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#0 「夜に寝るって誰が決めたの」

ー 概要 ー


『夜に寝るって誰が決めたの?』

古くから太陽がある時に活動していたから。
人は光がないと物が見えないから。
光を浴びてビタミンDを生成するから。

私だってそれが当たり前だと思っていた。


私は桜木さくらぎ 麗奈れいな
Web制作会社に勤める29歳のWebクリエイター。
今の会社には転職組で、もうすぐ30歳になる。
この話は私が31歳になるまでの人生と睡眠のお話。

でも今回は、その前の大学から29歳までのお話。


ー 本文 ー


私は大学で情報デザインを学んでいた。

物心つく頃に父のパソコンを勝手にいじっていた。
学校の授業でパソコンを扱う時には明らかに周りに比べて操作が早かった。
だから高校で進路を考えた時に情報系の大学を進学先に選んだ。
ただそれだけ。
それが向いていたのか、気付くと大学2年で修了に必要な選択科目の単位を取り終わるほど大学に入り浸っていた。

大学3年になってもそれは変わらなかったが、周りにはスーツ姿で授業に出る生徒が増えた。

ITやWeb系に就職することは、周りの誰にも必然的な流れだった。

働くことについて考えたことはない。
しっかりした友人はインターンやアルバイトを活用して既に企業との繋がりを築く友人もいた。
そういう友人は大体が大手企業に就職を決めていた。
学食で馬鹿みたいにくだらないことで大笑いしていた友人すら、そんな素振りを見せずに大学3年で内定を決めた。
焦る気持ちもあるにはあったが、大学が出す就職率は90%を超えていたし卒業すれば否応なしに働けると思っていた。
だから大学にいられる残りの時間を惜しみ、私は働くことに真面目に向き合うことはなかった。

気付いた頃には卒業間際。
卒業の半年前にようやく就職活動を始め、大学に張り出される求人に何となく応募する。

(志望動機・・・)
(『働けたらどこでもいい』なんて言っちゃいけないんだろうな)

初めて応募した求人で書類選考が通り面接に行くと、5人のグループ面接だった。
待ちながら履歴書に書いた志望動機や自己PRを覚えようと復唱する。
そして順番がくる。

志望動機を聞かれ順番に答えていると、私の前の応募者が突然泣きながら『貴社が好きで面接を受けられるだけでも嬉しい』と言った。
思わずその人に目を向ける。
私には一生言えない言葉のように感じ面接よりその人への興味が立った。
そして私の順番が回ってくる。
考えて覚えようとした志望動機は一文字も思い出せずに面接は終わった。
もちろん選考は落ちた。
それ以降、求人に応募することはなかった。


卒業間際の1月。
いよいよ就職先がない、どうしたものか、と思っていたら友人から声を掛けられ友人の紹介で面接を受けることになった。
友人から『堅苦しい感じはなく、軽い面接だから大丈夫』と言われ、その言葉を真に受け私は友人に求人内容を問うことはなく対策を練ることもなかった。

面接当日、その会社は友人が言った通り志望動機や自己PRなど形式的な質問はしてこない。
ただ面接中に話をして私という人間を知ろうとしているような話題ばかりだった。
趣味が同じだったため面接官も話し出して、まるで先輩と後輩のような会話が続く。
この人となら楽しく働けそうだと感じた。

そんな時、突然面接官から

面接官 「本当に給料、大丈夫?桜木さん一人暮らしだよね?」
桜木  「え、大丈夫だと思いますけど、どのくらいでしたっけ?」
面接官 「大体、月にすると18万円くらいかな。業務委託だからその中から税金とか払うとどのくらいだろうね」
桜木  「え」
面接官 「まぁまぁ、これ以下になることはないから。休むと減るけど」

私はしまったと思いながら表情に出ないよう努めた。
正直、後がないという焦りとここで決まればもう探さなくていいという気持ちから頷く他ないように思った。
この時の決断が悪かったとは思っていない。
ただ悪いとすれば、私が私の人生の選択を軽んじていたことは今思えば良くないことだった。

私は大学を卒業したらフリーランスで働くことを選んだ。
父は『やってみればいい』と言ったが、母はフリーランスが無職よりはマシ、でもフリーター以下と思っているようで『定職に就きなさい』と言った。
今更断るのも改めて就職活動をするのも面倒だったため、母の意見を聞くことはなかったけど。

