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特別寄稿■近藤正高「理想的なドラマレビューとはどうあるべきか」

「エキレビ!」初期から参加していただき、ドラマレビューはもちろん、本や歴史や鉄道やはばひろい知識と取材力、調査力、それらを構成して、笑いどころも忘れずに書き貫く力が凄いひと。「わかんないことがあったら近藤さんに聞こう!」
なにかと頼りにしています

そんな近藤正高さんが、ドラマ大学に原稿をご提供くださいました
ライターさんたちとの飲みの席でも、わいわい盛り上がっては結論がでないこの命題。サークルにもスレッドたてますんで、ご意見気軽にお寄せください。みんなで解に近づこうではないか。では近藤さんのテキストをどうぞ!

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本稿では、ドラマのレビューにはおおまかに二つのスタイルがあるとして、「作品それ自体を紹介するスタイル」と「作品自体よりも作品の外側に焦点を当てて論を展開するスタイル」に分類したうえ、私の書くレビューは大半が後者だと書いています。ここでリンクした記事は、そのサンプルとしてお読みいただければ幸いです。

もっとも、本稿の終わりがけにも書いているように、どうしたらドラマレビューがうまく書けるのか、私はいまだによく悩みます。本稿のタイトルに「理想的なドラマレビューとはどうあるべきか」とつけたのもそのためです。「エキレビ!」だけでなく、いまではさまざまなウェブサイトで、多くのライターのみなさんがドラマのレビューを書いていますが、きっとそれぞれ流儀があることでしょう。今回、本稿の再掲載を編集長のアライさんにお願いしたのも、まず何より、「レビューってどう書けばいいの?」とライターのみなさんに訊いてみたかったからです。できましたら、これをご一読のうえ、色々と教えていただけるとありがたいです。(近藤正高)

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 以下に掲載するのは、私、近藤正高が『Re:Re:Re:』という文学フリマなどで販売している冊子(写真)で、昨年11月、過去に書いた朝ドラレビューをまとめた際に編集後記として書いたものです。それゆえ、内容も主に冊子に収録した記事の解説となっています。今回、再掲載にあたり、文中で紹介している記事のうち「エキレビ!」が初出であるものには、元のページにリンクを貼りました。

私が朝ドラ(NHKの連続テレビ小説)をちゃんと見始めて20年あまりが経つ(最初に通して見たのは1997年の『あぐり』だったか)。以来、やはり朝ドラ好きの友人とメールで感想をやりとりするなど個人的に楽しんできたのだが、仕事で朝ドラについて書くようになったのは、2010年の『ゲゲゲの女房』以降である。それ以前には、いまのように多くの人が朝ドラについて語る時代が来るとは思いもしなかった。プロローグでは、そもそも朝ドラとは何か、また最近になってなぜみんなが朝ドラを語るようになったのか、書評という形で言及した記事(「『梅ちゃん先生』特番直前『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』に膝を打つ」、「2010年代、朝ドラを「みんな」が見るようになった理由『みんなの朝ドラ』」)を再録することで、導入部としてみた。

本号に収録した記事の多くは、エキサイトが運営するレビューサイト「エキレビ!」に発表したものである。このうち「NHK連続テレビ小説『カーネーション』をそろそろ語らせて!」(2012年2月1日)はおそらく同サイトでは初めての朝ドラについての記事だったはずだ。翌2013年には『あまちゃん』が放送され、「エキレビ!」ではライターの木俣冬さんが週ごとにレビューを掲載、木俣さんはこれをきっかけに2015年放送の『まれ』からは朝ドラの全話レビューの連載をスタートし、現在まで続いている。ついでにいえば、「エキレビ!」では朝ドラ以外の連続ドラマについても、私を含むライターたちが分担して各話レビューを連載している。いまやほかのサイトでも類似企画が見られるが、火つけ役は「エキレビ!」と言っていいと思う。

