【迷5】コラムニストはエッセイストなのか
恥ずかしながら、自分はnoteという世界で
「コラムニスト兼エッセイスト」
と勝手に名乗っております。
恐らく警察にご厄介となる場合は「職業不詳」「自称文筆業」「家事手伝い」などとカテゴライズされるでしょう。
ところで。
コラムニストとエッセイスト。両者には違いがあるのでしょうか。
ネット世界が生んだ知の巨人・Wikipediaには、こう書かれています。
新聞・報道雑誌・ニュースサイトなどに掲載される、ニュース以外の記事。つまり、個人的な分析・意見が含まれている記事で、評論やエッセイの他、人生相談コーナーや「オススメ○○」などといったものも含まれる。コラムの執筆者を、コラムニスト (columnist) という。
(Wikipedia「コラム」より引用)
随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。随想(ずいそう)、エッセイ、エッセー(仏: essai, 英: essay)などともいう。「essai」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった。
(Wikipedia「随筆」より引用。エッセイを検索すると、ここへ飛びます)
コラムの中に「エッセイ」という言葉が入っています。
コラムとはエッセイなのか。エッセイの派生型がコラムなのか。その逆か。
考えているうちにサラ金屋と保険屋が頭をよぎり始め、ゲシュタルト崩壊を起こしつつあります。
誰もが勝手に書き加える事ができる知の巨人を見たところで、自分が求める答えは出て来ませんでした。残念無念。痛恨の極み。遺憾の意を表します。
ですので、自分が前々から持っている棲み分けを書いてみます。
コラムニスト→世の森羅万象にイチャモンを付ける人。
エッセイスト→自分の半生や思い出を切り売りする人。
前者の有名どころは、木村太郎・天野祐吉・ナンシー関。
後者の有名どころは、阿川佐和子・ジェーンスー。
コラムニストと称される人は、少々お固い印象があります。木村太郎なんてニュースJAPANで思いっきり「コラムです」と言っていましたし、天野祐吉さんは、雑誌のタイトル通り「広告批評」の主宰でしたし。ナンシー関さんに至っては芸能人やTV番組をボロクソに書いた上に消しゴム版画まで作っていましたし。題材が猛犬注意的な事だったり、書いている人そのものが猛犬だったり。個人的にそういうイメージを持っています。
その一方で、エッセイストはヤンワリというかほのぼのというか。字面から「白さと香り」が伝わってきます。自伝や日記も同じグループでしょう。読んだ事はありませんが「窓ぎわのトットちゃん」はその最たるものだと感じます。ただ、阿川さんもスーさんも「父親との『抗争』に近い葛藤エピソード」をお持ちなので、エッセイストも柔和な家業ではない気がします。少しばかり血の匂いもしてきました。
ちなみに自分がnoteに文章を落とす際、コラムには「ですます調」を、エッセイには「だ・である調」を用いています。硬派な話には敬体を、実体験に基づく話には常体を。ジャンルの正否はともかくとして、自分なりに使い分けています。ハッシュタグも含めて。
そもそも、スパイシーな話にスパイスな表現を用いても「お前が言うな」と一蹴されそうですし、マイルドな事をマイルドに書いても「43の一人語り」で片付けられそうですし。ちょっとした被害妄想が生んだ技なのかもしれません。知らんけど。
それにしても「イチャモン」「切り売り」は、結構な表現ですよね。それを生業とされている方には申し訳ない事この上なしです。
ただ、自分は良い表現だと自画自賛しています。コレなんて大いなるイチャモンですし、こいつは自分の過去の切り売り以外の何物でもありません。イチャモンや知ったかぶり、無駄な思い出と特異体験は腐るほどありますので、当分ネタに困る事はなさそうです。しかも「お題コンテスト」までありますので、本当に素晴らしいです。このような場所を用意してくれたnote様には感謝の言葉しかありません。たとえ有料コンテンツになったとしても、月100円は充分出せます。但し300円がギリです。
ということで。
今回はコラムニストとエッセイストに関する一考察と、「どうやら後任は橋本聖子のようだ」について書かせて頂きました。