私だって不安がない訳じゃない。
紹介してくれた友人とは違う配属になり知らない人の中、自分が大学で学んだことが通用するのか全く想像がつかない。
早くから経験を積むために活動していた友人たちは賢いと改めて感じる。
でももう後戻りはできない。

そして私は無事大学を卒業した。


4月1日。
初出社の集合場所に行くと同じ立場らしき人がちらほら見受けられる。
お互い同じっぽいなーと思いながらちらちら見合う。
そこに面接官が駅の方から歩いてくるのが見えた。
面接官だった立石たていしさんは、どうやら自身のプロジェクトチームのメンバーをチームリーダーとして面接していたのだとその時に知る。
集まった人数はリーダーを含め6人。
見るからに年齢は疎らだった。
当たり前の衝撃というか、勝手に同年代が集まると思っていたため心の中で驚いていた。

立石さんは人を確認するとすぐに近くのビルに入る。
そこがこれからのオフィスだったようで中へ案内される。
ミーティングスペースでまずは自己紹介と作業内容、共有事項、施設紹介を経て早々に作業に入る。

参画したプロジェクトは既に一月開始が遅れた炎上案件だった。


正直、覚えていないくらい働いた。
トライアンドエラーを繰り返しチームで模索し切磋琢磨する日々。
その時は必死で衝突することもあったが今思えばとても充実した、私を成長させたプロジェクトだった。

最初の月は終電に間に合わない日が度々あり、会社近くにあるネットカフェの常連になった。
チームで深夜まで作業した時は始発が動き出すまでみんなで居酒屋をはしごして飲んだこともあった。

二月目にはそんな日々にも慣れ、リーダーに交渉し22時に帰る代わりに7時に出社させてもらう。
ネットカフェからは一月で卒業できた。
メンバーには『終電まで働くより働いてることに気づいてる?』と言われてハッとする。
ただ朝型の私には実働より朝早くから動く方が楽だった。

今聞くと『ブラックだ!』『労働基準法に反する』など言われるかもしれないが、社会を知らない私はとにかくプロジェクトの完遂を目指し仲間と共に必死に働いた。

無事プロジェクトの終わりが見えてきて頃。
作業も修正が来ないと何もすることがないくらい落ち着いた。
誰も何も言わないがパラパラと各チームから人が減っていった。
私の参加したコーディングチームからも一人、また一人と別プロジェクトに移動していく。

契約上、次の案件を公言できないためみんな何も言わずに旅立つ。
『落ち着いたらまた会おう』などと言い合ったりするが、これまで毎日一緒に頑張ってきた仲間が離れていくのに気持ちが追いつかなかった。
寂しさか、不安か、会社ではないためプロジェクトが終われば解散する関係とわかっていた。
最初からわかっていたはずだけど、急に自分の分身を剥ぎ取られるような心地だった。
ただフリーランス同士、次があるのは喜ばしい、悲しむ場面ではない。

私は次が決まっていない。
就職活動をしようにも平日に稼働していてはなかなか動けない。
と、自分に言い訳をしているが、土日にすら活動を始めてはいなかった。

(ま、少し貯金があるしプロジェクトが終わってから探すしかないか)

その時、チームリーダーの立石さんから個室に呼ばれる。

桜木 「失礼します。どうしたんですか?」
立石 「桜木さんさ、次は決まってるの?」
桜木 「いえ、プロジェクトが終わったら探そうかと思ってます」
立石 「そう。よければ女性誌のWebで運用探してるんだけど興味ある?」
桜木 「え」
立石 「女性誌とか読む?なんか女性で人探してるみたいなんだけど」
桜木 「是非、お願いします」
立石 「ははは!返事が早いな。条件とか聞かなくて大丈夫?」
桜木 「あ」
立石 「まぁまぁ、今よりは良い条件だよ。給与は変わらないかもしれないけど実働は確実に良いと思う。残業ほぼなし」
桜木 「それはそれで何したらいいのか」
立石 「何したらいいって、若いんだからしたいことしたらいいんだよ」
桜木 「ま、そうですね」
立石 「よし、じゃあ話通しちゃうね。絶対って訳じゃないからその点だけごめんね。ま、桜木さんのガッツなら落ちないとは思うけど俺からもプッシュしとく」
桜木 「ありがとうございます!」
立石 「ん、それじゃ戻っていいよ」
桜木 「はい!ありがとうございます。失礼します」

