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咳をしても一人
表題は尾崎放哉の有名な句です。
型にはめない、はまらないこの句を初めて知ったのはいつの頃でしょう。自由律句というらしいんですが。多分、中学か高校あたりで習ったのではないでしょうか。あ、こんな俳句もあるんだと衝撃的でした。
五七五もない、季語もない(咳が冬の季語という話もあります)、よくわからないけれども伝わってくるものがある。咳をしてもそばに誰もいない寂しさとか当時は習ったような気もしますが、それどころでない壮絶な孤独が背景にあったと後から知りました。背景を知らなくても十分伝わる孤独感があります。
死に近づくに従って句は骨に食い込むような感じがしてきます。
入れものが無い両手で受ける
苦しいとか寂しいとかひと言もない。人が驚くようなどぎつい言葉をつかってるわけでもない。それでも何か迫るものがある。「入れものが無い」凄みのある言葉だと思う。
俳句を作る場合、初心者はまず季語を入れて五七五で作るとなんとか様になるというので、それだけは忠実に守っています。そして放哉のようにそれに頼らなくてもよい句を作れるようになりたい。
ギリギリのところを生きなければこういう句は出てこないのかも知れない。そういう句を作らずに済んでいるのは幸せなことかもしれないな、と思いつつ。
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