幸せな恋

姉の結婚は、あまり祝福されていなかった。
特に姉側の身内、家族からは全くそう思われておらず、姉の友だち達も同様だった。
その結果、姉は半ば駆け落ちのような形で結婚をした。

姉は学生の頃から付き合っていた彼氏にぞっこんで、それ以外は全く見えないとばかりに惚れ込み、ずっと彼氏の、話をしていた。
彼氏は顔の作りは悪くないが、やたらと顔がでかく、いつも調子の良いことばかりを喋るその男が、私はとても苦手だった。名前は誠太郎と言って、姉はいつもセイくんと呼んでいた。

「多恵ちゃんに彼氏、紹介してもいい?」
東京の大学に通っていた姉と電話をしていると、いかにも幸せそうな声でそう言った。
いいよ、と私がいうと、夏休みに彼氏を地元に連れてくるからその時にといった。

誠太郎は待ち合わせに15分ほど遅刻してきた。
何故か花束を持っていた。走ってこちらに向かってくる。
そしてそれを私に向けながら、遅くなってすみませんと言って、半端強制的に私にそれを押し付けた。
「紹介するね、彼氏の誠太郎さん。」
姉は顔をほころばせながら心底嬉しそうに言った。誠太郎は汗をハンカチで拭いながら、照れたような顔をしている。
私は花束を抱え困惑しつつ
「どうも、妹の多恵です。」
と、なんとか絞り出すように言った。
誠太郎はのっけからこんな調子だったのだ。

ある日母から、実家に誠太郎が挨拶に来る、という連絡がきた。
「あなたは沙恵の彼氏に会ったことあるでしょ」
あるよ。と私は答えた。
「どんな人なの?」
母はやたらと姉の彼氏の様子を聞きたがった。
どんな顔、どんな趣味、日本の人なの?どこの人なのと。
やたらと質問ぜめにする母の様子を見て私は、
「そんなの、お姉ちゃんに聞けばいいじゃん」
呆れながらいうと、母は困りきった顔で
「お姉ちゃん、何も教えてくれないのよ」
と、いうのだった。

約束の日、姉と父と母が実家で待っていると、またもや誠太郎は遅刻をした。今度はきっちりと10分、2つの花束をもって、玄関の戸が開くや否や
「遅くなってすみません」とやたら大きな声でいった。
そして、声のボリュームを落とし、よかったらこれをと言って、母には百合の花束を、父にも遠慮がちな顔をして、お詫びにとブルーを基調とした花束を渡した。
母は、謝罪の威勢の良さと花束に困惑しながら、どうぞはやくあがって、沙恵もまってるわとなんとか言い終えると、何も言わない父とともに奥の座敷に案内した。

姉は、誠太郎さん!と言ってかけより、2人並んで座ると結婚の意思を伝えたらしい。
大学を卒業したら結婚し、東京で2人で暮らしたいこと。誠太郎の就職先はすでに決まっていて、収入には問題のないこと。いつかは会社を立ち上げ、海外に行きたいということ、そこで姉の学んだ語学が役に立つから、是非とも僕についてきて欲しいなどと言うことを言ったのだという。
姉と誠太郎が話し終えると、終始無言で頷いていた父が、花束を持ち上げながら口を開いた。
「ところで君は、毎回こういう事をするのかね」

母曰く、先に口を開いたのは姉だった。
「ちがうのよ、セイくんは乗り換えを間違えて、遅れそうだったから慌ててお詫びに、と買ったのよ。いつもじゃないよ、ね、セイくん」
そう慌てて言うと
「ご気分を悪くしてしまいすみません」と誠太郎は土下座したらしい。
父は静かに続けた。
「君のことはわかったよ。沙恵の説明でよくわかった。私は花束も土下座も求めていない。そういうパフォーマンスは、社会に入ればすぐに通用しなくなるから覚えておきなさい。」
誠太郎と姉は黙ってそれを聞いた。
「君と沙恵の結婚は、今は認められない。また改めて来なさい」
そう言って、誠太郎を帰したらしい。
姉はそのまま、誠太郎を送っていくといって帰ってこなかった。

それから1年後、ほとんど一方的な形で姉から結婚の報告が送られてきた。
幸せそうな2人の写真と、レストランでの披露宴パーティーの案内が書かれていた。
披露宴会場はは東京の、誠太郎が勤めているという会社のとても近くにあった。
早速、私は姉に電話をした。

