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今日あったこと。

髪の毛を切った。
少し前のnoteのとおりに

宇多田ヒカルヘアーにして下さいと、こちらの、

動画や、資生堂サイトを参考に、もうほぼそのまんまにしていただいた。
ヘアースタイルだけは、8割型宇多田ヒカルである。
違うのは、1年以上前のヘアカラーがまだ一部残ってしまっているのと、サイドが刈られずツーブロックにはしなかったことだ。
あ、ツーブロックではないのは結構な違いか。あまり分からない部分ではあるが、それらを加味し6割宇多田ヒカルヘアースタイルになったとしよう。

切るときに言われたのが、
「そもそも宇多田ヒカルのこのヘアースタイル、ショートがそのまま伸びっぱなしになり、こうなっただけのスタイルでは?」
という疑惑。
私ですらそうかも!と思ってはいたが、やはりプロの目からみてもそうらしい。まあいい。私は宇多田ヒカルに憧れているので、即マネをした。

思えば2016年の復帰直後の宇多田ヒカルは、雰囲気がちがった。ロンドンから来た宇多田ヒカルは、あちらに住むブルネットヘア特有の髪型をしていた。みな黒髪ぱっつんになり同じような雰囲気になるのだ。
そう、この日本人、アジア人の、ハリがあり硬めな汎用性のない髪質は、ヨーロッパの方々とは大変異なるらしく、向こうの美容師は不得手らしい。
「あちらの人の髪は、ボリューム持たせようと思えばすぐフワーってなるし、とかして引っ張ればすごい伸びるの。ストレートになるの。でも日本人はどちらかだからね。パーマかけたらパーマだし、ストレートにしたければ、ストレートにするかだし。どちらかしかないの。汎用性がないから」
とは、実母のお友だちの美容師のセリフだ。
なるほど、向こうの美容師がなぜブルネットストレートのアジア人の髪を嫌がるのか分かる気がした。現地で切った日本人の、散々気味なヘアースタイル、見たことあるもんな。

「それって向こうの美容師は下手って事?」
私は思い切って聞いてみた。
「そうそう。向こうの人の髪はどうにでもなるから。だから技術はないかもね。向こうの人は平気で言うらしいよ。あなたの髪はできないから他所に行けって」
わーお!なるほど。たしかにヨーロッパらしいドライさである。そういえば向こうのは湿気も少ないっけ。

「だからね、日本人があっちで美容院構えると大抵成功するのはそれが理由だよね。あと接客も丁寧だし」
なる程そうなのか。私はまったく知らなかった。こちらの美容室では、だいたい下品な話を延々しているため、丁寧な接客のよさはちょいとよく分からないのだが、それでもご丁寧に上手に笑わせてくださるので、きっとこれこそが良い接客なのだろう。
今日は陰毛の生え方と尻毛の話と、痔の話題が大半だった。きっかけは産後の話からだったが、とんでもない方向に話は進化してこうなった。
ここは、おしもについて語らうことのできる、素晴らしい美容室だ。
私は少なくとも、こちらの美容室を、美容師さんが死ぬまで利用したいとおもってる。

未だロンドン在住の宇多田ヒカルさんも、最近は例のぱっつんロンドンスタイルではなく、もう少し日本寄りのこなれたスタイルに変化した。きっと上手な美容師にお願いしたのだろう。そのまま伸びたとしても、過去にきちんと手入れされた跡があるので、違和感がない。すっかり日本風になったイメージがある。(私的には伸びっぱになる前に一度手を入れた気がする!)
何はともあれ宇多田ヒカルなのだ。私は猛烈に宇多田ヒカルになりきりたかった。

カットの時間は驚くほど短かった。
そもそも長さがほとんど変わらないので、切るところがあまりない。よって5000円近く払い、1時間もかからずにシャンプー&カットを終えたくらいだ。
本当に時間のかからないカットだったが、しっかり宇多田ヒカルになっていたし、傷んだ毛もほぼなくなり良いことづくめだった。
とにかく満足しまくってますよ、と意思表示した。

あの美容室は、平成の頭からある30年以上の歴史ある美容室だ。お客さんの年齢層もたかく、おばあちゃん(推定70代後半)もたくさんいらっしゃる。
よって積まれる雑誌には、女性週刊誌なんかはたくさんあり、私はそこにくるとそれを見るのが楽しみだった。

