色々と感想

年明けからコロナにかかってゲホゲホで寝込んでました。そのせいもあってか今は太陽を避ける吸血鬼みたいな生活リズムになっていて頭がおかしくなりそうです。


年末、年始あたりに見たアニメや映画の感想をポツポツ書きます。

『リング』 『らせん』

Jホラーの金字塔と呼ばれる『リング』とその続編である『らせん』

・『リング』
正直舐めてました。金字塔とか言われてるけど不気味映像の寄せ集めやろ?くらいに思ってたので一撃喰らいました。
全体のテンポ、演出、ストーリーのまとまり、色設計。どれもハイレベルだと思います。極端に騒いだりせずに淡々と貞子の謎に迫っていく感じもgood。
ただ、実際に貞子が画面から出てくるところはチープ。時代的に仕方なかったかもしれない。ホラーはやはり化け物が出てくると弱い。
しかし、この物語だけでは実は絶賛はできない。これが『らせん』の存在によってSFホラーとして面白いところに着地する。

・『らせん』
実は見てない人多いのでは?
時系列的には『リング』の後。こちらは貞子とは一体何か?という謎に迫るSF物語。子供を亡くした医者が主人公で遺伝子がどうとかウイルスがどうとか出てきます。ぶっ飛んでるように感じると思いますが、このウイルス、遺伝子が『リング』にも響いてきています。
映画単体では面白くないですが『リング』の補足としては十分な機能を持ってます。

『らせん』と『リング』のモチーフは

伝染病→ウイルスの増殖→遺伝子の自己複製→ビデオのダビング→呪いの伝播

というふうに連結していきます。このアナロジーは伝承の芯をついていて凄みさえあると思いました。
文化的な流行り物を「ミーム」と言いますが、 この「ミーム」という言葉は元々『利己的な遺伝子』という進化論の本で著作のドーキンスが「ジーン(遺伝子)」からの類推で模倣(ミミクリ)によって自己増殖していく文化における遺伝子的なものを「ミーム」と名づけたのが始まり。
ホラー、怪奇伝承、都市伝説、というものに対し、ミームという言葉の原点に立ち返ってホラーエンタメとして描き直したのが『リング』『らせん』という作品なのだと思います。

この『リング』『らせん』という作品については機会があったら別記事で深掘りできればと思います。


『仄暗い水の底から』

『リング』と同じ原作者、監督作品。
やはりこっちも面白い。黒木瞳の離婚調停中の精神不安定な母親の演技も冴わたる。
話の筋もよくできていると思うし、地味だけどゾワゾワっと背筋が凍るような演出も見事。赤いカバンや髪の毛など。
でもやっぱり化け物が実体化するとチープさが目立つ。
しかしグレーディング、色設計はほんといいですね。全体的に黄ばんだトーンとかハッとするような鞄の赤色、黄色い雨具。
これは昔の映像だから雰囲気あるとかそういうレベルのものじゃなくて、見せたいものに対しての取捨選択ができておりかつ、作り手の美意識がのってる映像になっているから良く見えるのだと思います。

話は水子の産み直しがテーマだと思いました。生まれた後に流産させられたような子が、黒木瞳を母親がわりに再生する話。
子供と水って潜在的に日本人が怖がるものなのかな、と(海外の人も怖いのかもですが、、)。そういうところをなんとなくじゃなくて意識的に突いてきてるであろうところも高評価。


『残穢 -住んではいけない部屋-』

最後の最後で失速する作品。
全体としてはすごく面白いのだけど、終盤の展開のせいで面白くなかったと思わせてしまう作り。

マンションに起こる怪奇の原因を過去に過去に手繰っていく構成はとても面白いし、 家、土地にこびりついた穢れという考え方も日本的で良いと思った。 タモリクラブ感覚で見るホラーって感じ。 家、家系について記録が豊富にある日本だからこそなのかなと。 ヨーロッパは貴族こそ歴史が長く色々記録されていそうだけど、そこらの民家の記録ってタグれるのかな、、? 戸籍制度も世界的には独特らしいし。

映像について。
『リング』や『仄暗い』と比較すると、映像技術が上がって画面は綺麗なのだけど、なんだかいまひとつな印象。なんでなんだろうと思ったが、こっちは作り手の美意識が感じられないのが原因かもしれない。
技術は見えるけど意志が感じられない。そんな画面。悪い意味でドラマみたい。
こういうのをみるとやはり日本のエンタメは90年代が一つのピークだったのかな、なんて思ってしまい悲しくなる。もちろん僕が見てる作品が少ないので一概には言えない。