さて、ここでは、ドラマレビューのスタイルについてちょっと考えてみたい。ドラマのレビューにかぎらず、映画や小説などのレビュー・評論では、作品それ自体を論じるスタイルが一般的である。一方で、作品自体よりも作品の外側に焦点を当てて論を展開するスタイルもある。ようするに作者や出演俳優の横顔だったり、作品に登場するできごとや人物などについて言及しながら論を展開するスタイルだ。

私の考えでは、レビューとしては前者が王道だと思う。内容をわかりやすく要約し、表現や演技ですぐれた点、あるいは劣っている点はどこかを的確に指摘してみせる、これこそ理想のレビューだし、読者が鑑賞するうえでも直接的に役立つものだろう。

これに対し、後者は邪道とはいわないまでも、あくまで作品の理解を助ける補助的なものにすぎない気がする。かくいう私の書くドラマレビューの多くはこの後者に属する。だから、前者のスタイルでちゃんと書ける人には尊敬するし、本来なら自分もそうあるべきだとも思っている。だが、個人的な志向で、どうしても作品そのものより、作品の外側に興味を持ってしまうのだ。現在(2019年11月現在)、私は「エキレビ!」で、NHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』のレビューを毎週書いているが、そこでもどうしてもドラマの本筋以上に、劇中に出てくるできごとや人物に関する記述や、史実がいかに脚色されているかという分析が多くなりがちである。これはもう性分というしかないのかもしれない。本号収録の「考察『なつぞら』感動の電話シーンはどこまで現実を再現していたのか。昭和電話事情を振り返ったら凄かった」でも少し書いたが、子供のころ大河ドラマなどを見ながら、時代考証的なことに興味を抱いたのが、私のなかでひとつの原点になっているところがある。

史実にもとづくドラマを論じるにしても、それはあくまで物語化されたものなのだから、あまり史実にこだわりすぎるのもどうかとは思う。それでも、ドラマにおける史実の扱いは、つくり手の力量を見るうえで一つの指標にはなる。力量のあるつくり手は、『いだてん』の宮藤官九郎がそうであるように、実際にあったエピソードをじつに巧みにドラマのなかに織り込んでくるものだ。ドラマを見たあとで主人公のモデルとされる人物の著書や関連書を読むと、ときにこれも実話だったのかと驚かされることもままある。その作業は、ドラマの外側からレビューを書く一つの楽しみとなっている。

本号に収録したなかでは、『カーネーション』『ごちそうさん』『花子とアン』『わろてんか』『まんぷく』『なつぞら』に関連する記事で、劇中に登場した人物やできごとを史実と照合しながら考察している。

『カーネーション』では、主人公の小原糸子のモデルとなった小篠綾子とその娘であるコシノヒロコやコシノジュンコの著書から、ドラマにおけるヒロイン・糸子の男性関係などのエピソードがどこまで事実にもとづいているのか確認してみた(前出「NHK連続テレビ小説『カーネーション』をそろそろ語らせて!」)。同記事は、主演が青年~中年期を演じた尾野真千子から老年期の夏木マリへ交代する前に発表したものだが、ドラマの終盤では、記事中で紹介したとおり、糸子が自分の半生を朝ドラにしてほしいとNHKの集金人に訴える場面もしっかり出てきた。

『ごちそうさん』では戦時中の大阪大空襲のさなか、地下鉄駅に避難してきた人々を電車が乗せて走ったという知る人ぞ知るエピソードが出てきた。これを受け、その真相はどんなものだったのか、資料にあたって書いたのが「朝ドラ『ごちそうさん』で描かれた大阪大空襲・救援電車の真実」だ。私はたまたまその数年前から地下鉄の歴史を調べており、救援電車の資料も大阪市の図書館でコピーをとって持っていた。記事は、ドラマを補完するという意味で意義があったと自負している。

