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【え14】特別な「その場所」

2015年6月。
私は福島・いわきに来た。業務命令のためだ。
実にのどかな街。静かな街というのが第一印象だ。
すぐ傍には、小名浜という漁港がある。
そこは2011年3月に津波の被害に遭った。
私が訪れた時には、未曾有の災害に襲われた土地とは考えられなかった。
同僚に水族館に連れて行ってもらった事がある。通常営業だった。

話は変わる。

夜明け前。
ある場所に、各県から業務命令を受けた者達が集まる。
そこから車に分乗し、ひたすら国道6号を北上する。
途中でコンビニに立ち寄り、その日の昼飯を買う。
コンビニ弁当だったり、菓子パンだったり。粗末なものだ。
そして、車は再び北上する。

福島には、広野町と楢葉町の間に「Jヴィレッジ」という施設がある。
とある会社が造ったサッカー専用の施設だ。キャンプ地のようなものだ。
しかし私が訪れた時、その面影は無かった。私達が向かう場所への「前線基地」となっていた。
ピッチは、そこへ向かう関係者達の駐車場となっていた。サッカーゴールこそあったものの、青々とした芝生はタイヤで踏みにじられていた。
私が乗った車は、上下に揺れながら駐車スペースを探していた。

車を停め、ヴィレッジ内の建物に入る。
メッセージが貼られた模造紙が多く掲示されていた。地元の小学生が書いたのだろう。
「がんばってください」
「ごくろうさまです」
「おうえんしています」
その一つ一つに拙い文字で、子供達のメッセージが書かれている。
いや。「大人達によって書かされている」ように見える。
少なくとも、私にはそう見えた。

トイレで用を済ませ、「その場所」に向かうためのバスを待つ。
30分ほど待つと、専用の大型バスが到着する。
「その場所」へ向かう者達と共に、バスに乗り込む。
そこで作業をする者達の大半は、バスに乗るやいなや眠りに就いていた。束の間の睡眠時間だ。
業務命令を受けて初めての勤務の時。私は眠ることなく車窓から外を眺めていた。

バスはJヴィレッジを出て、再び国道6号を北上する。
私は初めて窓の外に拡がる光景を見た時、言葉を失くしていた。
もし私がバスの外に出ていたのなら、呆然と立ち尽くしていただろう。

街並みは「直接的」な津波の影響を受けていなかった。
ただ、道行く人は誰一人としていない。
私が乗っているバス以外は、車すら走っていない。
車窓からは建物はハッキリと見える。
ただ、どの建物からも「人の息遣い」が無いのだ。

ロードサイドの店舗は荒れ果てている。
自動車販売店、パチンコ店、ガソリンスタンド、チェーンのラーメン店。
どれを見ても雑草だらけだ。自動車販売店のショーウィンドウは埃まみれで中がよく見えない。パチンコ店の大型ビジョンは何も映し出されていない。ガソリンスタンドのフロアですら草が生い茂っている。
そして道路沿いにある全ての住宅の前には、ジャバラ状のフェンスが立っていた。

不思議だった。
この場所も大きく揺れただろうに、崩れた住宅は見受けられなかった。
その代わりではないが、新しく建てられようとしていた住宅は散見された。
建てられて年月が経った家。新築したばかりであろう家。
その全てから「暮らしの営み」が感じ取れない。
生々しいゴーストタウンを初めて見た瞬間であった。
極東の小さな島国の、そのまた小さな区域に拡がるゴーストタウン。
感受性の高い人間であれば、目の前に広がる現実に泣き叫んでいるだろう。
私は、ただただ見つめていた。目に焼き付けようとしていた。

信号は全て黄点滅。交差する道から車は出て来ない。バスは速度を緩めることなく、お構いなしに走って行く。
時折、新しく設置されたであろう電光表示が目に付いた。
『ただいまの線量 ◯◯MicroSV』
それを見ると我に返る。
そうなのだ。この街は「目に見えない何か」に侵されていたのだ。
しかも現在進行系で。

しばらく走ると、バスは右手に方向を変える。
周囲には木々の緑が広がり、今まで見てきた光景とはガラリと変わる。
そして、「その場所」の入口にある白く大きなゲートをくぐる。
暫くすると、プレハブ小屋が2棟ほど建っていた。
そこは、ここで仕事を終えた者達がJヴィレッジに戻るための待機場所となっている。そして、これから仕事を始める者達がそれぞれの場所へと向かう出発地にもなっている。
乗っていた者達は、そこでバスを降りる。
仕事を終えた者達は疲労感を隠すことなく、そのバスに乗り込む。

