貧乏人が金持ちに寄付をする、投げ銭という地獄の搾取構造

ツイッターでの投げ銭機能もどんどん拡充されるっぽいですねー。

地獄かな?

投げ銭なんてものは信者ビジネスの一端どころか主力商品の一つですわな。
そして、信者ビジネスは圧倒的に金を持ってる人間の方が成功しやすい。
信者ビジネスは知名度がとにかく重要。

貧乏な単純労働者の話なんて誰も金を払って聴こうとは思わない。
金を持っている独創的な成功者の話を聴きたい人はいくらでもいる。

そりゃそうだ。

でもね、成功者はもう金を持ってるの。
そして、成功者に金を払いたいのは自分でクリエイティブする余裕のない貧乏人だよ。
(もちろん全員がそうというわけではない)

金持ちが情報を発信する、創造する。そこには学びがあるだろう。得るものもあるだろう。そして金も得る。
貧乏人は金持ちに金を払う。金持ちはますます肥え、僅かな蓄えから投げ銭をして一時の満足感を得た貧乏人のところには、何も残らない。

恐ろしい。

創作物というのは、結局受ける側によって価値が変わってしまう。
企業を介することで、その創作の価値は一定のものとして価格づけされる。市場価格がつけられる。
この時、あまりにも法外な価格をつけるようなことはできない。マスに向けて売っているからだ。
名作も駄作も価格そのものは等しくつけられる。(売れる数に差が出るだけだ)

しかし信者ビジネスは異なる。
市場価格がつけられていない信者ビジネスは、価格が青天井で設定されうる。信者には適正な市場価格を設定することができないので、信者ビジネスが成立する。

サロンだのなんだので、話が聞けるなら安いという人もいる。
しかし、その教主が出版した本なんてのは千何百円であろうよ。それが本来の市場価格だった。
にも関わらず、価値を誤らせてどんどん信者から搾取する。


自分の年収の数十倍の収入がある人間に、いてくれてありがとうと言って寄付をする民衆たち。

地獄かな?

確かに、投げ銭のような寄付機能によって救われる、ギリギリで生きているクリエイターもいるだろう。

しかし、そのようなクリエイターがギリギリの生活をしているのは業界の構造の責任である。
ビジネスモデルの責任である。

価値判断が正しく行えない信者からいくらでも搾取して構わない理由とはならない。
バカを騙していい理由とはならない。


金持ちがバカを騙して搾取することを持て囃す世界。バカを騙せば偉い世界。
あまりにも、あまりにも地獄すぎるだろ。