音声ログ100001(2045/10/14)
古いビルの頭の上から高層ビルがのぞいている。カーテンウォールがギラギラ眩しい。人目につかない建物の屋上にあがり、スプレーで落書きをする。最適化された都市空間に、このグラフィティはとても異質である。そのまま背の低い雑居ビルの屋上伝いに街を移動する。監視カメラを避ける。
自分のことは誰も見ていない。
ビルの上から街を見下ろし、はずれから社会を眺める。様々なデバイスを颯爽と身につけ、システムにより選択された、快適な生活を満喫する彼ら。人類の幸福実現のために、科学技術は際限なく進歩する。
この時代に生まれてくる子供を思う。彼らは貴重な人的リソースとして社会から丁重に扱われる。心と体を管理するヘルスケア。質の高い教育と経験。成長を促す適度なストレス。これらは親や地域の大人、学校、その他の教育機関をひっくるめた包括的システムが、惜しげもなく提供してくれる。このような環境で育つ成熟した人格。身体と精神の安全を保障された穏やかな世界。昔の人々が切望した未来である。
それは今、日々の選択をシステムに外注することで実現した。
しかし、彼らは魂の問題を無視している。人生に自分の意思や個人の思想は反映されない。日々の生活は偶然を装い、すべてシステムによりお膳立てされているからだ。
僕は 神の恩恵を拒絶し、愛に満ちた見守り社会を拒絶し、システムの外で誰にも気づかれず死ぬ。自分は自分以上でも以下でもない。自分の死は自分のみが知ればいい。僕が他者から見られていようがいまいが、自分は自分が理由で存在するのだから。
この世の仕組みが気に食わない。改めて手の中の逆十字を強く握る。
与えられると思うなよ。
体に埋め込まれた、”子守役”、をナイフで剥ぎ取り、このシステムの出口に向かって走る。さよなら。自分の意識や意思が存在しない世界。僕らは徹底的に赤子にさせられているだけだった。
あと少しで初めて一人になれる。 人生のうちで最もプライベートな瞬間。 死の瞬間である。 目前に、固い地面が迫る。