「お姉ちゃん、結婚おめでとう」
私はそう言った。努めて明るくそう言ったつもりだ。
「多恵ちゃんありがとう。お母さんとお父さんは元気?」
心配そうな声で姉は聞いてくる。
正直なところ、母は狼狽し、父は呆れと怒りを滲ませていた。オロオロする母に対し、父は言った。
「どうせ金に困れば帰ってくるだろう。」
と一言いい、ため息をつきながら新聞を読んだ。
2人の写真は一瞥もくれずに、そのまま机の上に置かれたままだった。

「元気だよ」
私は言った。元気なことに変わりはなく、それは嘘ではなかった。
「そう。よかった」
姉はそういうと、ぜひ披露宴来てと、私を誘った。
楽しみにしてるよ、と答えるのが精一杯だった。

2人はあの時の挨拶の通り、卒業後にすぐ入籍をした。そしてその半年後に誠太郎の会社ちかくのレストランで簡易な、二次会のような披露宴をした。
そこには誠太郎の会社の人が沢山いて、姉の友人は、ほとんどいなかった。
披露宴といっても、ほとんど誠太郎の会社の飲み会のようになっていて、姉は誠太郎について各テーブルに忙しなくお酌をした。白いレンタルのドレスの裾は、既に汚れていた。

忙しない披露宴が終わると、すっかり元に戻った姉がいた。相変わらずパリッとした誠太郎はいつもと変わりがなくて、その事に驚かされた。
「今日は来てくれてありがとう」
疲れた声で姉は言った。
「綺麗だったよ、お姉ちゃん」
そういうと姉は嬉しそうにした。
「3人で少し話をしないか」
誠太郎は言った。
「え、今日いまから?」
姉は疲労と驚きを滲ませながらいう。
すると誠太郎は大通りに走って行き、タクシーを呼んでいた。
急いで誠太郎を追いかけながら姉はいう。
「セイくんはマイペースな所もあるけど、いい人なのよ」と姉は顔をほころばせながら言った。

どんな時でも自分の意思を押し通そうとする誠太郎に、私はタクシーの中揺られながら嫌悪感をもった。けれども姉はそんな誠太郎が大好きなようで、ニコニコと幸せそうに、同じタクシーのなか揺られている。
せっかく決まっていた就職先もけって誠太郎に尽くしている姉。今は時々アルバイトをしながら、家事をしつつ誠太郎の副業の手伝いをし、かつての姉が望んだ生活とは真逆の生活をしている。

3人での話し合いは、私の泊まっているホテルの一階にある、小さなカフェで行われた。
その時姉が、1年後の誠太郎の海外転勤について行くといっても、何も疑問に思わなかった。
「気をつけて行ってきてね」
そういうと、姉は、ありがとうと言い、誠太郎は、沙恵さんは僕が守ります、と歯の浮くようなセリフを真顔で言って見せた。
帰りしな、強引に渡されたものは花束ではなくマカロンだった。それはひどく甘ったるかった。
そしてそれが、姉に直接会った最後の日となった。

あの日から5年ちかく経って、私も結婚をした。
夫は地元近くに住んでいる男の子で、会社の親睦会を通じて知り合った。
地元の大学、地元の会社、そして地元の男。絵に描いたような田舎の女の幸せな生き方。パッとしないがそれが1番幸せなのだ。
私は自分に言い聞かす。
恋にに浮かれ溺れた姉とは違う。
私は冷静に、たんたんと幸せの階段を登ろうとしているだけだ。

姉と随分と久しぶりに連絡をとった。
何年かぶりに姉に電話をする。
結婚をするの、というと、姉は嬉しそうにおめでとう、と言った気がした。
「結婚式はこっちで挙げるから、久しぶりにお姉ちゃん帰ってこれない?誠太郎さんも一緒に来てよ」
そういうや否や、姉の声のトーンは変わった。
「結婚式あげるんだ。多恵ちゃんまで私への当てつけ?」
明らかに姉の声は苛立っていた。
「そんなんじゃないよ」
私は言った。でもその言葉は姉に真っ直ぐ届くことはなかった。
「多恵ちゃん、あのチャペルの式場であげるんでしょ。高いもんね、あそこ。お父さんとお母さんからお祝いもうもらったの?いいなー、多恵ちゃんは。私は何もしてもらってないもんね。」
矢継ぎ早にそういうと、姉はため息をついた。
「ねぇ、多恵ちゃん、いくらもらったの?」
私は何も言えずに黙って電話を切ってしまった。

