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過去を燃やし続けて

ラジオから篠原涼子が流れてきたあの日から、ずっと90年代のヒットソングにハマっている。
あの時の勢いの良さ、あざとい女はモテなくて、みな真っ直ぐな歌を歌ったあの頃。
まだバブルの余韻を十二分に残した、重めのロングヘアに憧れた子どもは、いつしか大人になっていた。

私は優しい子どもだった。
つねられてもやり返さなかったし、つねってきた彼女の、ぐじゅぐじゅとした意地の悪さもやり場のなさも良く理解できて、どうしたら良いのか分からなかった。
でも、いつしか彼女はどこか遠くに消えてしまった。
彼女の父親が不倫の挙げ句に覚醒剤を所有し逮捕され、この田舎町にいられなくなったのだ。

彼女の父親の勤め先だった建物はいまだにそこにあって、その所有者は別の人物にかわったにも関わらず、相変わらず彼女の名前がかかれた看板は消えていない。
彼女の父親はとても娘を愛していたのか、なにかと娘の名前を入れ、さまざまなものを作った。
それは、その町にずっと住むものなら分かる、消えない黶のように残っている。

あの時の彼女はいま、どう生きているのだろう。

少なくとも、あの事件が起こった後はしばらく、前を向いて歩けなかったはずだ。
あの頃の世の中は、弱き者に優しくなかった。
夫に不倫され、最後には犯罪を犯された、その1番の被害者はあの母子に違いないのだが、きっと彼らは長い間、ひたすらに耐えるしかなかっただろう。

この事件も随分と昔のことだ。
書くには遅すぎてどうしようもないこと。
でもこの町を歩いてしまうと、そういう思い出ばかりが出てきてしまう。
この町では不遇な弱き者は、決して弱い顔をしてはならなかった。そうしなければ、もう2度と立ち上がれないほどに叩かれてしまうから。

みんなみんな強かった。
でも1人になると、少しだけ弱かったり優しさが見えたりした。それが人間らしさだった。
人に隠れて抓る事しかできない彼女は、それしかできない弱さがあって、嫌な事しか言わないクラスメイトに対し、本当のことしか言わなかった彼は、ボンクラな顔をしながらとても強かった。
何もやりかえさない、何もできなかった私には、何もしない強さがあったと信じたい。

涙は見せなかった。
泣いたら負けだと思っていた。
だからすっかり泣きかたなんて分からなくなっていて、最近泣いたのなんて、大好きだったあの人が亡くなった時だけだ。
あの瞬間、わたしは一年分の涙を出し尽くした。まだ年はあけたばかりだった。

みんながどうしてそんなにすぐ泣けるかが不思議だった。
私はそれを見ながら、ずっと薄情だと思ってた。

結局のところ、私の原動力は怒りなのだ。
ずっと温厚な、ぼうっとした人間だと思って生きていた。
けれど、それはちがっていた。
悔しい思いはもうたくさん。
私をバカにする者は皆この手で血祭りにあげたい。そのくらいの勢いで生きて、書き殴っているのだけど。

ずっと知らなかったんですよ。
私は怒りに満ちていて、それを燃料にしエンジンを回す人間だという事を。
気がついた時はショックだった。
あまりに醜く、自分が小さい人間に感じるから。
それでも書かないよりはいいのかも知れない。
ずっと何かを産みたかった。
このどうしようもない衝動をどこかに置いて走らないと、きっと私は私でいられなくなる。
それだけは判っている。

もうきれいなものは描けなくても構わない。
それを好きだという人がいるから。
そうやって割り切れたらいい。
でもその先だけは、描き切った後には、やさしい光を見つけていたいのだけど。

あのときの彼女は、大人になれたのだろうか。
周りの人間たちは意外と優しいと知ったのは、私が随分大人になってからだった。
彼女はその優しさに、きちんと触れられただろうか。


最近、思わぬ死角から、思い切り殴られてしまった。
かなり久しぶりに星が飛んで、キックボクシングでも習おうかと思った。
でも殴ると犯罪になるだろうから、ひとまず正攻法でブチギレてみたところ、効果は絶大だった。

殴らない優しさ、でもやるときゃやる強さ。
そんな人間にわたしはなりたい。

※言いたくなっちゃったから書いちゃいますが、私はそんなにブスじゃない。
この頃の篠原涼子の髪型が、極上に似合う女だった。
私は案外いい女だったし、だれにも媚びる事なく幸せを掴んだのだから、自信持って生きてゆけと、子どもの私に伝えたい。

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