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家計ネグレクトから脱しようと思った話

節約には自信があった。

バブル世代の人と話したとき、老後の心配なんかしたことないといわれて、違うコスモスに生きていると感じたことがある。低年収でも正社員になれれば「運がいい」だった氷河期世代の私たちは、若い頃に強烈な経済不安を突きつけられたからか、統計的に見てもお金を使わない(使えない)世代だそうだ。
私がまさにそうで、年収300万円の会社員だったころ、エクセルで1円単位で収支を管理していた。給与明細の所得税や社会保障費の数字まで細かく打ちこみ、光熱費はグラフにしていた。どんなに帰りが遅くても自炊を徹底。家電はジモティ的なところでほぼ無料でもらい、東京でひとり暮らししていたにも関わらず、一年間で百万円くらい貯まった。……ここまで読んで「いや私、氷河期だけどそこまでしないぞ?」と思った人もいるだろう。私も百万円貯まったときは「私、変態なのかも」と思った。

結婚して共働きになった後も、私は節約家だった。29歳で結婚することには、私の年収も400万円台になっていて(当時の20代の女性ではまあまあ高い方でした)、異業種に転職したばかりのパートナーよりも年収が高く、世帯主にもなっていた。なので私が会社を辞めて専業作家になると世帯年収は半分以上減った。家賃の低い、呪われているとしか思えないボロボロのマンションに引っ越しして固定費を抑え、新人作家の暇さを活用し、できるだけ自炊し、食費も月3万円内に抑えた。最初の子供が生まれた時も、自治体から見れば世帯年収はかなり低かったらしい、保育料がびっくりするくらい安かった。おかげで預金は増えた。家族三人の食費は一日千円だった。今から考えると、あの頃の私は本当に堅実……というか変態なくらい節約していた。最初のドラマ化で得た著作権料にも手をつけず、学資保険に入れて引き出せないようにしていた。

その後、夫婦ともに年収が増えていき、保育料もアップしていった。二人とも一定のポジションを得て忙しくなり、家計管理は無頓着になっていった。土日も休めず、子供も二人に増え、一日が終わると昏睡してしまう。家事代行に来てもらったり、疲れた日は外食で乗り切ったり。死なないためにはそれが正しかったのだろうが、その場その場でお金を払っていくため、全体でいくら使っているのかわからなくなる。重版されて印税が入るのは嬉しいが、いい評価も悪い評価も浴びることになり、メンタルも弱っていく。

メンタルが弱ったときにありがちなのは、まとまった額のお金を失ってしまうことだ。ヒット作が出たおかげで、確定申告について学ぶ間もなく、数千万円単位で税金を徴収された作家さんを知っている。ストレスを緩和したくてソーシャルゲームで課金して数十万円溶かしてしまった話も聞いたことがある。節税とか、節約とか、節制なんてものは、メンタルが健やかなときにしかできないことなのだ。できれば休んだほうがいいのだが、休職中に厚生年金から傷病手当が毎月出る会社員と違って、フリーランスは休めば無給になる。ただ預金だけが減っていく。

山本文緒さんの『再婚生活 私のうつ闘病日記』は、タイトルのとおり、うつ病と戦っていたころに書かれていた日記をまとめたものだ。直木賞を受賞した後、山本さんは入院が必要なほどのうつ病に苦しむ。「一財産失った」という言葉を読んで、「ああ、そうなるよな」と思った。

私も、二人目を産んだ後、仕事と育児の過労をきっかけに希死念慮に悩まされた。お風呂に入るのも忘れてしまったり、電車の乗り換えを間違ったりするくらい、判断能力が落ちていて、おそらく健康保険の切り替えを忘れたのだろう。気づいたら古い健康保険証で病院を利用していた。ものすごい額の請求がきて、あまりのショックにしばらく動けなくなり、区役所の窓口に行き、「なんとかなりませんか」とお願いした。細かいことは忘れたが、弱っている人にはよくあることなのか、払わなくてよくなった気がする。受付の女性は「慣れてます」という顔で優しかった。
メンタルが弱っているときは大きな決断をしてはいけないというが、お金の管理もしてはいけないのだろう。うっかりお金を使いすぎても自分を責めてはいけない。私は最近、落雷でアンテナを壊され、修理に七万円ほどかかったが、それと同じで病気も災害のようなものだ。アンテナ修理代は火災保険でなんとかなったが、メンタルが弱ったせいで発生した損害をカバーしてくれる保険はあるのだろうか。就労不能保険とか?

そこまで危ない状態でなくても、節約をやめてしまうのは、心に余裕がないとも言えるけど、お風呂に入らなくなったり、歯磨きをしなくなってしまうのと同じで、セルフネグレクトなのかもしれないと思った。
それをTwitterでつぶやいたらバズってしまった。みんな多かれ少なかれ、同じことを思っていたのね。

ここで言っている「クィア・アイ」に出てくる人たちは、アメリカの比較的裕福でないエリアの人たちなのだが、中には低くない年収の人もいる。それでも同じく、家は要らないものでいっぱいで、家族の人数の倍以上のマグカップが引き出しのなかに乱暴に押し込まれていたりする。そんな無計画な散財をしているので、自分に必要な投資ができない。髪はボサボサで服がヨレヨレなので、いい仕事ももらえない。家がボロボロなので人を呼べず、交友関係が狭まっていく。なにより自分に自信がないので、行きたいところへも行けない、だったりするのだ。わ・か・る……!

