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危うさが霧のように押し寄せる

昨今の、総理大臣秘書官のLGBTへの発言に対してのあれこれ。結論から言うと、立場のある人がああ言うことを公言しちゃダメだ(先生が教室で生徒の前で言ってもダメだ)。が、思うことは勝手だ。それを何かの行動の動機にしちゃ不当な差別に繋がる可能性は低くないのでダメだが、好き嫌いでいるのは自由だ。昨今の風潮には個人の好き嫌いにも制限を加えかねない危うさがあると思う。LGBTの件だからといって、そのことの好き嫌いを許容しないのは行き過ぎだ。好き嫌いで判断するのは差別だが、好き嫌いを制限するのも不当だ。(理解を、と言うが理解せんでもいいとも思うね。理解の強要ではなく、そんなこともあるんだね・わかったよ程度の認知・許容をするんでいいと思うね)

こんなチャート、作ってみたけどブルーのCに分類されるのはないなorz

LGBTは嫌いだ、なんて黄(緑)色のB(思うの良いが人前で公言したら・吹聴したらダメ)に分類される程度だろう? 紫色のDの分類とは違う。が、どうも一部、ほんの一部ではDまがいの扱いに見える。

私はちなみに、可愛い女の子のカタチが好きなので、おっぱいがあろうがなかろうがㄘんㄘんが付いていようが可愛く見えたらOK。なのでその延長線で、可愛くみえなくても存在の否定も嫌悪もしない。てぇか、可愛い少年だって別にオッケーだしね。だから男女問わず、セクシャルマイノリティの人の否定も嫌悪もない。その手の人達が婚姻関係を法的には得られず不便を強いられるのは何とかしてやれよ、と思ってる(法的婚姻関係がないと例えば何方かが亡くなった時に様々な問題が起きてしまう(現実では今は養子縁組をして回避するしかない))。

吉田秋生さんの「BANANA FISH」萩尾望都さんの「ポーの一族」「トーマの心臓」山岸涼子さんの「日出処の天子」等は愛読したが、これらには直接・間接的にホモセクシャリティの演出がある。カテゴリ的には少女マンガなので肉体表現があったとしてもブロマンス的なニュアンスが強い(日出処の天子はちょっと違うがw)。

現実、実際にありそうなブロマンスはきっと戦友だと思う。戦時・戦闘下の味方は生死の境を共にし、お互いの生の有無が自分の死に直結するので(ようするに1人じゃ生き残れない=自分の背後を人に任す。人の背後を守れない(逃げる)者は次から信用がないため人にも守ってもらえなくなる)究極の信頼感が生まれてる筈。戦争下になりたくないのでそんなブロマンスを感じる局面は望まんがw

同様に、池波正太郎原作の仕掛人・藤枝梅安シリーズの梅安と彦次郎、そして小杉十五郎もブロマンスの関係だと思う。劇中には肉体関係はもちろん恋愛感情を思わせる描写も表現もほぼなく、心熱くもなく密着した付き合いでもないのに魂の奥底、根っ子で信頼を置いている感じでつるんでる。仕掛人にもなりたくないのでこのブロマンスの局面も要らんけどなw
映画は実際、どんな感じか知らないけれど予告編の最後にアレを持ってくるのはまあまあ、分かってるのだと信頼を置いてみる。

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きっと幸せになりますよ(私が