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「はじめましてカフカです」

私は、様々な人生経験をしてきました。様々な人生経験という中には、ちょっと特殊な経験も含まれています。その辺も以下に記していますので、ちょっとお目汚しかもしれませんが、読んでやってください。

略歴:

・三人兄弟の真ん中として生を受ける。
 馬小屋で生まれたわけでも、
 3賢者が来たりしたわけでもなく、
 普通に産婦人科で「おぎゃあ」と生まれた。

・~保育園時代~
 遠足の絵を描く活動で、
 「噴火した火山から逃げ惑う園児」 
 なる不気味な絵画を作成。母親が呼び出される。
 「息子さんは虐待など受けていませんか?」

・~小学校時代~
 成績優秀で神童と呼ばれる。
 (当時は全国的にたくさんの神童がいたらしい)
 少年野球部に所属。一番、ショート。
 愛読書は「走れメロス」

・~中学時代~
 成績は変わらず優秀。
 「簡単過ぎて授業がつまらない」と嘆く。
 部活は野球。一番、ショート。
 愛読書は「罪と罰」

・~高校時代~
 地元で有数の進学校に授業料免除で進む。
 ようやく化けの皮がはがれ始める。
 「難しすぎて授業がつまらない」と嘆く。
 野球部がなかったので作る。一番、ピッチャー。
 愛読書は「ライ麦畑でつかまえて」

・~大学時代~
 まあまあの私立に進学。文学部英文学科。 

大学時代


学生課に行って「実家引っ越しました〜」と転居届を提出。すべての郵便物を一人暮らしのアパートへ。(よしっ!大学からの知らせは両親に届かない) 僕は取得単位ゼロのまま、3年間全力で遊んだ。 実家に帰省した際「そろそろ4年だな。就活頑張れ」と父。
「実はね…父さん」
死を覚悟した僕の心は、深海魚のように静謐で澄んでいた。

「貴様っ!」
3年間0単位で遊びまわった僕は、父にボコボコにされた(自業自得)。そして、腫れ上がって痛む顔をアイスで冷やしながら、実家から逃げるように乗った夜行バス。大学は中退。行先はどこでもよかった。

なんとなく東京へ。

新宿着。
「な、なんだ!祭りかぁ!!」人の多さに祭りを疑う。
福岡県民の血が騒ぐ。
血が騒ぎすぎて、あちこち行った。

新宿、原宿「色んな宿があるなぁ…」
目黒、目白「色んな目があるなぁ…」

素寒貧!


「万事休す…」あてもなくさまよった挙げ句池袋で金が尽きた。当時はカラーギャング流行中で季節は冬。恐怖と寒さで震えた。空腹でグーッとうなる腹。見知らぬ大都会で、僕の胃袋は断末魔の叫びをあげた。
 「大丈夫か?」ホームレスのヨシダさんとの出会い。

路上へ

教会や公園の炊き出し、コンビニの廃棄、居酒屋の生ごみなどで腹を満たしながら、結局半年ほどホームレス生活を満喫した(そのへんの面白い話はおいおいしていくことにする)。
変なしがらみもないし、時間も自由だし、食に困ることもなかった。
ただ、少しずつ自分の中の大切な何かが染み出していくような、
おぼろげな不安は常につきまとっていた。

ホームレス仲間はみんなそれぞれ好きな名前を名乗っていた。即偽名とわかるものや、どっちかわからないリアルな名前まで(あるいは本名だったのかもしれないが)それぞれだった。僕はカフカを名乗り、主にヨシダさん(おそらく偽名)と行動を共にした。

路上からの脱却

「自分がやりたい事をやるのではなく、やるべき事をやるのが紳士だ」 池袋駅に捨てられていた【ノルウェイの森】に書かれていた一節。何かが僕の心を撃ちぬいた。

僕がやるべきことはなんだ?

・・・「社会に戻ろう」
心は決まった。


「これまでありがとうございました」僕は半年間お世話になったホームレスのヨシダさんに缶詰を奢り、偉そうに講釈をたれた後、故郷に帰る事にした。

しかし、悪臭に包まれた僕が先ずやるべきは、風呂に入る事だった。

ここまで読んでくださってありがとうございました。なんとなく、カフカがどんな人間なのかがわかっていただけたのではないでしょうか。いや、わからなかったかもしれませんね。でもそれはあなたのせいではなく、僕の語りが不十分なせいです。
その後、介護福祉士、作業療法士、公認心理師の資格を取得し、現在医療機関でリハビリの仕事をしながら、時にはメンタルヘルス関連の講義活動をし、ご依頼によりイラスト作成なども行っております。

このnoteでは主に自分の経験や作品について語っていこうかと考えております。どうぞよろしくお願いします。


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