女性週刊誌にはよく雅子さまのお写真がついている。私は雅子さまのことを、この人生の中でそれなりに見ていた。
それらはテレビから、週刊誌から、ぽつりぽつりと節目節目のニュースが入る。
今日みたのは、陛下と仲睦まじく、2人で笑顔で写っているお写真だった。
その醜悪な毒々しい色合いとけたたましい文字たちの真ん中に、お二人がいらっしゃるのは本来ならばおかしなことかも知れないが、その週刊誌はずっとそうだった。

雅子様の結婚のパレードを未だに覚えている。
私の通った保育園では、迎えの保護者を待つ間テレビを見させられていたからだ。
幾度となく流されたパレードの雅子さまは幸せそうに上品に微笑んでいる。民衆はみなこぞってその幸せを祝福した。
結婚式とは、結婚とは幸せなものなのだろうと、幼心にじっくりと焼き付けられた。

ご結婚後、みな赤ちゃんが産まれるのを心待ちにした。幼い私もそうだった。
結婚したら赤ちゃんが産まれるのが当然の時代で女は子どもを産むのが、何より重要な仕事のであった。たかだか5歳ですら、結婚=赤ちゃんと想像したのが、何よりの証拠だろう。

しかし、愛子さまがお生まれになるには、かなり長い時間がかかった。
その間、雅子さまは辛い思いをされたのは想像に難くない。そして、宮内庁病院から出られたときのマスコミ対応では、涙ぐまれていたという。
また、お生まれになったのは女児であり、すぐに次は男児を!という声があったのは、みなご存知なはずだ。

あの頃ですら、そんな無神経な事を言い放つマスコミに一定数の批判はあった。そんな事をいわれ辛い思いをした人間はたくさんいて、その人たちからの援護射撃みたいなものだった。
だが、皇室となると話は別で、でも…という接続詞をつけながら、多くの人が男児を待ち望む気持ちを口にした、ような気がする。
当時中学生だった私も、そういうものだと思っていた。

あの素晴らしい雅子さまだ。
もう一度結婚式のパレードの雅子さまを思い浮かべて欲しい。
幸せいっぱいの、にこやかで上品な笑顔の雅子さま。彼女の笑顔を奪ったのはだれなのだろう。
多分それは、私たちだ。

恐れ多くも、そう思う。
私は少なくとも、センシティブで他人が触れてはいけない問題について、中坊のくせに随分と勝手な事を考えていたし、口にした事もある。
それがどれほど酷い行為と真に理解したのは、やはり自分の結婚後、もしくは産後だろう。

陛下の、雅子さまを慮った気持ちを率直に語った会見を思い出す。
まさかの宮内庁内から、雅子さまを否定するような声が上がっていた事を国民に伝えられたその放送は、大変なニュースとなり、しばらくは日本国内はその話題で持ちきりだった。
愛子さまがお生まれになっても、ずっとさえないお顔の雅子さまをみて、私は真剣に、離婚すればいいのに、と思っていた。

あの美しく素晴らしく才能のある雅子さまを、皇室に閉じ込めているのは可哀想だ、といつもその女性週刊誌を見ながら感じていた。
その話題を私は度々、宇多田ヒカルカットにした美容院で、した。

美容師のおばちゃんは、雅子さまより6つほど年上だ(多分)
概ね同意見だったが、やはり皇室を離れるのは難しいだろうと話していた。
なんとなくだが、私たち2人はは親子ほど歳が離れているけど、こんな事で雅子さまが疲弊するのは同じ女性として、辛く苦しく悔しい事だと考えていたと思う。だから話は弾んだ。
そもそも美容院のおばさんは、いわゆるキャリアウーマンなのだ。夫婦で美容室を立ち上げ30年以上続けている、凄い人。
だからきっと、いろんな女性の気持ちがわかるのかもしれない。

彼女はいった。
「でも雅子さまは、皇后になられた。これからきっと責任のあるご公務や色々なことがある。それは雅子さまにとって良いことだと思う。きっと雅子さまは元気になるよ」

そういって美容室のおばさんは、私の髪をとかしてくれた。
皇族というお立場で、雅子さまは正にそれを体現されていた。この国での女の生き方、在り方。まさに象徴、だった。

今日、その俗世的な雑誌の表紙にうつる雅子さまは、どれをとっても健康的で美しかった。
私は嬉しかった。
今からどんどん雅子さまは素敵になっていくだろう。そう思うとこちらまでワクワクしてきた。

身も心もすっかり軽くなり、美容室を出た。
今日もとっても暑そうだけど、帽子は被らない。宇多田ヒカルヘアを自慢して、おうちに帰ろうとおもった。

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