暫く足を進めると、各々の現場へと向かうゲートがある。
そこが、この場所での配置先の一つとなる。

ゲートは5つあったと思う。
その前を工事関係者が列を成している。
彼らはそこで、自らの持ち物をチェックされる。
そして、金属探知機をくぐらされる。
反応があれば、ハンディの金探が体中を伝う。
何も問題が無ければ、探知機の先で持ち物を受け取り、更に中へと入って行く。
彼らは壁のボタンを押す。目の前の自動ドアが開き、一旦閉まる。その中は空間になっており、そこで再びボタンを押すと中へと入ることが出来る。

『カメラ』と名が付く物は、何であろうと持ち込めない。
コンパクトデジカメであろうが、一眼レフであろうが。
携帯電話ですら持ち込めない。検査で発見された際は、別の場所に「連行」される。
作業において必要であろう物は既に建物の中に持ち込まれている。後から来た者が持ち込む必要性はない。
この配置先を任された者は、ただひたすら機械的に業務を遂行している。作業員の方々の顔は辟易としている。昼に食う弁当と仕事の合間に飲むペットボトルを確認するだけなのに、どうしてこんな事を受けねばならないのか。顔にはハッキリと書かれている。

ゲートの横には詰所的な部屋がある。何の変哲もないオフィスだ。
青い作業着を着た者は、この場所を取り仕切る人々。
奥の薄暗いスペースが、私達の詰所となる。
二段ベッドが3つほどあり、「先輩達」が仮眠を取っている。その前には向かい合わせにスチールデスクが置かれており、責任者と呼ばれる方は電気スタンドの下で書類を作成している。

ここに来て初日の業務。
事前に研修は受けていたものの、実地では初めてだ。
私には一人の先輩が付いた。各々にも一人ずつ付いた。
2名一組で、初めての業務に当たった。
ここでのメインとなる業務だ。

まず、2階に案内された。巨大な更衣室だ。室ではない。「場」だ。
縦長のロッカーが整然と並ぶ。作業員達が、それぞれ更衣をしている。
私と先輩は2つ並んだ空きロッカーの前で、身にまとった制服を脱ぎ別の物に着替える。冬用のアンダーウェアと想像して頂ければいい。長袖のラクダ色の上下だ。
そして別の場所へと案内された。
「服のサイズは?」「LLです」「靴のサイズは?」「27です」
体重が60を切った今の私にも、そういう醜いカラダをしていた頃はあった。
そこでもまた作業着を一式渡された。靴下も含めて2枚重ねだ。いや、本来のアンダーウェアも含めれば上下は3枚だ。そして不織布で作られた『タイベック』という物を着るように言われた。着る前に、極太マジックで背中に「田中」と書かされた。タイベックと同じく、不織布製の特別なマスクも渡された。これは研修の際に渡された物と同じだ。
頭の先から足首まで不織布で覆われると、また別の場所に向かった。そこではヘルメットと安全靴、防塵マスクが渡された。
「眼鏡の上からでも問題ないから」言われるがままに装備する。
最後にタバコの箱ほどのオレンジ色の物が手渡され、それを胸元のポケットに入れるよう指示を受けた。
「ジジ…ジジジ」心なしか音が聞こえた。箱に付いている赤いランプには反応はなかった。

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(※画像は研修の際に頂いた「その場所」で使われる不織布マスク)

外へ出た。
梅雨入り前ではあったが、太陽の日差しは明らかに夏だった。
そこから少し歩くと、車が何台か止められていた。全てキーは差さったままだ。そして、全ての座席にはビニールカバーが敷かれている。
「窓は絶対に開けるな。エアコンはハイパワーで付けるから気にするな」
私は一台の車の助手席に腰を下ろした。

業務を行う施設は、車で移動しなければ無理だ。
先輩は車内からシャッター等の開閉確認を行っている。直接の確認は不可能だからだ。シャッターが閉まっていればいい。以前は施錠確認までしていたらしいが。

延々とその作業が続く。
「この先もベテランと一緒に回るから、ルートは心配しなくていい。同じ事を続けると慣れる。そもそもメモが取れないから」
指導を受けながら、業務は続く。その途中で車外を見るように案内された。その先には、半ば崩れかけている建物が見えた。物理的に見て、徒歩で向かうには結構な距離だ。当時はその場所へ向かう事は「化学的」に無理だったが。