あそこのチャペルというのは、姉の憧れの式場だった。自宅近くにあるその式場は、チャペルがやたらと美しく大きくて、料理もおいしいと有名だった。セイくんには悪いけど、結婚式は私の地元で挙げたいな、と姉はその式場の前を通るたびに話していた。
誠太郎も姉も、東京出身ではない。
ただ、今住む場所に近いから、という理由のみで東京で披露宴をしたのだろう。
それはつまり姉にとっては妥協に妥協を重ねた披露宴に他なかったのだ。

あの日の電話からしばらくたったある日、姉からメールが来た。
この前はごめんね。結婚式は行けたらいくね。
連絡ありがとう。と簡素に書かれていた。
返信はしないでおいた。何をどう返せば良いか分からなかったし、このメールではなくあの電話が姉の本心に違いなかったから。
ただメールを見て真っ先に考えたのは自宅近くのあのチャペルで結婚式は無理だなと言う事だけだった。
もう日本から遠く離れてしまった姉が、未だに5年前のあの時の事に取り憑かれていて、それは姉が幸せではない事を、ひしひしと私に感じさせた。

式場もきまり、将来の夫となる男と共に、様々な事を慌ただしく準備をする毎日。姉にも結婚式の招待状は送ったものの、そのエアメールの返信が来ることはなかった。
代わりに簡素なメールが来た。
行けたら行きますと、少し前に送られてきた文章と何ら変わりはなかった。

母は、姉のことをずっと心配し続けている。
父はそれを、放っておけと常に言う。
困ったら帰ってくる。それまで待つんだと、自らに言い聞かせているようだった。
苦労しているのかしら、と母は言うが、父はそうだとしても帰ってくるのを待つしか無いと言った。沙恵を迎えに行ったとしても、アイツは戻らないだろう、と。

私はいつも姉が羨ましいかった。
器量はよく、賢い姉。
お勉強もできて、スポーツも得意な姉。
特に英語が好きで、語学留学までした姉。
でも誠太郎と会ってからは骨抜きに、本当にバカみたいになってしまった。本当にバカみたい。
姉がどうして誠太郎を選んだのか、私にはどうしても分からない。

結局、結婚式に姉は来なかった。
かわりに誠太郎と一緒に映るビデオレターが送られてきて、そこには非の打ち所のない隙のないお祝いの言葉と笑顔にあふれていた。
映像に映る姉は痩せていていた。顔色は悪く、それを隠そうと濃いめに施された化粧が痛々しかった。
2人の座っているソファはとても安っぽく、そしてあの披露宴の頃から誠太郎は何一つ変わっていなくて、そのことがとても怖かった。

つつがなく終えた結婚式。
私はその式場のホテルで、夫とお腹の赤ちゃんの3人で、ふかふかのベットで寝た。
体調はどう?と夫は心配する。悪くないよと私は答えた。私たちの妊娠は想定内の事で、入籍を随分前に済ましていたので、もういつでも大丈夫と安心していたら、いつのまにかやってきたのだ。
小さな小さなかわいい赤ちゃん。

「お姉さんには話すの?」
心配そうに夫はいう。夫も姉との一連のやりとりは知っていて、そのことを気にかけているのだ。そんな夫をみて、私はつくづく良い人を選んだと思う。
「言わないよ。沙恵ちゃんには沙恵ちゃんの人生がある」
私は夫に背を向けながら言った。
「でも、お姉ちゃんに会いたかったな」
そういうと夫は、私の背中を優しく撫でた。

姉が今、どうやって生きているのかは私達には、分からない。
けれども、姉の住んでいるはずの場所は、姉がいつかは暮らしてみたいと言っていた街で、それだけが唯一の救いだった。
姉は幸せじゃないだろう。
誰もがそう言い、私もそう考えた。
けれども本当に姉が幸せなのかどうかは、姉以外には知るよしもないのだ。

今日は疲れたねと、夫は言う。
私もそうね、と答え目を閉じた。
ふかふかの布団に程よいかたさのマットレスの間に、私の身体と意識は、ズブズブと吸い込まれていった。

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