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明日日記【2020年6月19日】

俺の普通日記

私は一日の終わりにPCでWordを用いた「日記」を書く習慣をつけている。
その日記の最後には翌日の1日の流れを書く。こうすることで、なんだか休日などを無駄にせず有意義に過ごせるし、平日だって「やり忘れ」が少なくなる。いい習慣だ。

さて、タイトルにもある「明日日記」について語りたい。

「日記」という単語には

その日いちにちの事柄の流れを記し、またその時の感情や感覚、思考を書き留めておくもの。

というような意味合いがあると思う。(この引用は私の頭の中からの引用なので信憑性0)

つまり、過去について書かなくてはいけないルールがあるし、ルールを破ればそれは日記でなくなるわけだ。
ともすれば明日について書かれた「日記」というのは存在できない。未来日記はダメなわけだ。

けれど私はこれから明日の日記をつけたいと思う。言葉への反逆、ヘーゲル進歩思想の体現、ルールは破るもの。そんな自由な感じで。

6月20日(土)についての明日日記

私は明日の10時に美術館に行き、地元生まれの芸術家自慢の作品を見て、「抽象的すぎてなんも伝わらねえけど、すぐ立ち去るのも悪いな。あとギャラリー狭すぎて落ち着かないな、曲もあってないし。」と考えながら、1枚3分間きっかり鑑賞したのち(もちろん考え耽る表情をマスクで隠しながらも)、一番安いポストカードを買って退場。途中、作者に話しかけられたときには「在学してる身ですので、ひとつ文化的な感覚を身につけておこうかと」とかアホみたいな嘘をついてはぐらした。とっさの嘘であったがすらりと出たことには明日一番の驚きだった。

その後は地域で一番新鮮だと噂の、魚屋兼和食屋に行ってみた。美術館の行きに見かけた雰囲気のいい、少しさびれた店だ。こういうのはなんだか「老舗」「わびさび」「伝統」なんかを感じて好きだ。我ながら陳腐な感性してるよ。
店に入るとちょうどランチタイム終了の30分前で、取り急ぎ「今日の刺身定食」を頼んだ。出てきた白身魚の名前は分からなかったけど、おいしいからいいのだ。しかし白身魚って大体おんなじ味がするな。醤油をかけては何も残らん奴らだ。まあすきなんだけど。

帰りの電車では珍しいことに遅れていた。「強風のため」らしい。そういえば明日の天気予報では風が強いとかなんとか言ってた気がする。

家に着くと今日提出のレポートをやってないことを思い出した。
幸い担当の先生が優しいおかたで、明日中に完成・提出させれば少しは点数をくれる。

さて気合を入れて徹夜でもするか。

以上が明日日記である。
ちなみに「明日日記とは計画とか予定のことではないのか?」とお考えになる方もいらっしゃるだろうが、違う。
明確な違いは、感情の記述にある。計画では事物にしか記述がないが、明日日記にはどう思ったのかまで記述されている。要は明日の感想まで織り込み済みなのだ。

この様に、明日日記を上手く使えば、毎日が幸せに感じるように設定できるのではないか。怒られるのが確定していても、楽しく説教を聞ける。これはいいアイデアだ。

終り。


試しに押しても罰は当たらないはずです。知りませんけど。