これとは反対に『花子とアン』の飼い犬供出に触れた「『花子とアン』 から考える軍用犬の真実、飼い犬はなぜ供出されたのか」は、資料を通してドラマで描かれたことに疑念を呈す形になった。とはいえ、肝心のドラマの原案にもなった村岡花子の評伝を確認していなかったのはうかつであった。記事掲載後、読者の方々から指摘を受けたときは冷や汗をかいたものである。

『わろてんか』では、主に劇中に登場した芸人についてそのモデルと思われる初代桂春團治やエンタツ・アチャコの人生を振り返ったほか(「『わろてんか』 落語家・月の井団吾のモチーフか。初代桂春團治の破天荒伝説」「元祖人気漫才コンビはなぜ人気絶頂で解散したのか、コンビ解消の仕掛け人はあの人物」)、吉本興業創業者の御曹司と歌手・笠置シヅ子の悲恋もとりあげた(「『わろてんか』 隼也の悲恋のモチーフか。笠置シヅ子『東京ブギウギ』は恋人との別れから生まれた」)。笠置のヒット曲「東京ブギウギ」のくだりは、期せずしてそのあとの『まんぷく』での「リンゴの唄」の記事(「作詞者の命日に『まんぷく』で福子が歌った『「リンゴの唄」の真実』軍歌のはずだった?」)とあわせて昭和歌謡史誕生秘話のメドレーとなった。

『まんぷく』記事のもう一本「『まんぷく』日清カップヌードルはなぜ、あさま山荘事件で機動隊員に支給されたのか。いよいよ最終週へ」は、劇中でカップラーメンの開発が進められていたころに出したものである。ドラマでは結局、あさま山荘事件はもちろん、記事中とりあげた発売後の特許をめぐる訴訟も出てこなかったが。それにしても、『まんぷく』が惜しかったのは、ヒロインの夫・萬平は日清食品創業者の安藤百福をモデルにしているにもかかわらず、安藤が台湾出身で、発明家というより実業家という性格が強かったという事実は踏襲されなかった点である。これら要素をもし採用していたのなら、もう少し違ったドラマの展開もあったような気がするのだが。そのあたり、素材を活かしきれなかった感は否めないし、かといってドラマ独自の世界観が成り立っていたかというと、それも首をひねらざるをえない。

その点、『なつぞら』は、下敷きとなる人物がいながら、ドラマはドラマできちんとした世界観を確立していた。それは劇中に出てくるアニメーション作品によく表れている。

これまで朝ドラでマンガやアニメを扱う場合、現実の作品をそのまま持ってくることが多かった。『ゲゲゲの女房』では、ヒロインの夫のマンガ家は本名は変えられたものの、ペンネームは実在する「水木しげる」で、劇中に出てくる作品もそのまま水木マンガが使われていた。あるいは、本号ではとりあげなかった『半分、青い。』(北川悦吏子作、2018年)では、豊川悦史演じるまったく架空の少女マンガ家が登場したが、その作品にはくらもちふさこによる実在のマンガが用いられた。

だが、1950年代から70年代にかけてのアニメーション制作の現場を舞台とした『なつぞら』ではそうした前例を覆し、現実の作品を下敷きにしながら、まったく架空のアニメーションを登場させた。とくに終盤に出てきた『大草原の少女ソラ』は、実在のテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』をモチーフにしつつ、北海道で育ったヒロインのなつの半生をも反映して、かなり本格的につくりこまれており、劇中アニメにとどめておくのはもったいないぐらいであった。

『なつぞら』に登場するアニメーションのスタッフのモチーフとなったのは、奥山玲子をはじめ東映動画出身のアニメーターたちだ。「『なつぞら』で忠実に再現 なつよ、これが東映動画のアニメーター採用試験だ」では奥山が職場での男女格差の是正に挑んだことにも触れたが、同記事掲載後、その話もなつの行動に反映されていた。それでも、『なつぞら』では物語はあくまで現実と一線を画し、一種、パラレルワールドのようにきっちりとした世界観が構築されていた。それは、作者の大森寿美男をはじめスタッフの高い力量を感じるに十分であった。