私はケチなので、無計画な散財といってもたいしたことはない。
問題は気持ちのほうだ。散財してハッピーならいいのだが、散財した分を埋めなければと遅くまで働いたり、預金が減っていることに気づいて不安に苛まれたりと、アンハッピーな状態でいる方が長い。この一年休んでいたので収入が減っていることも不安に拍車をかける。子供たちは食べ盛りになり、恐ろしい速度で米が減っていく。物価も上がり、光熱費も上がり、ローンの変動金利も上がるのではないかという情報まで流れた。あまりの不安にフィナンシャルプランナーにアポをとり、相談したくらいだ。「変動金利はまだ上がりません」とフィナンシャルプランナーは言った。「あなたが感じているのは漠然とした不安ですね」

そうなのかもしれない。
計画的に生きていく時が来たのかもしれない。

まずは収支の把握からはじめることにした。
家計簿アプリを入れ、収支を記録してみることに。調べてみたところ、子供がいる4人家族の1ヶ月の食費は(外食を抜いて)7万円が平均らしい。まずはこれでスタートしてみることにした。ちょうど物価が4パーセント上がったタイミングだった。子供たちが冬休みに入り、昼ごはん代がかさむ時期でもあったが、ランニングコーチは言っていた。「最も厳しい季節である夏に走り始めた方が楽ですよ」と。
炊事担当のパートナーに、最初こそ口頭で今週の予算残高を告げていたが、それだと責められた気分になるらしいので、家計簿アプリを共有し、数字の変動を見つつ、各自で達成をめざすやり方になった。(スケジュール管理も言った言わないの喧嘩になるため、TimeTreeで共有している)

結果から言うと、最初の一週間は予算内に収めるのに苦労した。
「みんなよくやりくりできているな」と思ったし、みんながやってることに四苦八苦してしまう自分に失望したが、買い物のついでについ買っていたおやつや、飲みすぎていたお酒、深夜のラーメンを減らすうちに、なんと! 人生で最大の体重に達していた私の顔がほっそりしてきた。ハイカロリーな食生活が改善されたのだから当たり前だが、家計簿をつけないでいたら、深夜に胸に激痛を覚え、救急車で運ばれてたんじゃないだろうか……。家計もそうだが、健康管理も計画的にしなければならない年齢なのだ。

収支が把握できているからか、精神も安定しはじめた。
光熱費がいくらかわかっている。クレジットカードの引き落とし金額がいくらになるかわかっている。いつ口座から引き落とされるかわかっている。わかっているということは漠然な不安がなくなるということだ。
その代わりに、電気代が高いから電力会社を変えた方がいいんじゃないかとか「現実的な不安」が、家計簿をつけていると出てくる。でもそれはすぐに解消できる。インターネットを検索すれば「電気料金を比較して乗り換えろ」と書いている人がいるからだ。ありがとう、インターネット、集合知……。

ちなみに「クィア・アイ」はネトフリで観られる。専門分野を持ったゲイ5人組が、セルフネグレクトな人たち(ほとんどが中年男性)に自分を大事にするやり方を教えていく。これ観ていると、人見知りゆえに多弁になったり、「おしゃれには興味ないんで」と逃げに入る中年男性たちが自分と似過ぎていて、「あなたは私よ!」と叫んでしまいそうになる。ポジティブな人しかいないように思えるアメリカにも、こんなに自信のない人たちがいるんだな……と思うと少しホッとするところもある。
彼らは最初、ネグレクトな生活から脱しようとしない。だらしないように見えて、幸せになることが怖いようにも見える。差別されたり、親に捨てられたり、「お前なんか」みたいなことを言われて育った人も多い。家族を養うため、教え子に尽くすため、自分の欲求を捨ててしまった人もいる。みなどこか自罰的なのだ。
そんな彼らが「ブルーのコントロールカラーを塗ると、肌の赤みが消えて、それだけで洗練された雰囲気になる」と教えられるだけで、「ほんとだ」とパッと笑顔になる。これ見て、私も買いましたものね、コントロールカラーを。プロにコーディネートされた服を着た彼ら(嘘!ってくらいにかっこよくなる)が吐く台詞で多いのが「気持ちいい」だ。安くて着心地が悪くて破れやすい服を使い捨てにして、家計も自分もネグレクトしてきたことに気づくのだ。

私の家計簿生活は始まったばかりだ。物価高に負けないくらい収入も増えてほしいが、それはそれとして、これを機に家計簿をつけて、家計ネグレクトから脱してみるのもよいかもしれない。