あの人の記憶2
あの人はすごくいいかげんだから。
私よりかなり年上の、美しく色っぽい声の持ち主の女性に、恋愛を相談していて言われた言葉だ。
なんとなくそんな気はしていたのだけど、やはり2人には接点があったのだ。
私の恋の相手も、またかなり年上で、私はその人の両手の中でコロコロと転がされていた。
それでもその時は、軽くあしらわれたり、ぞんざいに扱われている気はしなかった。
あの人の私を見る目は強かったし、なによりそのじっと見つめる目は怖かった。
あの人は絵描きで、あの人の描く絵には、たくさんの女性が出てきた。まだ10代のセーラー服の女の子もいたし、もっと年上の女の人もいた。
色んな女の人の絵に混じり、趣味の飛行機の模型が無造作にいくつか置かれているその部屋は、とても混沌としていた。
あの人は私を大事そうに扱った。
クラシカルな西洋の人形のような服を私に着せ、喜んで私の写真を撮る。
「こっちを向いて」
「そう、もう少し下をみて。そのままにして」
そう言って色々な指示を出され、写された写真はまるで私ではないようで、いつも不思議だった。
正確に言えば、それは私だ。
鏡にうつる、きちんと表情をつくった私。
でもそれはいつもの私じゃない。あの人に仕立て上げられたお人形のような私。
「この写真、パンツが見えちゃってる」
そういうと、わざと下着が見えるような体勢を指示し写真を撮らせたくせに、デジタルの一眼レフに映し出された私を、わざわざ見せにきた。
黒い味気ない下着の下には、生理用品が付けられている。
ただし、そうとは分からない下着の作りなので、私は大胆になっていた。
どうせ分からないだろう、どうせその写真をみるのはあの人と私の2人だけ。誰も知ることのない物。そう私は信じていた。
私は曇った顔で写真を見る。特段セクシーでもなんでもなく、たまたま下着が写った写真を興奮しながら見せにくるあの人は滑稽だった。
私にはわからなかった。
何があの人を興奮させるのか、何を求めているのか。
私の隣に座ると、カメラを置き、私の肩を抱いた。温かい体が触れる。それが合図だった。
きっとあの人は私の体を求めにくる。
それでよかった。
男女の色恋などそんなものだと思ってた。
それになにより、あの人に身体を求められるのは嫌ではなかった。
胸を触わり、私が感じ始めると、あの人はそのカメラを手に取った。
電気を消し、小さなストーブしか灯りがないあの部屋で、あの人は執拗に、シャッターを切る。
フラッシュは焚いていない。
だから何も写りはしない。でもカシャカシャと音がするたび私は興奮を抑えられなかった。
あの人は、私のため息や声が漏れるたびに、激しく私に触った。あの人自身もある域に達すると、カメラを置き上着を脱ぎ、私を強く抱きしめた。
服は簡単に脱ぎ捨てられた。
肌と肌が触れ合えば、全ての予定が中断した。
あの人と一緒にいる時はそういうものだと思っていたし、それで良いとも思っていた。
小さな違和感は、徐々に確信に変わっていく。
予定を中断したのはあの人にも関わらず、それは私のせいにされた。
私が求めるから何もできない。とあの人は言う。
私のことは無視して、作業を続ければいいじゃない。そう思ったからそうそのまま伝えると、その通りだと彼は言った。
こんな事も言われた。
私が簡単に押し倒されてしまうのは、私が好きな人と上手くいってないからだと。
決してそんなことはなかったのだけど、その言葉は私をひどく悲しい気持ちにさせた。
あの人の倒し方は、決して優しいものではなかったけど、それに応えようと必死だった。
でも、どんなに近づいても、あの人の心は空っぽでそれを満たすのは私ではないのだと、抱きしめれば抱きしめるほど、強烈に伝わった。
ある日あの人は、可愛らしいバレエダンサーを描いていた。
トゥシューズで立つ脚は、可憐で華奢でにもかかわらず筋肉がきちんと描かれている。
「可愛い人」
そういうと、あの人はありがとう、といい、そのまま絵を描き続けた。トゥシューズは、薄いピンクで塗られている。