単純にわくわくした。
仕事が続いていく。
私は必死だったけど頑張りを見ている人がいて、それを認めてくれた人が次の仕事をくれる。
フリーランスは自由だけど、だから不安定でわかってたのに不安だった。
でもちゃんと繋がっていくんだ。

立石 「そうだ、桜木!」

緩んでいた気持ちに突然の呼び声。

桜木 「はい」
立石 「確定申告は忘れずにしておけよ」
桜木 「かくていしんこく?」
立石 「おい、、、嘘だろ」

2月29日。うるう年。数年に一度の貴重な日。
確定申告を知った。

(立石さん、言うの遅すぎ!なんでみんな教えてくれなかったの!?)

他のメンバーはフリーランスになって数年経つ人ばかりで慣れていたのか話題には一切上がらなかった。

そして無事、立石さんから提案してもらったプロジェクトの参画が私に決まった。
終わり際の現プロジェクトを一足早く離脱させてもらう。
その足で税理士事務所に行き確定申告をお願いし、貯金が減った。

そうして私の社会人1年目が終わる。


両親の思いとは裏腹に私はフリーランス5年目を迎えた。
今、目下の問題と言えば、引っ越そうにもフリーランスとなると審査が通らないこと。
不動産屋で職業を伝えると相手の顔が渋くなる。
そして紹介される物件は、私が提示した条件以下のものばかり。
大家さん側が不安定な職業を渋ることが多いらしい。
フリーランスがこんなにも社会的立場が弱いなんて知らなかった。

仕事は楽しい。
やりたいことをやってきた。
仕事は間が空くことはなくチームに参画が決まると、時には好きなポジションを選ぶことも出来た。
基本的にはコードを専門に配置されたが、時にはプログラムチーム、デザインチーム、ディレクション・設計チームと幅広く経験が積めた。
働きながら業務時間外は勉強に打ち込んだ。
その経験は私に1人で案件を進めるための全てのスキルを与えた。

先輩やクライアントに褒められることに喜びはなかった。
処理が早く効率的なコード、イメージと要望を形にする効果的なデザイン、初参加のメンバーをフォローしたり。

安定した立場と仕事の要領を掴み一通り学び終え、フォローする側になる。
案件が終わってまた次の案件が始まる。
案件が変わってもやることはこれまで経験したことばかり。
スキルの成長と捉えられるはずなのに、私は完全に仕事に飽きていた。

『何か面白いこと起こらないかな』

26歳の時にコーディングチームのチームリーダーにと声が掛かった。
もちろん迷わず受けた。
経験のないことにわくわくした。

報酬が少し上がったが、その対価とは比べられないほどの仕事量が回ってきた。
時間があれば寝ていた。
誰より早く来て誰より遅く働いた。

先輩には『仕事の回し方が悪い』と言われたが、これまで見てきた先輩を真似ていたからそれ以外のやり方がわからなかった。
リーダーアシスタントをすっ飛ばして急にリーダーになった私には経験が乏しくリーダーの器がないと思い知らされた。
自分の仕事を他に回すにも残業をしたい人間などおらず断られる。
自分がやる以外、仕事を捌く方法が見つけられなかった。

とにかく案件を終えるまでの辛抱だと耐えるしかなかった。

そんな誰もいないオフィスの残業中。
まるで目が覚めたみたいにもやが晴れた。

『こんなふうに働きたかったのか』
『これからどんなふうに働いていきたいのか』

うたた寝していた訳ではない。
ついさっきまでキーボードを打ち込んでいた。
それなのに急に頭に浮かび、まるで今まで何も見えていなかった、その視界が開いた。

この時、私は転職を決意した。


プロジェクトが落ち着き始め終わりを見せると、初めて働くことを考えた。

この5年、どうして私はこんなに働いたのか、改めて振り返る。
1日15時間働いた日もあった。
休みの日も仕事に関連するスキルを勉強して仕事しかしていない。
でもそれじゃ仕事をしなかったら他にしたいことがあるかと言えば、ない。
思いつかない。
つまり仕事が趣味になってしまった。

