『二度寝』のよさを二つほど物語る

 『二度寝』(Creepy Nuts 作詞:R-指定、作曲:DJ松永)のよさについて記しておきたい。感想とか解釈とかじゃなく、どうきいてどう妄想しているか、妄想はどうとめどなく続くかについて。

 最初から一行一行全部いいのだし、その連なりをいくらでも語れるのだが、とりあえず二箇所だけ。

oh shit これじゃ浦島
玉手箱そっと蓋した
立ち昇る煙
全ては変わってしまってた
oh shit 俺は浦島
煙てぇーか昔話は
すれ違いざまに
咳払い顔しかめた

『二度寝』

 もうこの「煙てぇーか昔話は」がよすぎてですね。浦島といえば煙、煙といえば浦島なのだが、それは、お伽噺の上ではもっぱら若浦島に浴びせて現世並みに年をとらせる効能で知られている。その煙を「昔話の煙たさ」に転化しているところがすばらしい。煙を浴びてジジイになりたての浦島太郎が、白髭にまとわりついている煙を払う間もなく、亀助け自慢を語り始めて、なんならその昔話のうっとうしさによって目の前の若造も煙の巻き添えにしかねない、そんな「老若煙心中」噺が生まれそうな勢い。

 押韻もいい。韻を踏むと、韻と韻はただ音で結びつくだけでなく、結びつかなかったはずの意味をスパークさせる。「浦島」に「蓋した」を当てる絶妙な韻に「昔話は」まで結びついて、もはやジジイの昔話そのものが玉手箱の中身であり煙なのではないかと思われてくる。浦島が蓋したはずの玉手箱からもくもく立ち上る昔話、少年みるみる老い、学成りがたく、これはまさに百害あって一利ない、かつ一理ないジジイ話。

 歌詞カードばかり見ていると声のおもしろさが見逃されてしまう。「立ち昇る煙」のあと、R-指定はMJよろしく、「うっ」としゃっくりとも悲鳴ともつかぬ短い声をあげる。1小節のカウントダウンが終わるかと思われる刹那、その4.5拍めを刻む「うっ」の短さによって、若者から老人への早変わりが煙ならぬ光の速さで行われる。

 さらに、「すれ違いざまに」の直後にもこの「うっ」はきこえるのだが、今度は「立ち上る煙」のときとは違い、4拍目にばっちり刻まれる。この、思いがけない二度目で前倒しの「うっ」は、すれ違う若者のすばやい反応、老人見るなりいきなり咳払いで煙払う嫌悪の脊髄反射ではあるまいか、そうかさっきの「うっ」は年寄りの「うっ」、次の「うっ」は若者の「うっ」、「うっ」は宇宙船の「うっ」と悟った頃にはもう、顔しかめた奴は通りすぎている。

問題は山積みかい?
もう後の祭りかい?
古き良き悪しきこんな時代からこんにちは

『二度寝』

 「こんにちは」のタケノコ感よ!「山積みかい」「祭りかい」「こんな時代」の押韻からはみ出すように現れた「こんにちは」のひょうきんさ! そしてその「こんにちは」は、「こんな時代」の「こん」の音から生みだされたに違いなく、「こんな時代」から生まれ、出るはずのない時間と場所ににょっきり顔出したタケノコのように鬱陶しく愛らしい。「古き良き時代」に「悪しき」を挿して「き」推しにする調子もよければ、「良きにつけ悪しきにつけ」と何かと留保をつけねばものが言えないそんな時代から見た「こんな時代」感が「古き良き悪しき」には表れており、つまりは「古き良き悪しきこんな時代からこんにちは」という1フレーズの中で、「こんな時代」観の視点が行って「そんな時代」観の視点が来て、二つの視点がTENETのごとく交錯するシーンを「こんにちは」が突き抜ける。「こんにちは」は時空間のルールを破って表れた生命体であり、数十秒で月の裏側からやってきたエイリアンであり、これは新たな竹取物語であり、お伽の世界で蝶よ花よと育てられながら今世に別れを告げるかぐや姫の憂いすらその声にはこもっている。

 このような長々しい妄想を携えて、R-指定の高速ラップをきき直すと、ことばは山積みの問題吹き飛ばす暴風のように吹き荒れ、妄想は紙くずのように舞い、わたしはMVに撮られた荒廃した町のごとき祭りの後に立ち尽くしてしまう。しかしそれで終わりではなく、また新たな妄想が「こんにちは」と顔を出す。まためくるページ。なんだ夢かと思ってまた寝る夢。年寄りだから何を味わうにもくどくてしつこい。

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