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日々読み #53

10/30晴れ

本やSNSを通して書くことや読むことを通じて、救われたという経験を持つ人たちが一定数いることがわかる。
言葉は時に人を傷つけるものになるが、同時に救いにもなる時がある。言葉のそういう使われ方を僕は積極的にしていきたい。
言葉を通して今いる場所からもう進めないかもしれないと思った人の視点を広げたり、世界をおしひろげたりしてくれる。
本を読むことであともう一歩先に進めるための手立てを考えることができる。
そういう経験をしているからこそ、僕は本を読むのだと思う。


10/31 曇りのち晴れ

友達から連絡が来て、来月私の家に遊びに行くとのこと。
いつも突然で面倒気もするけれどなんだかんだで、楽しみになっている。
日程の調整もついたし、この予定があるからもう少しだけ仕事が頑張れそうだ。
人を動かすのは結局、権力やお金でもなく、楽しみなことなのかもなあと思った。


11/1 晴れ

もう気づけば2ヶ月で今年も終わってしまう。
年々、一年が過ぎるのが早くなっている気がする。
一年が早く感じるようになったことで楽になったこともあるし、嫌になってきたこともある。

まだ今年一年を振り返るのは早いけれど、ざっと思い返すだけで色々あった気がする。ちゃんと振り返るのはまた今度にして、今は今やっていることに向き合ってやっていきたい。


11/2 晴れ

妻のお腹が大きくなってきた。
今までも着実に大きくなっていたのはわかっていたけれど、ここにきて、ぐぐっと大きくなってきた。
胎動も激しくて、せっかちときかんぼうな親の遺伝子はしっかりと受け継がれているようだ。
最近お腹を蹴る力が強いのは健康的な証でもあるとは思いながらも、妻がお腹が痛そうにしているのを見ると複雑な気持ちになる。


11/3 晴れ

誰かが誰かのやり方を否定するということについて考えた。
人から何か言われることというのは、自分からは気づけないことやわからないことを伝えてくれるから重要な情報だ。客観的な情報をもって、自分の直すべきところや癖みたいなものに気付くきっかけになる。

だけど、忘れちゃいけないのはその人が発した言葉がそのまま自分の価値を決めることにはならないということ。

否定してくるよう人はその人の考え方や哲学を真に理解した上で言っているわけではない。その人が見てわかる情報の中でしか言葉にできないから、あくまでも人からの言葉は参考情報として受け取るべきなのかもしれないと思った。
人からの言葉を気にするなということではなくて、参考にする程度。この塩梅が大切なのかもしれない。

人を育てることを考える時、自分の子供に対してどう接したいかに置き換えてみたら、想像しやすくなるのかもしれない。
信頼や愛がある言葉だからこそ、届くし響くと私は思う。


11/4 晴れ

強い言葉というものは人の心に、じんじんと残り続けて、その人の思考を捉えて離さない。強い言葉が持つ力が薄れていくのにはそれなりの物理的な時間が必要だ。それを身をもって体感する。

こういう体験や感覚は、できることなら経験しないことを願ってしまいがちだ。
でもヒトはこういう経験があるからこそ、自分ならどうしていきたいかを考えれるのだろう。相手と同じ立場だったら、その立場になるとしたら、どう言葉を選び、どう相手に伝えていくか。

その際に言葉を知らない人にはなりたくないと思った。
代替する言葉を持たないからこそ、言葉はより少なく、強くなり、相手を傷付ける。言葉が増えれば強く優しく相手に届くものになるはずだ。


11/5晴れ

今日は写真を撮ることについて話し合う時間があった。
その人は写真の持つ偶然性と必然性みたいなものを語っていて、僕自身もその方の写真集から同じようなものを受け取っていたから驚いた。

写真は言葉を介さない表現方法だが、写真だけで撮影者の意図を汲み取ることができるメディウムだということを痛感させられた。
同時に撮る人の視点がぶれぶれでは通底するメッセージ性もあやふやになってしまうのだろうと思った。
写真は映画的でもあるのだなあという気づきを得た。

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