『なつぞら』では、電話の掛け方ひとつとってもおざなりに描かなかった。そのことは、前出の「考察「なつぞら」感動の電話シーンはどこまで現実を再現していたのか。昭和電話事情を振り返ったら凄かった」に書いたとおりである。

『ゲゲゲの女房』『ごちそうさん』『ひよっこ2』、そして『あまちゃん』については、最終回のあとで作品全体を総括する記事を書いた(それぞれ「『ゲゲゲの女房』雑感」、「『ごちそうさん』 異例の向田邦子賞受賞。“物を食らう物語”であり“理系の血筋”の物語であった」「『ひよっこ2』が平成最後に示したもの『時代なんか一気に変わるもんじゃない』」「『クドカン許すまじ』と思い続けてきた私が『あまちゃん』にハマった理由」「『あまちゃん』は本当に朝ドラの常識を覆したのか」)。私には珍しい〝王道〟のレビューである。

自分としては放送途中で一話ずつ論じるよりは、ドラマ全編が終わってから、あるいは前半終了後など何かしら区切りがついたあとで振り返るほうが論じやすいところがある。『あまちゃん』全編を振り返ったうち「『あまちゃん』は本当に朝ドラの常識を覆したのか」では、タイトルにもあるように、朝ドラの歴史のなかで『あまちゃん』を位置づけてみた。こうした鳥瞰的な見方こそ、私の(どちらかといえば)得意とするところかもしれない。

本号の巻末には、プラスアルファとして、『あまちゃん』と同じく宮藤官九郎作のドラマ『ゆとりですがなにか』を振り返った記事(「『ゆとりですがなにか』は2016年の『ふぞろいの林檎たち』なのか」)と、早稲田大学演劇博物館での展覧会「テレビの見る夢――大テレビドラマ博覧会」を評した記事を再録した(「名作『岸辺のアルバム』から40年 歴史に残るテレビドラマの条件とは何だろう『大テレビドラマ博覧会』」)。「大テレビドラマ博覧会」のような展覧会が成立したのは、テレビドラマがすでに演劇や映画に肩を並べるまでに歴史的な蓄積を持つようになったからこそだろう。同展覧会は、それとあわせて、朝ドラをはじめ、みんながドラマについて語るようになった時代を反映していたようにも思う。

それにつけても、果たしてドラマの外側ではなく、ドラマそれ自体のレビューがうまく書けるようになるにはどうしたらいいのか。数をこなせばいいと思っていたのだが、どうもそれだけでは何ともならないところがあるらしい、ということをここへ来てひしひしと感じている。ほかのライターの方にもぜひ教えを請いたいところである。

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近藤正高(こんどう・まさたか) Twitter
ライター。1976年生まれ。歴史・科学からドラマ・アイドルまで幅広いテーマで薀蓄多めの記事を執筆。ドラマレビューでは物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に、エキレビ!で書いた記事がもとになった『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。愛知県在住。
Culture Vulture

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〈「エキレビ!」では朝ドラ以外の連続ドラマについても、私を含むライターたちが分担して各話レビューを連載している。いまやほかのサイトでも類似企画が見られるが、火つけ役は「エキレビ!」と言っていいと思う。〉
めっちゃうれしい
似顔絵つきのタイトルイラストは、近藤さんと「やりたいねー」って半年前くらいからあたためてて、この春から「エキレビ!」ではじめようとしてた連載用に、去年(ちょっと「グランメゾン東京」っぽいのはその影響)まつもとりえこさんに描きおろしてもらったもの。残念ながらアライが離れてしまう「エキレビ!」では難しくなってしまったが(すまない)、ぜったい面白くなると思うんです。ピンときたかたぜひぜひ〜。
「日曜劇場」といえば、4月スタートの「半沢直樹」は、あるところで各話レビュー連載が決まってます。編集担当します、はじまったらお知らせします、お楽しみに!

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