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表現とポリコレ

売れるためには多くの人々の支持を得なくてはいけない。多くの目に留まらなくちゃいけない。多くの人の中にはさまざま人がいる。さまざまな考えの人がいる。さまざまな趣向の人もいる。理解力・読解力にも違いがある。そうした時に多くの人に不快感を持たせないように考えるのは悪いことじゃない、必要なことだ。でも、それで表現をやたらに狭めてもいけないと思うんだ。量の問題でもあるがそこはそもそも、マスに向けるかレアなコアな層に届けばいいのか…の違いにも関係する。自分の顧客じゃない人に阿って表現を個性を丸めてはいけない、後々の損失なんじゃないか、と最近、思った。

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プロデューサーやら担当編集が付いてあれやこれやと売る算段、売れるための方策でサジェスチョンはあるのだろう。でも、その編集者やプロデューサーが自分の個性や魅力にちゃんと気付いているのかどうかは見極めたほうがいい。マスに向けるためにすることが個性の喪失に繋がるのは結局、残念な結果になりそうだから。まあ、その個性を大事にして表に浮上出来ない、ことも多々あると思うので本人が決めることだけど。個人の感想で(ここまで書いてきたのだって個人の感想だよw)大事にした個性で売れないのならそれまで、ってことだ(時代が追いついてない、かもよ?) 無理矢理丸められた個性も長続きしないと思うし。

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きっと幸せになりますよ(私が