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【読書感想】森本あんり 『不寛容論―アメリカが生んだ「共存」の哲学』(新潮選書)

グーテンターク!皆さまこんにちは。フランクフルトのYokoです。

週末に『不寛容論』という面白い本を読みました。

内容紹介
「わたしはあなたの意見に反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」――こんなユートピア的な寛容社会は本当に実現可能なのか。不寛容がまかり通る植民地時代のアメリカで、異なる価値観を持つ人びとが暮らす多様性社会を築いた偏屈なピューリタンの苦闘から、その「キレイごとぬきの政治倫理」を読み解く。

本書の目的は「寛容に必ず内包されている不寛容を主題化し、真の寛容の所在を明示する試み」と著者は述べていますが、この逆説アプローチが新鮮で、また本質に迫っていると感じます。

最初にまず日本人読者のバイアスを取り除くところも、アメリカの宗教史に入っていきやすくしてくれて親切です。

アメリカと違い宗教に無関心な日本人がむしろ非寛容であると、まず読者のフィルターを取り除いてから、中世キリスト教の寛容論を手解きに続きます。そして変人神学者ロジャー・ウィリアムズの活動について詳しく述べられ、後世評価された点と最新ロジャー・ウィリアムズ研究と、その研究の批判的研究者のコメントが続きます。

私もそうですが、一般日本人には馴染みがないこのイギリス生まれの神学者はアメリカ人にとっては政教分離原則の提案者であり、アメリカインディアンの公正な扱いを主導したアメリカ史の重要人物として認識されています。没後にいったん忘れられた後に20世紀以降に再評価されたようです。寛容と不寛容が激しくせめぎ合う現在のアメリカで再び研究に焦点が当たっている人物のようで、そのために著者がこの人物を手がかりにアメリカの寛容を論じています。

私はアメリカに行ったことも暮らしたこともないのですが、アメリカの印象は何事も表に極端に現れる自由の国。同時に単に力と力がぶつかり合うだけない奥深さ、底力も感じてきました。本書を読んでその源泉を見た気がします。

アメリカの多様性な宗教は最初から棲み分けではなく、各教徒が激しくぶつかり合い論戦(対話)しながら今の形になり、そのプロセスごと宗教バックボーンが社会の中に内包されているから強いのだと。またそれ故に時に激しく揺れるのだと理解しました。

政教分離や信教の自由、およびそれに派生する〜する権利について絶えず議論がなされているし、裁判も多い。分かり合えない同士、それでも折り合いをつけ共存の道を模索してきたその苦闘のプロセスがアメリカを幾重ものレイヤーで国を強靭にしてきたのだと思います。

そのぶつかり合いの500年の積み重ねがアメリカの強さ、奥深さを作り上げているのだなと。

以前読んだこの本を、今もう一度再読すればアメリカ理解が深まるかもと期待。


アメリカの歴史にはさまざまな要素が複雑に絡み合っていますが思い起こせばいまひとつ腹落ちしないものが宗教関連の部分でした。今回そこをアップデートできた分、もう少しアメリカがつかめるといいな。

この本はトランプ大統領誕生までの通史としてとても面白いのですが、難はとにかく500年の長いこと…。と宗教がらみのあれこれが私には理解しづらかったのですが、後でつまみ食いでちょこちょこ読み直します。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!

Bis dann! Tschüss! ビスダン、チュース!(ではまた〜)😊








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