日記未満:そこに本当に存在するもの存在しないようにみえるもの
珍しく二日続けて電車に乗るような外出をした。昨日はコレ↓に行った。
そして今日はコレ↓
めんどくさがりで出不精だけど美術館はそれなりに好きだ。ただし、混んでいないところに限る。展示スペースに設けられたソファで風景のように展示室と展示品を眺めるのが好きだ。感性が鈍いのか原画をありがたがらないんでガツガツ観なくていい。キュレーターの展示のしよう(演出)にむしろ、興味が行ったりもする。
常設展は無償、のところは自由に行けるのでいいね。だからといってしょっちゅうは行かないけど(出不精だもん)。ロンドンのテートモダンにはよく休みに行った。展示も見ないで。↓はパナソニック汐留美術館に行く途中で見かけたガール。
買った?のを全く忘れてて最近、kindleライブラリから発掘した「アートの値段」特集の月刊ペン。バンクシーのシュレッダー事件の後に出たものだ。結局まだサラッと眺めただけだけど概ね、私が思っていることの裏付けになる内容だった = 買われるアートは投機的で、買うのは世界の富裕層(米国がいちばんだが中国の進出顕著)。ギャラリーが買うアートは売れるもの。売ろうとするアーティストはタレントの売り出しとそんなに変わらない。今時はアートもアーティストのタレント性、キャラ個性(話題性)も含めた逸材を求める ≒ だから、タレントがアーティスト化するのも順番が逆なだけ、とも言える(ただし、アートから出発してない分、だいたい底が浅い。それっぽくデッチ上げただけの感じは否めない)
話は変わるが車の運転中に聞いたラジオの内容: 何かの広報をやってる人で(詳細ちゃんと聞いてない)、チラシや紙媒体を作る部署に配属されて最初は今時、webとかデジタルじゃないの? 無駄じゃんと思ったとのこと。でもやがてそうじゃない、チラシの良さが分かってきた現物があることはwebやsnsでの広報とはまるで違う。人に教えるんでもURLを送るとかだと見ないでスルーされたり見ても流し見て終わり二度と見ない可能性低くない。チラシは人にそのままあげられる。その瞬間、目に入る。持ち帰って、捨てない限りまた目に入る。チラシのデザインが良ければ訴求するし、場合によっては飾ってもらえたりする…そんな話(私の意訳)だった。
なるほど、と思った。絵もデジタルで描くのは色々楽だし描いても描いても画材代は嵩まない。観るのもチャチャっと画面にいくらでも表示出来る。でも、展覧会に行くと額装された展示の味わい、すんごいでかい作品の存在感と迫力を目の当たりにすると、モノがある価値を思う。仮想空間ではないものの価値を。モノがあると所有欲も満足できるってこともあんだろな。
やっぱり、みんなのフォトギャラリーで検索にヒットせず出てこない、存在しないかのような画像が他にもある。↑のみたいに微妙にバージョン変えても全然出てこないのもあるし。問い合わせしようかと思ったんだけどメールなんだよね。問い合わせフォームとかじゃないんだ、めんどくせえな。←いまんとこ、ここ。今また登録してみたけどやっぱり出ない。このテキストの扉絵も↑も。