この仕事は底がない。
日々進化する言語や環境、不安からか、興味からか自分では判断できない向上心が仕事に意識を駆り立てる。

この起点からでは考えが進まない。
違う起点を探してみよう。

これまでコード、デザイン、設計、フォロー、何が一番好きだったか。
仕事としては全てそつなくこなした感があるが、それは秀でたものがないという意味でもある気がする。
そして何より全て自分が求めたのではなく求められて経験してきたスキルばかりだった。
作業は好きでも嫌いでもない。
全てにおいて好きな部分と嫌いな部分がある、と言った方が正しいか。
そもそもそんなことを考えて働いていなかった。

世間では『好きなことをしよう』というが、好きなことがわからない。
いや、もっとたくさんの経験をしないと比べられないのかもしれない。

また考えが行き詰まる。

(みんなどうやって仕事を選んでいるんだろう)

そもそもWeb系しか経験のない自分にはそれ以外の選択肢について情報が少なすぎた。

(うーん。どうしたものか、、、)

その時、お世話になった立石さんのことを思い出した。

(あれから結構経つけどまだ電話番号活きてるかな、、、)

久しぶりに話す立石さんは変わらなくて時間が戻ったかのように錯覚させた。
そして突然の申し出にも関わらず快く時間をつくってくれた。


立石 「桜木さん?」
桜木 「はい!立石さん、お久しぶりです」
立石 「久しぶり!いや~まだまだ若いな~」
桜木 「立石さんこそ変わらないです」
立石 「変わる変わる!白髪も目立つようになってきたし何より疲れがとれないんだよ~」

そんなことを話しながら待ち合わせた駅近くの居酒屋に入る。

桜木 「はは、そうなんですか。それは怖いな~」
立石 「おう、今どうしてるんだ?ちょこちょこ噂は聞いてたけど」
桜木 「噂?」
立石 「誰よりも働いてるとかいつ行ってもオフィスにいるとか」
桜木 「はは、今は少し落ち着いて人間らしい生活できてますよ」
立石 「大丈夫か~?俺も結婚して子供できてから若者たちが心配で心配で」
桜木 「え!ご結婚されたんですか?!お子さんも!おめでとうございます。すいません、全然知らなくて」
立石 「ありがとう!その言葉だけで十分だよ。ついでに写真見てくれたらなお嬉しい」
桜木 「はは、見せてください」
立石 「よしきた!これが生後間もない頃でーーーーー」

