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【読書感想】遠藤周作生前未発表作『影に対して』〜自らの影に向き合った砂浜の足跡を追う

グーテンターク!皆さまこんにちは。

今日は遠藤周作の生前未発表原稿『影に対して』と、母をめぐる短編を収めたこの本を読んだ感想を書きたいと思います。

以下はAmazonでの内容説明です。

“完成しながらも発表されず、手許に残された「影に対して」。「理由が何であれ、母を裏切り見棄てた事実には変りはない」しかし『沈黙』『深い河』などの登場人物が、ついにキリストを棄てられなかったように、真に母を棄て、母と別れられる者などいない―。かつて暮した街を訪ね(「六日間の旅行」「初恋」)、破戒した神父を思い(「影法師」)、かくれキリシタンの里を歩きながら、(「母なるもの」)、失われた“母”と還るべき場所を求め、長い歳月をかけて執筆されて全七篇”

この本を読むきっかけはこちらのNHKの番組を視聴です。

初回放送日: 2021年10月9日     代表作「沈黙」で知られる作家・遠藤周作。その未発表小説、104枚の原稿が長崎で発見された。なぜ、封印されたのか―原稿には、“燭影”のタイトルが消された痕跡があった。母を孤独な死に追いやった父へ、複雑な感情を抱えていた遠藤。人間の弱さとどう向き合い、ゆるすのか。小説には「沈黙」にも連なる大切なテーマが秘められていた。一人息子、遠藤龍之介の取材も手がかりに、25年の時を超えた作家のメッセージに迫る。

清書原稿の原稿用紙から推察する執筆時期の推理、なぜか2枚だけ残された草稿の謎、そして研究者や近くにいたお弟子さんの作家、最後に草稿も残る「アスハルトの道と砂浜の道」のエピソードを直に聞いた息子の遠藤龍之介氏へのインタビュー、非常に素晴らしい構成の番組で、これは小説『影に対して』を読まねばと思ったのでした。

『影に対して』で遠藤周作は、生活と人生なら、母を捨てた父を憎む自身の心と向き合っています。なぜこれを生前出さなかったのかは父が存命でプライバシーに配慮したからという理由が考えられるそうですが、私は別の理由もあるのでは?と本を読んでから思いました。というのもこの本に収められて発表された母(と父)をめぐる話もプライバシーにも踏み込んでおり、遠藤の父に対する嫌悪も隠されておらず、以下の作品を順番に読んでなぜ最初を発表せず秘密にしたのかが一読しただけではわかりませんでした。

以下本の奥付きから引用です。

影に対して 未発表小説。二〇二〇年六月二十六日、長崎市遠藤周作文学館は寄託資料の中から本作(著者による草稿二枚および秘書による清書一〇四枚)が発見されたことを公表した。その後、「三田文學」二〇二〇年夏季号掲載。本書においては、同館より借り受けた写真版によって、小社編集部が新たにテキストを作成した。自家用の原稿用紙に印刷された自宅住所から、六三年三月以降の執筆と目される。
雑種の犬  「群像」一九六六年十月号
六日間の旅行「群像」一九六八年一月号
影法師  「新潮」一九六八年一月号
母なるもの 「新潮」一九六九年一月号
初恋「小説新潮別冊」一九七九年夏季号
還りなん  「新潮」一九七九年一月号

番組の検証によると影に対してが執筆されたのは1966年頃と推定され、代表作『沈黙』を書き上げた時期です。母にまつわる物語は 雑種の犬から母なるものまで66年から69年の間に書かれており、影に対しては3年間の初期に執筆されたものとなります。

父のプライバシーに配慮だけが理由はやや弱いと感じ、もう一度全7篇を読み直し、ETVの番組を思い返してみました。

出さなかった理由は、『影に対して』は父に対する歩み寄りを試み、父への憎しみ、母を美化したい気持ちの奥底の自らの感情を作家遠藤周作として掬い上げようとした作品であるからではと考えるようになりました。

人間遠藤周作には相当な痛みを伴ったはずで、まさに砂浜の苦闘の足跡を作家として作品として遺したかったのではないかと考えます。

『影に対して』にこんな記述があります。

しかし、理由が何であれ、母を裏切り見棄てた事実には変りはない。それが今日まで彼の心の奥にしこりとなってきた。自責の念に駆られれば駆られるほど勝呂は父を厭わしいもののように見てしまう。自分の弱さを誤魔化すためにも、父をうとんじてしまう。それが不合理であることは理窟ではわかっても、感情ではどうにも動かせないのだ。

同時期に書かれた『沈黙』は人間の弱さ、そして弱さを認めた上での赦しについて世の中に問いかけました。

同じテーマを遠藤は『影に対して』で遠藤周作個人にカスタマイズした作品を描きます。自らの影と葛藤を描きながら、それは自らに捧げられた作品ではとないかと思うのです。当初タイトルは『燭影』となっています。キリスト今日で灯すあの蝋燭に照らされる影という意味でしょうけれど、影に向き合うという覚悟のニュアンスからキリスト教的な要素を取り除き、影とだけ書きさらに「対して」をつけたのだろうと想像しました。

また、この作品を書いたからといって遠藤周作の心の霧が一気に晴れたわけではないようです。実際には葛藤は『影に対して』を書いてからさらに20年も続いています。息子の龍之介氏が記憶する赦しの時期は遠藤が亡くなる7、8年前、祖父へ91歳の最晩年の「もう、いいんじゃないかなあ」であるとするならば、40代半ばで執筆した「影に対して」の決着は遠藤が60代半ばの頃であり、非常に時間がかかっています。

タイミングとすればその時未発表原稿を出してもよかったはずですが、遠藤周作は奥にしまったままにしておいたのはなぜか、本人しか知る由もありませんが処分もしていないことから、後世に残す意思はあったのだろうと感じられます。

この作品のハイライト、「アスハルトの道と砂浜な道」は実際に父、遠藤周作から息子に伝えられたエピソードであると龍之介氏自らが驚いて語られています。その二つの道のバランスをどのように自らが折り合いをつけていけばよいのか、悩んだときに深く染み入るエピソードです。『影に対して』が遠藤周作の心の中でゆっくり消化されてゆき、消去されずに昇華されたのちに、このように今世に出たことで、より多くの読者に生き方を考えるきっかけになることは素晴らしいことだと思いました。

困難を感じ、周りにも理解されず苦しい時に進むそんなときに読んでもいいし、そういうときを思い出して、改めて自らの人生の中での意味付けを行うきっかけにもなるかもしれません。

実際私も、自分の中にある小さな古傷がチクチク痛むのか、本を読んだ日の夜はとても変な夢を観ました。(苦闘の)足跡が残る砂浜の道と、アスファルトの道、あなたは砂浜を行きなさいと書いた遠藤の母の手紙は私にも強烈なインパクトを与えました。

これからもきっと、折に触れてこのたとえ話を思い出すのだろうなと思います。

『影に対して』を見つけてくださった方、発表を許可してくださったご家族、母をめぐる物語として七篇で構成し、世に出してくださった出版社の皆さん、そして自らの苦闘の足跡を作品に残してくれた遠藤周作さんに感謝します。お母様はあちらで砂浜の道にたくさん立派な足跡をつけ、生活も人生も充実させた息子さんを誇りに思っていらっしゃると思います。

では、最後まで読んでいただきありがとうございました!

Bis dann! Tschüss! ビスダン、チュース!(ではまた〜)😊







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