『タイガー&ドラゴン』

クドカンのドラマ。最近落語に興味がで始めたので試聴。
クドカン作品を他にちゃんと見たことはないが、このやたらめったらキャラがいるのがクドカンらしさなのか!というのは感じた。
ヤクザが自分の身の周りに起こったことを落語の古典になぞらえて話していくストーリー。面白いと思います。
まだまだ勉強中ですが、「芝浜」と「猫の皿」が好きです。

『うちの師匠はしっぽがない』


落語ゾーン。こっちはアニメ。
たぬきが人間に化けて落語をやる話。近代化、工業科の中で”化かし”の力が弱くなった世界で、人を"化かす"ために落語をする、という構図はとても良く、清らかにさえ思う。
ただストーリーがあんま面白くない。師弟モノは割と好きなのでお気に入りではある。


脇道:ホラーを楽しむ素養

先の"化かし"の力が弱まっているという話で思い出したが、ホラー・怪談好きの友人と話していた時、「今どきはホラーを見るのに素養がいる」という話題があがった。ここでいっている素養とは、ファンタジーをファンタジーとして楽しむ能力というか、「幽霊やチュパカブラなんているわけないよな」という心を持ちつつもそれが存在しているかのごとく楽しむ能力、またその話が存在していること自体を楽しむ能力のこと。それこそ妖怪なんてまさにね。
最近はホラー映画も人怖系が多いみたいです。サイコホラーですね。
僕が子供の頃(00年代)はまだオカルト番組がいっぱいやっていたので、そこで鍛えられたのかもしれない。

近い話で今読んでるピンチョンの『逆光』で、上位的な存在が「昔はストーリー、怖い伝承(ファンタジー)だけで人々の行動を抑制できたけど、近代の人々はストーリーを信じなくなったから」といって実際に物理的な災害を起こすシーンがある。
ファンタジーの力、どうすべきか。


『Do It Yourself!!』

はあ、またJKホビーものかぁ、なんて思ってたけど『ぼざろ』が自分の中でプチヒットしたので食わず嫌いやめようと再生ボタンをポチ。
美術はとてもいいけど、話が詰まらない。子供向けだとしても子供を舐めてると思う。壊れた自転車をよよいと直してくれた先輩を探し始めると、その人の怖い噂を聞いてハンマーで殴られるかもしれない、ヒエーーーって流れ。あまりにも茶番すぎる。自転車直してくれて自分のローラースケートにワンワンのシール貼ってるやつが悪者のわけないじゃん。なんだか"書かされている"感。アニメのお約束だよね?これみたいな。その後のストーリーもふわふわした感じが続くので3話で試聴中断。暇があったら試聴再開するかも。

『ぼざろ』

勢いで『ぼざろ』の話。最終回に向けて若干息切れしてる感じはありましたがとても良いアニメだったと思います。演出的な実験もたくさんあってよかったです。
なんで自分がこのアニメを楽しめたかというと、
1、アニメとしての面白さが追求されている
2、自分が高校の時にバンドやっていたから懐かしい
だと思います。1はね自分がアニメーターだから、アニメを作ってもらえると嬉しいという話。日本のアニメは基本的に漫画原作であり、コマの絵を再現するための原画主義だと思っているのですが、もっと動画主義的な作品があって良いなと思っておりまして、『ぼざろ』はそこに近いところにあると。原作が4コマであるから映像化の際に"動き"を演出に組み込みやすかったのではないか。プラスで音楽ものであるので、否が応でも"音による演出"も必要になってくる。音は時間的なものなので音の演出をするとグッと映像(時間芸術)としての魅力が増す。ここら辺が功を奏して良いアニメになったのだと思います。漫画原作の作品で音が演出の主軸になることってほぼないですからね。

一番好きなシーンは青白い顔で虹夏を追いかけてきたぼっちちゃんと、「後藤です」の演技。前者は多分ロト使ってるんだと思いますけど、それが良い味出してますね。あとは演奏してる時におっさんみたいな動きになるぼっち。

喜多ちゃんが一番才能あるよね。一年未満であんな力抜いてギタボができるって。
ぼっちちゃんの最後のアジカンカバーがとても良いですね。なんか声の抜き方、張り方が、やくしまるえつこ にすごい似ていて好きです。

