自分の性格を変える目的という観点からの外国語の学習のすすめ
様々な性格の人がいる。
積極的な人がいれば、内気な人もいる。
社交性に富んだ人もいれば、そうでない人もいる。
本音をさらけ出してストレートな意思疎通をする人もいれば、本音を全く出さない人もいる。
そんな中、今の自分の性格で満足している人もいれば、「もっと積極的になりたい」とか、「もっと社交的になりたい」とか、「もっとはっきりと物申せる正確になりたい」と思っている人もいる。
言語と言うのは言語構造から、思考する方法が異なる。
人は何かを考えるとき、必ず自分の思考を支配する言語の正確に左右される。
つまり、内気な性格の言語で考えると、より内気な考え方となる。
一方で、積極的な性格の言語で考えると、より積極的な考え方となる。
国の違いによって人々の性格の大まかな違いを感じたことはないだろうか。
アメリカ人は大雑把でストレートだとか、イタリア人はナンパな人が多いとか、スペイン人は情熱的だとかいった具合だ。
これは正確に言えば、国籍と言うよりは、その国の言語に左右される。
つまり、アメリカ人が大雑把でストレートなのは、アメリカ英語が他の言語よりも大雑把でストレートな思考形態だからだ。
イタリア人にナンパな人が多いのは、イタリア語が他の言語よりも愛情表現が気楽だからだ。
スペイン人に情熱的な人が多いのは、スペイン語が他の言語よりも情熱的な思考回路をするからだ。
筆者は日本語のほかに、英語、フランス語を使える。
英語で物事を考えると、より単純明快な原因と結果を求める思考回路となるので、何かを決めたり議論するときに、とても役に立つ。
フランス語で物事を考えると、本能に忠実に物事を考えるようになるとともに、とても皮肉的になるので、物事を簡単には信用しない思考回路となる。
日本語で考えると人に対して優しく接するようになる一方で、フランス語で考えることで人と明るく積極的に接するようになる。
筆者は少しだけイタリア語が話せるが、イタリア語で考えるとフランス語で考えるよりもさらに明るく前向きに物事を考えるようになる。
イタリア語で考えると、あまり後先を考えないほどの明るさになり、フランス語で考えることでイタリア語によるノー天気な明るさに幼さと軽蔑のまなざしを送ることになる。
このように、筆者一人の人格の中に、思考言語を変えるだけでこれほどに物事の考え方が変わるのだ。
外国語を学習すると異文化を理解するのにとても役に立ち、それが回りまわって自国文化をより深く理解することにつながるが、自分の性格を良い意味で変えることもできる。
そんな外国語を学ばないのはもったいないと思うのである。
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