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読書感想:野崎幸助『紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男』

ヘッダー写真はスターチスのドライフラワーです。枯れているのか枯れていないのか。

野崎氏の性欲の強さに驚いたのは、自分自身のことを欲のない人間だと思っていたからかもしれない。しかし、よく考えてみると生物的機能としてはあまり変わらない。40年で4000人と関係を持つ (『紀州のドン・ファン』の副題参照) とすれば、単純計算で1年に100人。雑に3日に1回射精と考えても 、理解不能なほど氏の性欲が強いわけでもない。かくいう自分も筋トレをはじめ、肉を多く食べるようになってからはこの基準を超えている。(なお、野崎氏は1回の行為で3回は出すらしい。)

「欲がないと思っている」というのは単なる思い込みだったということになる。願望だとして、いつから欲がないことをよいことだと思うようになったのだろうか。美食、金銭、異性などなど、欲は欲でも色々あるわけだが、ここではこの3つについてぼんやり考えてみる。つまり食欲、金銭欲、性欲。

まず、食について。贅沢を言わずあるもので満足するのが美徳というのは祖母が口酸っぱく言っていた。祖父からは戦争のときはムカデでも食っていた、と聞いた気もするが、これは炙ると意外と美味しいというニュアンスがあったかもしれない。しつけで好き嫌いがなくなったとは思わないが、焦げまみれのものでもない限り、多少不味くても食べている。不味くても文句を言わないのは、飯は黙って食えと言われていたせいもあるかもしれない。祖父、父とも酒を好むが、自分は酒を飲まない。酒を飲むと、食べすぎるよりも話すぎてしまう。ろくでもないこと言うと後でなじられる。そんな実体験から「男は黙ってサッポロビール」が生まれたのだと思う。

次にお金。金だけあっても、ものがなければしょうがない。家の近くにはコンビニもゲーム屋もなかったので、金の使い道が本当になかった。たまにイノシシの肉にありつくことがあったが、それはお金で買えるものではない。罠の檻に金を入れて、翌日イノシシ肉のブロックに変わっているのであれば猟銃免許はいらない。第一、金が美味しくないのは賢くないイノシシでもわかっている。人口密度が80倍ぐらいの場所に住んでいる今も、物を買わない、お金を使わない。最近外で使ったお金といえば歯医者2110円。紀州のドン・ファンなら歯科衛生士を口説くのかもしれないが、振られた時に通いづらくなるのでおとなしい客でいる。もっとも、痛いか聞かれて「ひひへ、はいじょうぶへふ」と答えるぐらいしか喋ることがない。

最後に性欲。思い返すと、まわりの大人や環境から教育を受けないのが性かもしれない。少なくとも自分の場合はそうだった。女子のほうがませているからといって性欲について考察しているかといえばそうでもないというのが持論。この前読んだ少女漫画は恋愛ものだったが、描かれていたのは、性欲ではなく、人間関係の駆け引き・闘争だった。中学生や高校生のキャラクターたちのだれもが、あの格の高い男に見合う格を自分は持ちあわせているだろうか、と問い続けていた。そこまでストイックであれば何かしらに打ち込めば大成しそうなものだが、ストイックさの向かう先がなぜ恋愛になるのかがわからない。俺より強いやつや人つなぎの大秘宝を探す旅に乗り出してもよいのではないか。

人間を欲望の主体として見ると、どういう人間でありたいか考えることは、欲望についての欲望を持つことを意味する。自身の欲望の体系を、社会からのその個人への要請と一致させられると徳が高い人物と呼ばれるのだろう。自己啓発本は人々にもっと欲望するように訴えかける。金、女、名誉。ドン・ファンは、女を追求した。金はそのための手段に過ぎず、勲章は己の股にぶら下がるものだけで十分だと言う。自分は『紀州のドン・ファン』を読んで、欲望の体系が書き換わった。それによって徳が高まったのかどうかは知らない。欲がないわけではないが、あまり怒らず、静かに笑っているのでまわりの人に好かれていると思いたい。

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