「この会議は何のための会議?」と思わずにはいられないことが少なくないのは何故だ?

筆者が勤める会社でも会議が多い。
会議が多いのは何も、一部の会社だけの話ではないのだろう。

筆者が良く経験している会議は次の3パターンだ。
①報告しあうための会議
②機関決定を行う会議
③勉強会のための会議


①の会議は、互いに報告しあうための会議だ。
いわゆる「朝会」とか、「部会」とか、「チーム会」といった名前が付けられているものに当たるだろう。
関係者が集まって、報告や連絡をしあう会だ。
特に込み入った話でなければ、「メール連絡で十分だろう」と思わないでもないようなことも多い。
恐ろしいことに、こういった会議がなくなると、「会話する機会がなくなるから」といった、謎の理由で存在する会議もあったりする。
別に、存在を否定するつもりはないのだが、「せっかく集まるんだったら、日ごろから思っていることをぶつけ合って議論して、何かの改善や新しいビジネスにつなげる話をすれば良いのに」と思うのだが、そういった場としては利用されない。

②の会議は何かを決めるための会議だ。
当然、その会議が開催される前に、「何かを決めるか」が事前に決められていて、そのことを決めるための話し合いが行われる。
これまた恐ろしいことに、「何を決めるか」が事前に決まっているにもかかわらず、「何も考えて来なかった」人たちが集まり、「何も決まらない会議」が日本企業には多い気がする。
この原因は「何も考えていない」のか、「自分が決断をする勇気がない」のか、「自分が決断するリスクを取りたくない」のか、様々な理由が考えられるが、どれが原因なのか、不明な場面も良くある。
この点、外資系企業では、「この方向で決めるぞ!」という信念を持った人たちが集まって会議が行われることが多いので、議論は明確で、物凄い戦いが起こることもあるが、とにかく「決断するまで終わらないぞ!」という気概があり、日本企業にはそれが欠けている。

③の会議は、知識不足を補うための会議だ。
会議というよりも、「勉強会」と呼んだ方が良いのかもしれない。
このタイプの会議は、筆者が経験した企業では圧倒的に数が少なかった。
どの企業、どの部署でも、最も必要性を感じるにも関わらず、圧倒的に開催されることが少なかった。
知識がなければ、そもそもの議論さえできない。
議論ができなければ、合議的な決断も出せない。
このタイプの会議がめったに開催されないのは、上席が最も知識がある場合が少なく、下々の者に知恵を拝借するなんて、プライドが許さないからなのではないだろうかとも、筆者は勝手に想像している。

以上のような状況から、日本企業では主に①と②が行われ、③はほとんど行われない。
もちろん、組織の状況や、それぞれの会議目的の違いなどによって、状況は違うだろう。
だが、「目的もなく、ただ歩いている」ために①や②の会議がメインとなっていて、その背景は、③の会議不足が原因なのではないかと思うのだ。

しかも、今の時代は「働き方改革」という謎の政策により、単純に労働時間の短縮を求められている。
③の会議が行われることが、自然と自粛される雰囲気になっていると、筆者は感じるのだが、これも日本企業の組織力の低下を狙うための「働き方改革」の効果なのではないかと思う、今日この頃なのである。

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