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凡庸な悪について

検察庁法改正にはもちろん反対だし、愚かだと思うが、多くの人が投票にいかなかった結果今の政権があるわけだ。そして多くの人が忘れてしまうから平気で嘘をつき続ける。それに対して今まで無言でいたから世論が行政に変わってしまったのではないか。その事実とどう向き合うか。今になって何か発言をする人は根本的に僕は信じられない。みんなが言い出したから僕も/私も言うというスタンスは世の流れが変わればまた違った方向に流れていく気がする。だから僕が信用するのは世の中がどうであれ自分で考えることができる人だ。まあ、そういう人は苦労すると思うけど。


凡庸な悪とアーレントは言ったけど、その最たることは黙っている、ということだと思う。映像の世紀でアウシュビッツが解放された後ドイツの一般人が見学に行った時、人々は「知らなかったんだ」と言ったけどガリガリになったユダヤ人は「あなた方は知っていた」と言ったシーンがあったと思うが、目の前の不条理に対して声をあげないと社会はどんどんおかしな方向へ進んでいく。


今の政権の暴走は私たち自身で生み出しているという自覚がなければ、社会は変わらないし、また同じ過ちを繰り返すことになる。そうならないために憲法があるのに文字による統治ではなく声による政治が繰り返されている。声をあげるのは重要だけれど、善なるものの公理系を生み出すこともまた重要だ。法とはその公理系なわけだから時の権力者の恣意によって変更されるべきではない。またそれは理に基づいたものでなければならない。

思えば日本人は世間というものに回収されるような心の在り方だと思う。今必要なのは西洋的な理性の在り方だと僕は想う。世間という輪を超越した理性的存在へと人々の心は進化する必要があると僕は想う。自戒を込めてここに記しておく。

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