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河﨑秋子 「ともぐい」

2023年、第170回直木賞受賞作品。

芥川賞も直木賞もほとんど興味はありません。受賞作品を手に取ってがっかりすることも少なくないので。もう、これは作品との相性、出会うタイミングの問題と言ってよさそうです。

「ともぐい」

もう題名からして引っかかります。「共喰い」という題でどなたかが書いていてそれも心惹かれたのですが、そちらは読まずじまいで終わりました。

図書館の本でしたので、紹介の帯も何もない。借りて面白くなかったら嫌だなと思いつつ最初のページを読む。

あ、これは自分の肌に合うやつだと直感的に理解する。

熊爪という名の猟師の物語。読み終わってつくづく思ったのは、人の理(ことわり)は人の中で生きていくためのもので、それは獣の理とは違うものなのだということ。

熊爪は養父に猟師として必要なことを教え込まれるが、それは人として育てるよりも獣が子に猟の仕方を教えるに近い。熊爪は猟の共として一匹の犬と山小屋で暮らし、猟で得たものを白糠という町の門矢商店で売る。山で採れたものと売って得た金で贖ったもので生活している。 

熊爪の生き方は人の理より獣の理の方に近い。それはそうだろうと思う。彼は人中で生きてはおらず獣の暮らす山で生きているのだから。

彼の目から見たもの、感じたことが綴られる。何というか、獣から見たらこう見えるだろうと思われることばかりで興味深い。かくも複雑で面倒で捉えどころなくわかりにくいものなのか、と思う。

人の中で生きていくには、身につけていかなければならない何物かが必要でそれはその中で生きていかなければ身につけられないものだと思い知らされる。

彼の運命は小題から予想できてしまったのだが、読み終えて「ふーむ・・・」と唸ったきりで言葉が出てこない。ネタバレになるが、彼は獣として生きた。だから人と暮らせるはずもないのだ。

肉体を持った獣として生きることは、人はもう出来はしない。だから、熊爪の生き方には憧れがある。絶対自分には出来ない生き方だから。

人が肉体を持っているならば、生きるためには食わなければならない。そのために狩りをするのはとても納得がいく。生きるために殺しも戦いもする。獣の世界の如くそれは必要で必然でシンプルで真っ当だ。その真っ当さに引き寄せられるのだ。

熊狩の話が出てくるのだが、近年、近くで熊がうろついているというニュースを頻繁に聞くようになった。熊被害が多くて困っている自治体が熊狩りをするのはさもありなんと思っていた。ところが、熊を殺すなという電話が殺到したというニュースを耳にして信じられない思いだった。そういう主張をする人は獣がいないところで暮らしている人なのだろうと思う。

表題の「ともぐい」

読み終えて確かにそうだったと思う。とすれば、なんだ、人も獣もさほど変わらないのだと思えてくる。

河﨑秋子氏は北海道の出身らしい。読みながら北海道の原野を彷徨った気になった。「ゴールデンカムイ」も北海道が出てくるし。今年は河﨑氏の作品を追っていこうと思う。

なお、ここで使っている「獣」という言葉は生きるためにシンプルに生きているもののことを指す。獣が人間より劣る存在という意味合いでは使っていない。人間も肉体を持っている限り獣だと思っている。そこから抜け出したくて足掻いているのが人間なんでしょうかね。



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