いくつかの場所に「休憩施設」がある。
そこではヘルメットとマスク類は外せる。エアコンの風が心地よい。四角い箱に蛇口が付いた形でスポーツドリンクが置かれている。多くの工事関係者達が横になっている。暑さに耐えかねているのか、それとも疲れているのか。とにかく横になっている。

休憩が終わると、ある『特別な建物』の中へ向かった。
「ここも定期的に順番が回って来るから」
どうやら、ここも配置先らしい。多くの関係者の一人として、中にいるようだ。
中に入ると、もうひとりの先輩がいた。『特別な建物』の内部へと向かうゲート前で立哨をしていた。多くの工事関係者が出入りする。そしてIDカードをかざしてその中へと向かう。
一瞬ではあるが、中が見えた。
そして、胸元に入れていたオレンジの箱に違和感を覚えた。


それ以降の事は、言えない。
口が裂けても、言えない。
親子の縁があろうとも、言うことは出来ない。


車を元の場所へ戻し、更衣「場」で装備品を外し、着ていた物を全て脱ぎ捨て、元の制服姿に戻った。アンダーウェアは汗を相当吸っている。私は詰所に戻ると、飯を食う前にアンダーウェアを着替えた。

空が夕焼けに染まる頃。
私達は降り立った場所から再びバスに乗り、Jヴィレッジへと戻る。
そして再び車に分乗して、夜明け前に集まった場所へと向かった。

しかし、私は業務命令として承った日程よりも早い段階で戻った。
場の空気に馴染めなかった。この場合は「雰囲気」という意味ではない。

「あの場所で業務を行う者は、年齢層が高い。若い社員の応援が必要」
「業務内容としては比較的容易。新人でも問題ない」
「給与は当地勤務の4倍。賞与の他に『手当』も支給される」

但し、若い人間の定着率は異常に低い。私も早い「出戻り」を叱責された。
逆に年齢が高く、金銭的に余裕のない社員は、長く赴任している。
あれから6年。共に業務にあたり、年齢は上だがOFFでも交流が強かった方とは、未だに賀状のやり取りをしている。当地でしか買う事ができない物を送ると、それ以上の物がお返しとして届く。金銭的に相当な余裕が生まれたようだ。

あの場所への「前線基地」の役割を呈していた場所は、昨年開催されるはずだったスポーツイベントの為に、元の姿に戻った。メディアはそう伝え、私もその様子を見た。
今度は逆の意味で「あの頃の面影」は無くなっていた。
私は、あの場所こそ遺すべきだと思った。あまり「すべき」という言葉は使いたくないが、この場では言いたい。あの場所は当時の形のまま遺すべきだった。あの出来事が起きて以来、本来有している機能は変わってしまったが、前線基地へと変わったであるが故に遺す必要があったと思う。
青々としたピッチが、そこで懸命に働く者達によって踏みにじられたとしても、それが後世へのメッセージになる。私はそう思う。

永遠に人の息遣いが消えたままであるのだろうと思っていた場所は、徐々に縮小している。沿線を走る鉄道も復旧した。国道を走る車も増えただろう。家々の前のフェンスも取り除かれ、埃まみれだった自動車販売店のショーウィンドウも綺麗になっているだろう。

世の中は、クリーンエネルギーへの転換が声高に云われている。
電力会社の前では、日課の如く「再稼働反対」というプラカードを持つ者がいると聞く。
それとは逆に、多くの場所で「メガソーラー建設反対」「風力発電施設計画反対」という声も聞く。
その多くが、あの場所での『業務を行う者の年齢層』と変わらない。
片や現地で黙々と業務を遂行し、片や代替施設の建設に反対している。

「その場所」の機能そのものに反対する者も。
その機能に代わる施設に対しても反対する者も。
一度、行ってみればいい。
「その場所」を見て再び声を上げるのなら、それでいい。
あの頃とは様子が一変しているものの、本質となる状況はほとんど変わっていない。もしかしたら、あの頃より遥かに安全性は高まっているかもしれない。見学するにおいては。

6年前。私がその場所から戻った時。
私は友人に対して、こう言った。

「修学旅行の場にすればいい。バスの車窓から街並みを見るだけで充分だ」