「この人のことが好きなの?」
そう聞くと、
「いや、そんなことはないよ」
と、手を止めることなく答えた。
トゥシューズは、白でハイライトを入れられ、立体的にひかってみえる。
「そういう事をするのは、ゆきこだけだよ」
そういって、後ろからその作業を見続けていた私においかぶさってくる。
愛らしいようなものを見る目をして、優しくキスをしてくる。
私たちは、その、誇らしげな表情をしたバレエダンサーに見られながら、身体を重ね合った。
あの人の嘘は、徐々に分かりやすいものになっていった。
あの人がなにを考えているかなんて、何も分からなかった。もしくは何も考えてなかったのかもしれない。現に私がそうだった。私もどうしようもなくいいかげんなタチなのだ。
流されているのは悪くないし、そして本当に悪いことをしているわけでもなかった。
私は、時々あの人に写真をとられ、食事をしてセックスをする。それはまあまあの幸せを感じる時間だった。まあまあの幸せ。中くらいの幸せ。
私も嘘をついていた。
私の好きな人はもう随分前からあの人だけで、その相談はいつもあの人自身にしていた。
ゆきこは年上が好きなんだな、とあの人は言う。
私の嘘にはとっくに気がついていたかも知れないけれど、あの人はずっと知らない素振りをした。
とてもずるいと思ってた。
結局のところ私たちは、お互いに都合の良い部分を貪っていたにすぎない。熟れた桃はいつまでもそこにあるわけじゃなく、いつか腐ってドロドロになっていく。
お互いの可食部が残りわずかになってきた頃、あの人は私に強引にセックスをした。
頭を壁にぶつけ、ぐらりとしたところを床に押し付けられ、ぼうっとした頭で彼を受け入れた。
やめてと何度か言ったと思う。けれど彼には通じなかった。もう全てがどうでもよくなっていた。
これを拒んだとして何かが変わるわけではないのだ。私は何も言わず、ただ時間が過ぎるのを待った。最後、あの人の腰がとてもはやく動く。男はみんなそうなのだなと、こんな時ですら冷静な頭で考える。
「大丈夫だった?」
避妊具を外し、自分の始末を終えた後、優しい声であの人がいう。
うん、とだけ答えると、先ほどまで入っていた場所をティッシュで拭おうとした。
いつもそうだ。あの人はいつもそこを確認したがった。出血がなければほっとする。いつもその繰り返しだ。
「ごめん。酷いことをして」
心底反省したという顔でそう言った。
押し倒したときにうっかり頭をぶつけさせてしまった、という風に見せかけた確信犯的なやり方は、実に卑怯だった。
もうだめだな、と思った。
あのバレエダンサーの絵は、別のものもあった。
レオタードに大きなチュチュを付け、脚を抱え顔だけこちらを向き、はにかむように照れくさそうに笑っている。
そのとても若い、可愛らしいバレエダンサーは、とても幸せそうに描かれていていた。
ピンク色の背景が、それをより強調する。
彼女を羨む気持ちはなかった。ただ、なぜ彼女はこうして描かれているのかが、とても気になった。幸せな彼女に、あの人は似合わないだろう。
私はあの人のもとから去ることにした。
次の相手はまだ見つかっていないし、絵も途中なのも分かっている。
全てどうでもいいことだ。どうでもいいことなのだと感じながら、それなのに今日もあの人の部屋にいる。
いいかげんなのは私も同じだよ。
本当は、学生時代に同級生だったという、あの人の事をよく知っていたあの女性に言いたかった。
けれど、なぜだか言えなかった。
言ったとしても何も変わらず、哀れみの目で見られるだけだと思った。
言ったところで何が変わると言うのだろう。
今日も今日とて流されるように生きている。
明日はひどく暑い日になりそうだなと、そとを見ながら思う。
冷たいアイスクリームを食べに行こう。
そう思いながら、私はその部屋を後にした。
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