それから立石さんの子供自慢がお子さん4歳の現在まで続いた。

立石 「ーーーーー俺の話はこの辺にして、今日は何か相談があったんだろ?」
桜木 「あ、はい」

自分のことをすっかり忘れていた。

立石 「どうした?」
桜木 「えっと、転職しようと思ってるんですけど、何から始めたらいいのか、何をしたいのか自分でわからなくて、立石さんは私の中で軸がしっかりしている大人という印象があり意見をうかがいたく今日お話しさせていただきたいと」
立石 「堅苦しい堅苦しい!突然なんだよ~。俺も実は結構行き当たりばったりだけどな~。やりたくてやってる訳じゃないし。気付いたらこの仕事してて続いてて、俺なんて桜木と違って情報知識ゼロでこの仕事始めたから」
桜木 「え?」
立石 「そりゃもう俺が新人の頃なんて周りに迷惑はかけるし、先輩は口汚い罵りなんて毎日だったし、後輩ですら嫌な顔を隠そうともしないやつばっかで、まぁ、はっきり言って使い物にならない首切られたっておかしくない人材だったと思うわ」
桜木 「えぇ、、、」
立石 「引いてる(笑)」
桜木 「いや、さすがに私ならそれは続かないです、、、」
立石 「いや、俺も今なら続かない自信があるよ。でもその時はさ、その仕事なくなったら『負け』っていうか『終わり』っていうか、やるしかないっていう考えだけでやってたんだよ。もう一度やり直せって言われたら絶対に無理だな」
桜木 「立石さん、今もフリーランスですか?」
立石 「俺は今、制作会社のCCOです。はい、名刺」
桜木 「しーしーおー?」
立石 「馴染みないよね~。ま、簡単に言うと役員だね」
桜木 「すごいじゃないですか!え!?立石さんすごい人なんですね」
立石 「気付いたらこんなことに。すごいかはわからないけど家族もいるし今も変わらずやるしかないんだよ。桜木はさ、結婚とか考えないの?今更だけど女の子でしょ」
桜木 「今更ってひどい!女の子ですよ」
立石 「結婚って選択もあるんじゃないの?」
桜木 「うーん、それは考えたことなかったですね」
立石 「そんな感じ。でも結構周りに桜木のことありってやつ結構いたの気付いてる?」
桜木 「・・・」
立石 「誰のこと、って感じか。勿体ない。ま、結婚が考えにないなら動くしかないな。とにかくたくさん求人みてまずは応募するかしないか考えてみるとか。っていうか、お前求人ってみてる?」
桜木 「大学の頃に2枚くらいみました」
立石 「おいおいおい!もしかして新卒カード使ってないタイプか!?」
桜木 「新卒カード?」
立石 「・・・過去の話はしまい。そうだな、最近はエージェントっていうのもあるらしいぞ」
桜木 「エージェント?」
立石 「そ。なんでもこれまでの経歴と本人のヒアリングから最も活躍が期待できる優良な求人を提案してくれるらしい。希望とか条件とか思い浮かばないなら提案を待つのもいいんじゃないか」
桜木 「エージェントか。ありがとうございます。良い話聞きました」
立石 「おう。あ、ちなみにエージェントだけじゃなく、求人だけじゃなく複数同時に使うことをお勧めする」
桜木 「わかりました」
立石 「もし行き詰まったら声掛けて。俺の会社を紹介する」
桜木 「っ・・・はい。心強いです」
立石 「よし、行こう。ここはおじさんが出します」
桜木 「え!いやそんなつもりじゃなくて」
立石 「いいからいいから」
桜木 「すいません、ご馳走様です」
立石 「その代わりまた子供の話聞いてな」
桜木 「もちろんですよ!」

翌日、早速、20代の転職求人媒体とエージェントに登録する。

求人は経験職に限らず様々な求人を見た。
仕事内容と給与、実働時間のバランスを自分の中のデータに蓄積する。
登録した求人媒体では、雇用形態がフリーランス、業務委託は扱いがなく契約社員、正社員を主に扱っていた。
求人を見てフリーランスとは違う手厚い福利厚生に驚かされる。

これまで自発的に本を買い勉強していたが、その本の購入費用を会社が負担、また決まった月に賞与というお金の支給があったり、会社に通うだけでその交通費が支給される。
何より有給休暇という給与が発生しながら休める仕組みには困惑した。
仕組みの意味がわからない、そして会社員は何のためにそれを利用するのか、イメージが全く持てない。

無知すぎて自分で求人を選ぶことはできなかった。

エージェントの方はというと、初回ヒアリングから様々な質問を投げかけられ自分でも気付かなかった自分の希望を引き出された。
希望がないと言う私に根気よく付き合ってくれた担当者は嫌な顔一つせずについてくれた。
そして提案のままに応募し面接を受け社内見学など、今までで一番就職活動をした気がする。
そして早々に3件も内定を勝ち取った。
新卒時には想像もできない結果だった。

結局、私は内定をいただいたうちの一社、Web制作会社への就職を決める。
他2社の内定辞退は心苦しかったが手続きは全てエージェントが代行してくれ、最後まで私の転職活動に寄り添ってくれた。
立石さんに相談して、エージェントを使って転職活動をして、働き方や会社についてたくさん知ることができ、本当に良かった。

お世話になった立石さんには、遅ればせながら結婚祝いと出産祝いをまとめてカタログギフトをプレゼントする。
電話で就職の報告とお礼を伝えたところ、自分のことのように喜んでくれた。

さぁ、これから心機一転、新しい環境でまた頑張ろう。


そしてーーーーー。
内定をもらった3社のうち、どうしてWeb制作会社に決めたのか。
はっきり言って決め兼ねていた。
そんな時に世間では年収がその人の価値を決める一つになると知った。
つまり年収が高い人間ほど価値が高いと判断される。
私の中で給与は重要ではなかったが、1つの判断基準として採用した。
世間に価値が高いと判断されることに何の意味があるのかも考えずに。

そして私は29歳を迎えた。

#1に続く

この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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