『チェンソー』

『ぼざろ』の話をしたらこっちもしなきゃダメでしょうに。
結局最終回まで見ました。結局というのはマキマ寿司のシーンでもういいかなって思ってしまって一旦試聴中止しました。マキマ寿司のシーンが原作で「おもしれぇこの漫画」となったシーンなので、そこを観て「ああ、こんな感じか」と思ってしまい、もういいか、と。
でもやっぱりここまで来たなら最後まで見てやるよ!と観ました。
最終回はまあ良かったんじゃないでしょうか?電車の上でのサムソとの会話、こんなセリフあったけ?と思ったらアニオリだったんですね。なんかすげぇありきたりな会話でびっくりしました。足す意味あった?
キンタマ蹴って「キーン!」はないでしょ。シンプルにダサいよ。そもそも姫乃へのレクイエムはサムソの雄叫びでしょ。

そういえば毎話ED曲違うってやつ。
途中までは今回誰が映像やってんのかなーって楽しかったけど、最終回で本編がそのまま続いてイントロが流れ出したところで「あれこの作品てこんな爽やかな世界観だっけ?」とすごい違和感を覚えた。これはもはや監督もミュージシャンも悪くなくて、最初のプロデュースが悪いですよね。と考えると毎週ED変えるのは"作品作り"としては良くなかったと思います。実は誰も幸せにならないのでは?

実験精神は大事なので、そういうところは評価したいです。ただ失敗だと思いますね。でも失敗は成功の母です。叩かれる理由はそれを他人の庭でやってしまったことでしょうね。


『神々の山嶺』

フランス制作。美術がとても綺麗です雪が美しく描かれています。
小説も漫画も未読なのでいろいろ端折られているのでしょうけど、1本の映画としてはまとまっていると思います。
昭和の日本の景色が再現されているんですけど、色味の設計が洒脱で不思議な感覚に陥ります。確かに日本なんだけど日本じゃない、みたいな。
作画は良くも悪くも海外っぽい。山登りのシーンは文句なし。ただ、街のシーンなど、キャラが原画に向かって動いている感じが気味が悪いですね。デザインがリアルめだからこそ。
大塚明夫とか有名どころの声優の"ぽくない演技"が聞けるのが良いです。


『サマータイムレンダ』

ループもの。見たのはアニメです。
2クールで収まっていて良い感じでは?

最初は土着怪奇ホラーで始まるけど途中から能力ゾンビモノになる。そしてオチは恋愛モノ。このごった煮感は割と好き。
ただ、ループものかと分かった時に少しがっかり。なんなんでしょうねアレ。この作品が悪いどうこうじゃなくて、ああこのあと説明セリフ多くなるんだろうなぁってのがわかるからかな、、、わからん。

キーになっているヒルコ伝承周りについて。
ヒルコ(水蛭子)はイザナギ、イザナミのが産むのに失敗したとされる二神の最初の子供のこと(とされている)。水子ですね。
作中、それがクジラの姿を持って海から流れ着く(流された子が回帰)。それで舞台のヒトガシマの神として祀られる。そしてヒルコ自身、またヒルコの生む子はカゲと呼ばれる。
一方、一連の事件がヒルコ自身の消滅で終わると、ヒトガシマは天照アマテラス(太陽)を祀っていることがわかる。(ちょっと調べた感じ舞台のモチーフである友ヶ島には天照を祀る社があるみたいです)
天照はもちろんイザナギ、イザナミの子供である。生むのに成功した高貴な子です。こう見るとちょい悲しいですね。

(全然関係ないですけど、ゲームの『大神』のラスボスの常闇ノ皇もヒルコモチーフか!!今気づいた。『大神』の主人公はアマテラスです。)

こういう下地がちゃんとある感じがGOOD。神話周りを前景化させなかったのは読者層を考えて渋くなりすぎないようにしたのかな?それとも原作では説明があったのかな?

(作品の良し悪しと関わらず)
ループものって微妙に自分の好みと外れることに気づく
輪廻転生はめちゃくちゃ好きだし自分の数少ないエモ琴線でもあるのだが、ループものはそこに引っかからない。なんででしょうか。多分人が生き返るからだと思います。サマータイムレンダもネタバレですけど、結局みんな生きてるし。(でもハイネが転生して龍之介の子供になってるのはエモった。ちょろいな自分)
多分、死と残された者に愛着があって、生き返るってことになると違うのかもしれない。再生ではなくて転生に思いを馳せているのか。生への執着ではなく死の超克に思いを馳せているのか。
そんなことに気づいた。


生活し創作をしたいのでお金が欲しいです。記事面白かったらぜひ支援お願いします!