け入れてくれなかったじゃないか、出来ない約束をするなと素直に思った。

夜に浮かぶものが好きだった。
酒、煙草、性行為、その他諸々。ふつふつと湧き上がる、自分が今ここに存在していることのアウェー感と嫌悪感。自分がここに馴染めていないことを周囲が煙たがっているという強迫観念。夜闇でぼやける思考や身体の線と同じように、自分の存在そのものの輪郭を曖昧にして世界との境界を揺らがせてくれるものが、何より好きだった。息をしているだけで自己否定で埋まっていく頭を上手く空っぽにリセットできるそれに、何度でも縋った。何度も何度も何度も何度も繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し縋った。それがなければ私の頭はパンクして重圧に耐えられなかった。
夜の蝶にも憧れた。私には持っていない自信と気品と品格を兼ね備えた塔の上に咲く高嶺の花。私も蝶になりたいと強く願い、実際そうなれるように測りしれない程努力した。知り合った人の場の空気を理解しその場で最も最適かつ笑いを誘う言動、砕けているようで自身の置かれた立場を完全に理解している言葉遣い、聞き手の興味を誘い自分のペースへ乗せるような抑揚、周囲を惹き付け取り込んで魅了する態度、何もかもを観察し、分析し、自分の中にトレースして表現出来るように実験して試行錯誤して、自分も蛍光灯に群がる蛾の集団から、自由に宙を飛び回る軽やかな蝶の仲間入りをしたかった。
だが、そこに出来上がったのは蝶でも蛾でもない、ただ傲慢なだけの害虫だった。上手く場の空気を攫えずぼそっと何かを呟くだけの軟弱な言動、変に砕こうとしたせいで生意気になった言葉遣い、自身へ募っていく否定のせいでテンションや気分が抑圧され上手くいかない抑揚、なのに強く見せようと足掻いて尊大になっていく態度。蝶なんて似ても似つかないような害虫に私自身、いつしか成り果てていた。

「お姉さん、1人?」
太陽が地上の真逆にいる、ある日の25時。街の中でシンボルとしてそびえ立つ大きなタワーの下、スマホを見ながらネットサーフィンしていると、1人の男性に突如声をかけられた。
明らかに自分に向けて発せられた声に顔を向けると、よくある黒色のパーカーに黒色のスキニーパンツ、既視感しかないようなマッシュで揃えられた黒髪。「ナンパ」という教科の参考書に出てくるような、模範のような人物がそこにはいた。
「俺終電逃しちゃってさ、もしかしてお姉さんも?良かったら始発まででいいからさ、カラオケとか付き合ってくんない?」
溶けだした蝋のように透明で、見え透いた好意。私に対して彼が本心で要求していることは、火を見るよりも明らかだった。私が女であるというだけで寄ってきた蛾。ここにいる女なら誰でも良かったんだということが手に取るように分かった。たまたま蝶を探していた中で、手軽な蝶が飛んでいた。折り畳まれた紙が無数に入れられた抽選箱の中で無造作に1枚引いた。好きなケーキを食べていいよと前に並べられて、どれも美味しそうだから1番手前のケーキにした。それだけの、淡白で、普通で、ありきたりで、何の趣向もない人間。
「なんで、私なの?」
思わず、意地悪に聞いてしまった。いつもはその感覚器官で感じた諸情報とそう感じた自分を客観視した情報とをモーターの如くフル回転して処理する頭も、今は何故か稼働を緩めていた。別に相手が何と返そうとも何も期待していなかったが、意図せずぽろりと口からこぼれ落ちたのだ。
「え? いやだってお姉さん、めちゃくちゃ可愛いもん」
1+1は2と答えるように、至極当たり前のことを当たり前だろと言うように、彼はそう言い放った。

自分のことがずっと大嫌いだった。
自分のことが嫌いだと免罪符にして挑戦した後の結果からすぐに逃げようとする自分。無難な人生を歩もうとする自分。当たり障りなく、親も心配しない、至って普通の人生を歩みたい自分。対して、自分の思う気ままに宙を飛べるような、そんな自由な人間になりたい自分。2つの相反する感情を持って揺れ動く自分。毎分毎秒生きているだけで勝手に脳内会議を始め、結論が出ずにその度に苦しんで、泣いて、暴れて、叫んで、藻掻く自分。
その1つ1つ、どれもどれもが大嫌いだった。
私のことを好きだとか可愛いだとか宣う人間よりも、ちゃんと私のことを嫌いだという人間の方が、私を真に理解している。人は自分が嫌いなものを好きだという人間とは好意的に接することが出来ない。私のことを理解している人間の近くにいたい。理解者が欲しい。誰かに私のことを理解して欲しい。私のことを心の底から分かって欲しい。私が嫌いな私を嫌って欲しい。
私のことを嫌いになって。そして私を理解して。私を嫌ってくれるなら、それは私を理解していることになるから。ずっとそう思い続けて生きてきたはずなのに。

「そうかな、私のこと、好き?」

「ああ、めちゃくちゃ好きだよ」
おもむろに腰に手を回され、カラオケ店のある通りとは反対方向へ歩みを進めていく。
私のことを嫌いになって欲しいのに、好きかどうか確認し、そう肯定して欲しがる。これじゃまるで、害虫がどっちなのか、私には分からない。

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